知的には、何をすべきでないかの全体像は見えたような気がしている。
(↑やかましいわ)
とにもかくにも道なき道の難しさは実践面なのだと思う。実践中に道標として二つ以上の概念を提唱する方法を私は危険だと感じるようになった。意図しなくてもその道を歩もうとする者に誤解が生じる可能性が低くないからだ。


その意味でもゴールを未来に設定するのはとても危険だと感じる。時間軸の上での分離錯覚を生む。気づきに気づく方法も危険だと感じるようになった。それは結局「架空」の便宜上の設定としての気づきにすぎない。また今の私は「気づき」という説明方法自体を信頼していない。


言葉では全てを「否定」するしか表現しえないという意見に賛同している。それは冗談や誇張に思えるだろうが、「あらゆる否定形でしか表現できない」という言葉がどれほど核心をついているのか、虚空を思い出した瞬間に理解し、人が開発した言語としては正に満点であることを感じるはずだと現時点では結論している。


「私」という概念も危険だ。私こそ錯覚の根源であって、瞬間の意識状態は私⇔真実かで、両立しない。「私」を通して見ようとするからこそ、「私」を通した世界が発生し続けているのだ。かといって、「私(エゴ)」の否定も危険だ。「私=そもそも(ひとつの)否定」なのであって、毒蛇で毒蛇を制することはできない。私(エゴ)はありのまま受容されることで、最高の味方となる。というよりそれ以外の制御方法はないように思う。円舞ができないなら愛を感じることができない。


否定を受容することは訓練ですらない。それは一呼吸一呼吸の拡張であり、融合だ。これは拡張訓練ではない。訓練も努力も練習もしない。呼吸は自然に起こっているのであって、私たちはそれを最初から「練習も努力もしていない」。努力して努力して、呼吸による生命維持を今までしてきたと感じている人はゼロではないだろうか。おそらく人間界の習い事とは逆行して、この感覚こそ道なき道に近いと感じる。


それはあらゆる表現の否定と同じく、あらゆる指向性の否定であり停止なのだと思う。つまり、何も、しない。脈動の実在を忘れているから「何も起こらない、何も起こっていない」と感じているのであって、何も、しなければ、思い出すことが勝手に起こる。


だがひとつだけ、この地上でのそれを実用に耐えるスピードにするために注意点がある。それは、思い出す本当の意味での強い「決心」だ。特定の儀式のことではない。強い気持ちのあり方という意味での、熱意、真剣さ。それがないと私たちは日常の視点を無意識に延長する可能性が高いかもしれない。忘れて久しいので、ただ何もしないだけだと、何か見えるわけがないと無意識の否定ノイズに再び巻き込まれるのだと思う。


以上のことを一語でまとめると、
細胞(セル)
なのだと思う。細胞が(本来独自の)光を放つまで、呼吸に意識の焦点を揃えるのだ。


人生に大きな悩みが生まれるのは、一番になりたい、誰よりも愛されたい、誰からも求められる人になりたい、最も知的でありたいなどと願い、それらの欲求がたえずあなたをさいなむからです。そうした欲求は、あなたに自分の本質を見失わせ、あなたを記憶喪失へと導きます。この記憶喪失の結果、あなたは自分がいかにまったくふつうであるか、そして、それがいかにすばらしいことなのかということを忘れてしまいます。


愛はまったくふつうなのですから、あなたもふつうなのです。あなたは愛であり、すべての人は愛なのですから、愛はふつうのことなのです。すべてのものは愛なのです。愛することは特別なことではありません。愛はあなたの本質そのものですから、愛することは最も簡単なことです。自分が愛以外の何かであるという考えを捨ててください。そうすると、あなたの基本的性質が見えてきて、それに耳を傾け、それを感じることができるようになります。


自分の安全を保証するには、「外界」のものすべてに、細心の注意を払う必要があると信じているために、あなたの関心は外の世界に向けられています。けれども、これは真実でしょうか。あなたは昼も夜もあらゆる瞬間に安全だと感じていますか。いついかなるときにすべてが変化して、自分の人生に苦しみや悲しみが訪れるかもしれないということを、あなたは知っているはずです。


あなたが求めている安全は、あなたの内側にあります。あなたの意識が集中するものが、あなたの人生で現実となるのです。求めるものを得るには、自分の内面に入って、自分の望む意識状態に達しようと努力することが重要なのです。本当のところ、自分のなかに入って強さを見つけ、光を見、愛を感じることに時間をかけないかぎり、これまで話してきたことは無意味なのです。


質問者 マインドの最高の力は、理解、知性、そして洞察です。人は三つの身体をもっています。粗大身、微細身、原因身* (プラーナ、マナ、カラナ)です。粗大身は彼の存在を反映し、微細身は知識を、原因身は喜びに満ちた創造性を反映します。もちろん、これらは意識のなかで形成されたものです。しかし、それらは各々の特質をもって分離しているように見えます。知性(ブッディ)はマインドのなかでの知的能力の反映です。それがマインドを知識あるものにするのです。知性がより優れるほど、知識はより広く、深く、真正になります。ものごとや人を知ること、そして自己を知ることは、すべて知性の機能なのです。最後のものがもっとも重要で、前の二つを含んでいます。自分自身や世界を誤って理解することは、不正な考えや欲望をもたらし、それがまた束縛となります。自己への正しい理解が、幻想である束縛からの解放に欠かせません。これらすべてを理論としては理解できるのですが、実際問題となると、私は状況や人びとへの対応に失敗し、私の不適切な反応が束縛をさらに加えるばかりなのです。人生は私の鈍く、遅い思考にはあまりにも速く進みます。古い習慣がすでに繰り返された後で私は理解するのですが、遅すぎるのです。


* 訳注 粗大身、微細身、原因身
粗大身はストゥーラ・シャリーラと呼ばれ、一番外側の身体、肉体を表す。微細身はスークシュマ・シャリーラと呼ばれ、知的な働きをする身体を表す。原因身はカーラナ・シャリーラと呼ばれ、内面的な身体を表す。ヒンドゥ教の教義においては、これら三つの身体をトリ・シャリーラと呼んでいる。


マハラジ  それでは、あなたの問題とは何かね?


質問者 私には知性だけではなく、人生で起こる出来事に即座に対応できる能力が必要なのです。そしてそれが完全に自発的でないかぎり、即座とは言えません。どうすれば、そのような自発性を達成できるのでしょうか?


マハラジ  太陽を引きつけるために鏡にできることは何もない。それはただ輝きつづけるだけだ。マインドが用意できしだい、太陽はそのなかで輝くのだ。


質問者 その光は真我のものでしょうか、あるいはマインドのものでしょうか?


マハラジ  両方だ。光はそれ自身原因をもたず、変化もしない。マインドが動き、変化するにしたがって、それは色づけされる。それは非常に映画に似ている。光はフィルムのなかにはないが、フィルムが光に色づけをし、それを遮ることによってあたかも動いているように見せるのだ。


質問者 あなたは今、完全な状態に在るのでしょうか?


マハラジ  完全とはマインドが純粋なときの状態だ。状態が純粋であろうと、不純であろうと、何であれ、私はマインドを超えている。気づきが私の本性なのだ。究極的には、私は存在も非存在も超えている。


質問者 あなたの状態に到達するには瞑想が役立つのでしょうか?


マハラジ  瞑想はあなたの束縛を見いだし、それらを緩め、解き、自由にする。もはや何にも執着しなくなったとき、あなたの分の仕事は終わったのだ。残りはあなたのために自然に為される。


質問者 誰によってでしょうか?


マハラジ  あなたのマインドを探求させ、ハートが真理を求めるよう促す地点まであなたを連れてきた、その同じ力によってだ。その同じ力があなたを生きさせているのだ。それを生命、あるいは至高なるものと呼ぶがいい。


質問者 同じ力がやがて私を殺すのです。


マハラジ  あなたは誕生のとき、存在していなかっただろうか?死が訪れるときも、存在しているのではないだろうか?つねに存在するその人を見つけだしなさい。そうすれば、あなたの自発的で完全な反応に関する問題も解決するだろう。


質問者 永遠を実現することと、つねに変化しつづける出来事への努力を要しない適切な反応は、二つの異なった別々の問題です。あなたはどうやらその二つをひとつにまとめてしまったようですが、何があなたをそうさせるのですか?


マハラジ  永遠を実現することは永遠、全体、宇宙、そしてそれらを含むすべてになることだ。すべての出来事は全体性の作用であり表現だ。それは根本的に全体との調和のなかに在る。全体性からのすべての反応は正しく、努力なく、即座のものでなくてはならない。さもなければ、正しくはありえない。遅れた反応は誤った反応なのだ。思考、感情、そして行為はひとつにならなければならず、また状況の求めに応じて、同時でなければならない。


質問者 どうすればそうなるのでしょうか?


マハラジ  もうすでに言ったはずだ。あなたの誕生時に存在し、あなたの死を観照するその人を見いだしなさい。


質問者 私の父と母でしょうか?


マハラジ  あなたの父、母、あなたの存在の源だ。問題を解くには、その源にたどり着かなければならない。真我の探求と冷静沈着さという普遍的解決法による問題解決においてのみ、正しい回答が見いだせるのだ。


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