愛は床暖房


私たち(マインドの方です)が無条件の愛を感じていない瞬間はありません。いまです。いま。いま感じていない人が一人もいないって信じられます?無理でしょう?


愛は床暖房なんです。地に足がついている以上、その愛を感じていない人は一人もいないんです。
あなたは地に足のついていない青い猫、ドラえもんの可能性はあるでしょうか。
そうじゃなければ、あなたはいま神の愛を感じ、いま、覚醒済みであり、いま大いなる光なんです。


セミナーは不要なんです。あなたが、覚醒者だから。


床暖房を忘れるほどに、あなたは役に没頭しているんです。名演です。
いまこの瞬間をさておいて、いつも足早に「未来」に向けて移動している感覚でいるんです。


あなた(神)の専用席である「いまここ」を何者かに譲り渡し、あなたは人生を「立ち見」しています。
(席が[毒蛇(欠点の注視/指摘)]に占領されているように見えるからです)


私たちは「立ち見客」の地位に甘んじているんです。


そんな必要はどこにもないんです。私たちが怖れる「いまここ」は、人生のすべての瞬間を通じて、あなたに本当の旅の喜びを、温もりを、感じてほしいと願っているんです。



裁く心


自分を裁く心。他人を裁く心。
どちらも「私たちの最後のライバル」です。
裁くから、許せない。いまを許せないんです。
「ある」という神の楽園の上で、私たちは裁きたくないのにいつのまにか裁く心に支配されています。無意識をやめようと努力するすべての人が、愛です。



戻り方


問題の核心は、いまここから遊離する意識からどうやっていまここに「戻る」かだけです。
いつも瞬間にいる、いまここにいることではなくて、


いつも瞬間に、いまここに「いない」ことから、どうやって、どのくらいの頻度で、「戻る」か。戻り方がすべて。
フィオラが強く指摘する以上、こいさんの光の贈り物もあるし、
(私の場合は)これが正解なんだと思います。


「既にいまここに存在しているものと共に、あなた自身をこの瞬間に連れてくることを穏やかな心構えで覚えている」


いまここに既に存在するものと「一緒に」戻る。


いまここに既に存在するものは、「光・音・触覚」などです。
これらと共に、戻る。意識を戻す。
これを一日中やるつもりで「秒単位で戻り続け」
陰(かげ)のネガティブ感情を一つも残さず捕らえて、ひとつひとつ丁寧に感じ尽くす。
そして過去に「封印したものを発掘」する。
(ただ、秒単位で戻るのがつらくなった時は、できる時だけ、穏やかな心構えでですね)


止観について、ずっと迷ってきました。
一歩も動くな、と言われても、なぜかどうしても難しいと感じてきました。
その原因が過去の記憶の中に、ものすごい封印があるなら、発掘してみようと思います。


とてもネガティブにまみれた洞窟編(←誰も覚えてないかも)でしたが、
これにて終了します^^


思ったんですけど、○○編って書くと書きにくいのね。
自由が一番です。



そしてね、私が今夜一番書きたいことはこれです。
いまここというのは「専用席」なんです。1個だけしかないその人の専用席。


たとえばね、圧倒的な神秘体験も、神の絶対的幸福感も、すべてはこの「専用席」の中でしか起こってくれないんです。


だから、この「専用席」に普段座っている「それ以外の感情」「それ以外のちっぽけな人生の感情」「大人の諦観」「ため息」「絶望」そういったすべてに


どいてもらわないと神は戻ってこないんです。


この表現が語弊を生んだり、不正確なのは承知の上で書いてます。わざとです。唯一実在する瞬間に座れるのは、神か、ちっぽけか、この二つだけで決して両立(相席)しないんです。


私のように、神秘体験を取り戻したいと願う人間や、悟りの一瞥に執着する人間は、この表現じゃないと、理解できないと思ったんですね。


私の地獄は、それ(炎)がどこに消えたのか、失われたのか、という混乱だったんです。
これはね、本当に地獄に突き落とされた感覚に等しいんです。


もちろん、こいさんの「失われず現在進行形で続いている」という表現も正しいんですけれども、


(一度感じてから)神を感じられなくなった!と強烈に混乱しているマインドにはこの表現じゃないときっと理解できないと思うんです。経験からそう思います。


神の代わりに「いまここに座った日常感覚」にどいてもらわないと、神を体験する余地がないんです。この言葉に共感してくださる方はいるかなあ?私はこれ(構造・カラクリ)がわかるまでに、膨大な時間(四半世紀以上)をさまよいました。わかったのは昨夜なんです。
このカラクリがわかるまでは、全然別の方向を必死で、死にそうになるまで探してしまうものなんです。
いまこれを読んでくださっている方で、この表現に共感される方っていらっしゃいますか?


また明日です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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無題
こんばんは!

>>自分を裁く心。他人を裁く心。
どちらも「私たちの最後のライバル」です。
裁くから、許せない。いまを許せないんです。
「ある」という神の楽園の上で、私たちは裁きたくないのにいつのまにか裁く心に支配されています。無意識をやめようと努力するすべての人が、愛です。>>

この部分!
私があきらめた部分です(笑)
昨日nobodyさんとの意見が分かれた部分ですね

私は「聖人」はいないと思う
でもnobodyさんは「聖人」になることは可能
だと思っていらっしゃいますよね?

私の「聖人の定義」は
「私と同じように、あなたの事を認識する」
「私たちは同じものだ、という感覚が常にぶれない人」
「常に真我にとどまり、全てを意識的に行う人」
です

私もできるなら「自分を、人をさばく事」を
やめたいんです、もの凄い不快感ですから(笑)
でも「よしやめよう!」と思ってもふと気づくと
やってるんです。

だから私はこれは自我の機能の一部だから
本当の私じゃないから、と諦めたんです

もしマインドが「本当の私」だったらやめられるはずなのにやめられない、、、
だから私はマインドじゃない、これはマインドが
勝手にやっている事だと思って同一視しないように努めています

でもnobodyさんのチャレンジを見ていると
そこに挑戦してみようかなと思いました

だってワンネス状態を強く感じているとき、
私もあなたも同じなんだという感覚が強くなり
人も自分も裁く心にはなりませんから

常にこのワンネスにとどまる事
これは常に「今ここ」にいる、観照者の意識を
見失わない事で達成される事ですね

でもこれ、めっちゃ険しい山ですね(笑)
でも仏陀やキリストなどの完全覚醒者は常に
この境地にいたのでしょうね

これは、nobodyさんのおっしゃる様に常に「専用席」
に座り続けることしかないですね
マインドに「玉座」を渡さず「真我」が玉座に
座る事ですね

nobodyさんありがとうございます
これ、やってみます
わたしも「人をさばく心、自分をさばく心」
本当に嫌なんです
私たちの本質の真逆ですから

決して自己否定という罠にはまらないように
チャレンジしてみます
今日もありがとうございます!
こい 2013/12/13(Fri)02:58:10 編集
Re:無題
こいさん、こんばんは^^
今までこの日記にいただいたコメントの中で、一番嬉しかったです。
なぜかと言うと、nobodyは「てっぺん」を目指していないんです。
子供の頃の「勘」をどこまでも信じているんです。姿勢が個人的な執着なんです。この姿勢が、公開日記をしている以上、兄弟姉妹への霊性の道の妨害になるのではないかと怖れていました。
ですから、こいさんが「最高境地」を目指されるということ、この上なく嬉しいです。
もちろんご無理なさらないでください。今、これを目指す方は、私の知るかぎりはもちろんこいさんだけです。やってみる、で十分すぎます。何より嬉しかったです^^


>こんばんは!
>
>>>自分を裁く心。他人を裁く心。
>どちらも「私たちの最後のライバル」です。
>裁くから、許せない。いまを許せないんです。
>「ある」という神の楽園の上で、私たちは裁きたくないのにいつのまにか裁く心に支配されています。無意識をやめようと努力するすべての人が、愛です。>>
>
>この部分!
>私があきらめた部分です(笑)
>昨日nobodyさんとの意見が分かれた部分ですね


そうですね^^ですけれど、これから「覚醒ラッシュ」がおきます。
その時にね、誰かが「完全覚醒」について先導することになると思うんです。
なぜかというと天の計画(皇)は、この光が集中する時代を、最大に活かしたいと思っているはずだからです。
裁く心さえ終われば「溶け入る」ことができるはずなんです。論理や推測でそう思うわけではなくて、子供時代の体感の感覚です。


>私は「聖人」はいないと思う
>でもnobodyさんは「聖人」になることは可能
>だと思っていらっしゃいますよね?


聖人という定義がこいさんのその定義だと「可能」だと思います。
もちろん、それができたのは伝説の人物ばかりですので、実際できるかどうかは一生かかっても「わからない」可能性もあるとは思います。ただ、その努力がご本人の無駄になるとも決して思えません^^


>私の「聖人の定義」は
>「私と同じように、あなたの事を認識する」
>「私たちは同じものだ、という感覚が常にぶれない人」
>「常に真我にとどまり、全てを意識的に行う人」
>です


愛は対等なもの同士にしか流れません。
こいさんの、この定義には感動しました^^
こいさんが一瞬でこの定義を出せるということはそれだけ近づいているということですよね^^決して「不可能」目標ではないです。それこそ理論上は「可能」なのは間違いないでしょう?^^


>私もできるなら「自分を、人をさばく事」を
>やめたいんです、もの凄い不快感ですから(笑)
>でも「よしやめよう!」と思ってもふと気づくと
>やってるんです。


これ、全員の「本質」なのではないかと思うほどに、全員がそうですよね。
おっしゃるとおりです。


>だから私はこれは自我の機能の一部だから
>本当の私じゃないから、と諦めたんです


これはね、人間としては何も間違っていません。こいさんのその観測も、ご意見も、真摯であり、正直であり、十分努力された上であり、誰もこれ以上進めとは言わないです。天さえも。
でもね、ハイアーセルフは「これが可能であることを知っている」んです。
そして私たちに、「挑戦するか?」とは問いかけるんですよ。
彼らの観測では、「それが実現できる保証はどこにもない」そうです。一生かかっても。でも「挑戦するか?」と。そこに山があることだけは教えてくれるという、なんとも厳しいエベレスト登山のお知らせみたいなものですね^^


>もしマインドが「本当の私」だったらやめられるはずなのにやめられない、、、
>だから私はマインドじゃない、これはマインドが
>勝手にやっている事だと思って同一視しないように努めています


100%正しいと思います。
マインドは言うことを聞いてくれません。でもね、大いなる愛の目からは「裁き」は生まれないはずなんです。大いなる愛への完全移行は可能か?ええ、可能でしょう。だからエベレストですよね^^


>でもnobodyさんのチャレンジを見ていると
>そこに挑戦してみようかなと思いました


こいさん、とっても嬉しいんですけれど誤解なさらないでくださいね^^;私はこいさんの覚醒を追いかけている立場ですよ。止観に挑戦し、過去の封印を、原初の傷を探そうとしている人間です^^私から見ると、こいさんは「はるか前方でエベレストやってみようかな…」っておっしゃっているので「ええーっ!!こいさんすごい!!フィオラが予告する人とはやっぱりこういう人のことなんだなあ」と無責任に感心してる感じですよ?^^;


>だってワンネス状態を強く感じているとき、
>私もあなたも同じなんだという感覚が強くなり
>人も自分も裁く心にはなりませんから


おっしゃるとおりですね^^


>常にこのワンネスにとどまる事
>これは常に「今ここ」にいる、観照者の意識を
>見失わない事で達成される事ですね


その体感の早さに、私はめちゃくちゃ感動してます^^
こいさんは、すごいです。尊敬します。


>でもこれ、めっちゃ険しい山ですね(笑)
>でも仏陀やキリストなどの完全覚醒者は常に
>この境地にいたのでしょうね


おっしゃるとおりです。一応、本文でももう少し書けないかと書いている途中です^^


>これは、nobodyさんのおっしゃる様に常に「専用席」
>に座り続けることしかないですね
>マインドに「玉座」を渡さず「真我」が玉座に
>座る事ですね


玉座という表現。それください!^^すばらしい!
今度記事でぱくろう。そうです。玉座に君臨し続けることだと(思います)^^


>nobodyさんありがとうございます
>これ、やってみます
>わたしも「人をさばく心、自分をさばく心」
>本当に嫌なんです
>私たちの本質の真逆ですから
>
>決して自己否定という罠にはまらないように
>チャレンジしてみます
>今日もありがとうございます!


とんでもないです。いつも驚かされているのは私なんです。
決してご無理はなさらないでくださいね。いまのこいさんが、完璧なんですから^^
今日もありがとうございます^^
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