レベル3と4の狭間=霊性の道の難易度



続けていきます。7月12日にとりあげたマハラジと質問者の会話の一部です。


質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?

マハラジ  あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。

質問者 私には理解できません。

マハラジ  あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目にするのだ。

質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?

マハラジ  もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気づきだ、と私が言うのを信じなさい。それを自覚し、それにしたがって生きなさい。もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」と尋ねるがいい。あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づきの焦点を合わせなさい。


あらゆる表現の否定で表現される、ことが体験としてわかるものは虚空到達者です。それ以外の者は世界の果てをわかっていません。マハラジは到達しています。気づきなのか?というと違います。それは否定されます。デフォルメした2頭身キャラのように言葉を使っているだけです。あらゆる言葉は「方向性」のみ指差しすることが限度なんです。肝心のそれ(虚空)は現れの世界と決定的に断絶しています。だから私たちは安全なんです。


なぜレベル4の反復実践にすぎない霊性の道が難しいのかというと、その
難易度の根本がレベル3が無自覚(自分ではその同一視に気づけない)という点です。


レベル3は思考と感情であり(便宜上の分類です)、思考と感情自体は何も悪くありません。思考と感情を「自分と同一視」していることが苦しみを生む犯人です。


あらゆる流派で、レベル4(ただ在る)を指差し、実践してもらいます。ですが、無自覚で、レベル3に落ちてしまいます。錯覚に同一視します。日常生活ではどうしてもそうなります。


特に、そうなる理由が、自分の自分に対するみえない否定、自己否定です。


私は、私が、嫌いだ。私は、私が、許せない。私は(神様に)愛される資格は、きっとない。
これはみえない想念なんです。そのままでは自覚できません。自覚できないからこそ、レベル4はあっという間に覆い隠されエゴは人を拘束します。


どこからなら自覚できるかというと
レベル4からだけ自覚できるんです。


よって、みんながどうせレベル3に落ちるので、めげずに何度も何度もレベル4に戻ることになります。これが反復実践の真剣さです。これは物心ついた4歳頃に発生し、以後限定解除されても、完全覚醒(虚空定住)に至るまでレベル3への落下は断続的に発生し続けます。覚醒ではありません。完全覚醒に至るまで、断続的に発生し続けます。普通は完全覚醒に至る前に死を迎えます。


私が覚醒と完全覚醒を区別する理由のひとつはここにあります。
虚空または源球”皇”に一時到達したとしても、内隔(自分による無意識の自分否定+他人による意識的な自分否定=この双方への抵抗)が完全にアンロックされないかぎり、兄弟姉妹の本質も自分の本質もみえないんです。


一瞬であろうと、怒りや怖れが発生するなら、完全覚醒ではありません。


怒りとは、自分否定です。怖れとは、自分否定です。
それが発生した時点で4の5の言わずにレベル4に戻るしかないんです。正体を突き止めなければなりません。それは分離の錯覚です。


習慣的な力が、(そうしなかった時よりも)助けになるというのは事実ではありません。
人は、常に、新しく、選択しています。いまこの瞬間に何を選ぶかは、惰性ではないんです。習慣的な力が助けになるというのは自我の観点にすぎず、レベル3の観点にすぎません。本当の私たちはいつもレベル4ですから、つねに自由です。だから忘れることも、神の演技なんです。どんなドン詰まりっぽい状況も、絶望も、そうです。自我が泣きわめくとき、真我は微笑しています。



縄跳びってありますね。この縄を跳ぶ「瞬間」をレベル4へ意識を向けることだとします。
この縄を無意識に跳ぶようになる「まで」頑張って跳び続けてください。と言われたら、どう思いますか?


やってられるか!みんな途中でそう思うんです。
仕事が山積みなんだ!家族を食わせるのに手一杯なんだ!税金払わなきゃならないんだ!


別の言い方を提唱します。


動機に基づいて世界を見ないでください
愛されたいと思いながら行動しないでください


なぜかというと、愛されていないという思い込みから発生しているからです。
極論すればレベル3の正体は、これです。この根本的な誤解を放置したまま、今この瞬間の本当の真実を体感することは決してできません。


動機の裏を、今この瞬間、見るんです。


動機はみえない思い込み、みえない思考、みえない想念、みえない自己否定です。
自覚できません。自分では自覚できません。根元すぎて気づけないんです。


だからそれを通して見てしまうと、世界は暗黒のままです。
全体像をみるために、動機の裏を見てください。
意識を逆流させてください。


ある、のは間違いない。だってないなら、悩みも、苦しみも、喜びもない。ある、のは間違いない。だけど、そのある、が気にくわないんだ。


だから魔法を探している。求めている。
その万能薬をきっと探しだしてみせる!
その態度は根本的な誤解です。悲劇的なパラドックスです。
何かを付け加えよう、+(プラス)しようという態度も、取り除こう、-(マイナス)しようという態度も全部ダメです。
+-0(ゼロ)で、ありのままだけが答えになります。
神の答えはゼロだけです


いま、動機の裏を、自分のみえない怖れを、暗黒の世界の背景を、みてください。
気づきの焦点を「正体のわからないもの」にあわせるんです。
自我は知りません。虚空を知る自我は存在しません。


道なき道と呼ばれるのは、虚空だけが現れの世界と(皇ほどの愛の親玉も含めて)断絶しているからです。私たちが不死で永遠で絶対安全なのは、これが理由なんです。たとえ魂がバラバラに壊れてしまっても、絶対安全ということです(星はどんなにひどい過去でも傷ひとつつかないので、そんなことはありえないんですけれども、便宜上の仮定です)。これを逆算して考えるのが、完全覚醒の最後の崖がどれほど断絶しているかをイメージするのに役立ちます。


ですから知っているのは、自我ではなく、真我なんです。
帰り方はわからなくて、正しいんです。
自我がわからないと認めることが正解なんです。


私たちがそれ(虚空)であることを、余計なゴミの全てをありのままに透過して、思い出すんです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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