偽善の匂い


フィオラさんに背中を蹴られ、私は懺悔する。今夜はこれを書きます。今だから言う話シリーズです。7月16日にももんがさんから短いコメントをいただいたんです。


愛を感じたい。ただそれだけなのに、全くわからない。


ももんがさんは「嫌悪感」という言葉を、このコメントに混ぜていました。私はそれをみた瞬間にこれはnobodyに対する「嫌悪感」だと感じていました。そして、ももんがさんは(洞察が)鋭いと思いました。直感です。偽善の匂いを嗅ぎ取っているんじゃないかと思いました。


そんな中でも、ももんがさんが書いた言葉は、愛を感じたいというこの上なく真摯なものでした。
私は全力でお答えしましたが、後でミスったなあと感じてもいました。


ぶっちゃけね、ぶっちゃけ、nobodyの返信って気持ち悪いでしょ。面倒くさいでしょ。
私が逆の立場でも、偽善の匂いを感じとると思うんですよ。


何が偽善かって言うと、本当の善人は、「想念」が綺麗なんです。人生の生き様、軌跡を通じて。だから彼女や彼は最終的に愛を思い出すのかもしれません。
悪を知らないわけではなくて、悪を選ばない、愛を選ぶんです。痛みも何もかも自分で経験して感じて、「それでも」人を攻撃する想念は、出さないんです。
すべてを自分のなかに見出すんです。責任転嫁を選ばない。引力を感じとりながらも、選ばない。それが本当の善人です。


人様の痛みや苦しみにわかったふうなことは死んでも言えないんです。
なぜなら、本当にわからないから。自分で体験したことじゃないから。


nobodyのマインドはあの時点の全力でお答えしようとしました。でも、ももんがさんの痛みを少しでも推測したかというと、そんなことはうっちゃって自己満足の返答に終始しているんです。どれだけ断定している、勝手にこちらの経験を投影している、わたしゃももんがさんの苦しみは体験したことないんです。


そしてnobodyは大いなる愛の何を知っているんですか。
自分さえ救えないのに、えらそーに。
こういうやつを偽善者って言うんです(nobodyのこと限定です)。


だから、ももんがさんには申し訳なかったと思います。
あなたは相談する人物を間違えました。


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と、マインドが書きますよね(ここまでの内容はnobodyのマインドの本当の気持ちです。本当の気持ち。事実申し訳ない気持ちでいっぱいです。マインドではなく真我=大いなる愛で返信しなければももんがさんの魂に直接届くエネルギーにはならないからです)それがこのコメントをいただいた時の結果です。
ではここから下はなんでしょうか?



上記のnobodyのマインド「も」演技しているんです。本人になりすます演技です。
真我(本当のわたしたち)が泣いて懺悔しているかのごとく演技しているんです。


マインドは舞台役者です。どんな涙も、怒りも、悲しみも、演技なんです。嫌悪感も。
「愛は」この舞台役者の足の裏に触れている「舞台そのもの」です。
では愛は失われているか?いいえ。
ももんがさんだけではありません。誰からも失われていません。一度も。


そんな構造は問題じゃないですよね。
じゃあなぜ「あるはずの無条件の愛」が感じられないのか。
その舞台役者(マインド)が演技に熱が入りすぎてしまって、自分を役そのものだと錯覚しているからです。
ここからが問題のポイントです。


その名役者は己の境遇に


「抵抗」


しているんです。
「嫌、私はシンデレラなんて嫌!白雪姫も嫌!こんな人生は嫌!」


そして、抵抗しているから「嫌悪感」を感じ取っていないんです。嫌悪感を感じるとおっしゃっていましたが実際はその逆で、嫌悪感を嫌がって避けている可能性はないでしょうか。
(これはnobodyを含め大いなる愛を全面的に感じられていない全員そうです)


いつも今にいることで
今「ある」嫌悪感を十全に感じていないんです。


嫌悪感を避けて、逃げて、回避して、防御して、
「こっちに来るんじゃない!!あっち行って!!」


この嫌悪感は全部、奴らの持ち物!!私が原因の嫌悪感じゃない!!
と、否定しているんです。逃げ回っているんです。違う場所に行こうとしているんです。その中には「次の瞬間」に行こうとするという姿勢も含まれます。


「いまここ」ではない「どこか」へ。


その不快な環境が再現されなければ、回避は成功すると未来を夢見てしまうんです。


この「抵抗」と「否定」が、役者(マインド)が役(人生状況)を真のリアルだと思い込んでしまう原因になるんです。無条件の本当の愛に気づかない原因になるんです。
逃げる(または追う)つもりが、救いから遠ざかる結果を生むパラドックスの中にあります。


舞台上のすべての登場人物を愛している「大いなる愛」に気づかない原因となります。


3文字で解決策を書く場合は、
「止まる」です。それだけなんです。それだけなんですけれども、
実践が、難しいんです。「見たくない」のは個人個人の想いだからです。だからみんな自分のペースで歩んでいます。それ自体が完璧なんです。どんな遠回りも含めて、無駄は何もないですし、この旅自体がゴールそのものです。これもパラドックスです。
自由と愛の両立。私たちはどんな瞬間も、たとえそれを忘れ去って苦しみまくっているときでさえも、この上なく愛されているんです。


コメントのひとつひとつが贈り物です。



恥ずかしい話をひとつして、ふたつして、隠さなきゃって思っていることをバラしていくうちに、だんだん防衛意識はやけくそになってきます。本当にこいさんはすごいと思います。私は天使にラッパを吹かれる道がいいし、派手で楽なものがいい。そう思って逃げ回ってたら死神に日本刀を振り回されるという道に追い込まれました。人生って本当にジョークです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody