人生のシステムの理解が誤っている


たとえばAさんが非常にBさんを嫌いだとします。Bさんからは距離をとり、道徳的に常識的に「悪」であるBさんを心の中で痛烈に批判します。私が善だ。Bさんは悪だ。


違う場所に行くと、なぜかBさんと非常によく似たB似さんに出会います。もちろん距離をとります。B似さんを心の中で痛烈に批判します。私が善だ。B似さんは悪だ。


違う場所に行くと、なぜかBさんと非常によく似たB似すぎさんに10人出会います。囲まれてしまって今度はなかなか距離をとれません。この時、Aさんはどうするでしょうか?


なんだこれは!人生どうなってるんだ!
なんで私だけがこんな目にあうのだ!?


科学的には「考えにくい」偶然の連なりです。答えは非常に簡単。偶然ではないのです。
Bさんというのは「台本上の舞台役者」であり、筋が違う反応をされたら、舞台が進まないのです。


筋とは何か。AさんがBさんに愛をみることです。
BさんはAさんから見て欠点だらけかもしれない。Aさんも実はそうです。どちらもお互いにいいところがあります。愛からは完全性しかありません。二極性からは誤認しか生まれません。


Aさんが見ようとしていないのは「Bさんの本質」と「Bさんの渇きと涙」です。
攻撃とは防衛意識であり、平たく言えば「私を愛してください」です。
これが家族だろうと、親戚だろうと、友人だろうと、同僚だろうと変わりません。


Aさんが何をどう見ようと自由です。
ですが、Aさんの本質は「愛」であり、Aさんが現時点で何を信じ込んでいようと変わりません。自分にも周囲にも「愛」を見ないということはAさんの本質に「違反」しているのです。


この違反切符は警察とは違って逃げ切れません。
最高裁判所とは違って冤罪は生まれません。


なぜかというと、胸の中心奥にボスがいるからです。
大いなる愛、皇は死後にフィードバックを行い、人生計画の全てを練る親玉です。
舞台脚本家はこの親玉です。しかも、舞台監督であり、俳優のあなたと共に胸の中心からいつも演劇を「味わって」います。騙しようがありません。騙せないというこの認識は重要です。人は騙せるかもしれません。自分も短時間は騙せます。愛は決して騙せません。一秒たりとも無理です。全部見ているのです。


この人生のシステムは実は非常にシンプルです。
Aさんの本質は愛。Bさんの本質は愛。Cさんの本質は愛。他どんな人も以下同文です。
この人たちを箱庭のような世界に詰め込み、
「いまこの瞬間」に「愛をみる」かどうかを一斉実技テストしているのです。
たとえなにがあろうと、どんなものを見ようとそこに「愛をみる」かをテストしています。


(今回のタイトルは理解が「誤っている」と書きましたが、すべての人の理解は正しいとも言い換えられます。どんな世界観もその人にとっては正当であり、真実であり、虚空が認める別々のゲームです。ですが愛は人の本質なので時間短縮になるのです)



こいさんのコメントに思うこと


こいさん、いつもありがとうございます。こいさんの説明は非常にわかりやすく、しかも重要な点ばかりなので皆さんとシェアすべく、ここで私の思うことを書きますね。


神秘体験で少なくともワンネス、神の実在、不生不滅、無限の愛、大抵このくらいまでは思い出しますよね。その後その体験は「解除」されます。
ここに注意していただきたいんです。
「神の現実」を思い出した時の認識と照らして、なぜそれが短時間で感じられなくなるんでしょうか。神の現実は不変で永遠なのに、です。


それは満月を覆う雲のように、「無知・無明」のエネルギーが私たちを覆うからです。
空が変わったのではなく(空は静止ですものね)、私たちの玉座が、無知・無明に覆われているだけです。


肉体の内側に「内なる光」があり、外側に「外なる光」があり、光が合流していたのに、
その中間に「自我の膜」があって、膜に意識(波)の焦点が当たってしまい合流が解除されるというバーソロミューの比喩も的確です。私たちの魂が求めているのは「光の合流」であり、合流を阻止する要因を見つめるためにここに生まれてきたと言えます。


この自我の膜は、幻想でしょうか?実在でしょうか?空からは幻想ですが、人間からは実在そのものです。空から幻想であるというのは「伝説級の完全覚醒者」以外にはまったく意味をもちません。日常ではまさに実在です。


日常を生きる人間にとっては、「無知・無明」に意識の光を照らすことこそここで生きる学びの核心です。常にある「神の現実」を感じられなくしている別種のエネルギーがあるのです。


もちろん「自分」などという存在はいません(空から見て)。いませんが、個別の魂(星の階層)はあります。空(虚空)と魂(星)の階層をごっちゃにすると混乱します。


覚醒とは、「誰が」現実なのかを見極めるターニングポイントです。空です。でも、偽者がゲームのキャラクター、単なる舞台俳優であることが判明しても、彼(彼女)で生きるか、空に任せるか、常に二択を突きつけられることに変化はありません。


瞬間二択です。ここで役者に操作権を渡してしまうと、大混乱に陥ります。これこそnobodyの軌跡です。
炎を「取り戻したい!今すぐに!」←(この矛盾に本人が冷静に気づかなくてはなりません。体験の中に神をみつける時、「どのような意識状態」でしょうか。必死でしょうか。リラックスしているでしょうか。部分を注視しているでしょうか。指向性でしょうか。視線はマインド側からでしょうか。空でしょうか)
私は取り戻すまで「諦めない!」「私から」の行動で見当外れの方向を探し回る。
無明が復活します。無知・無明を増大させる恐怖のパターンが再開されます。


思考観察が優れているのは、ここからです。
ほんの少しでも「違和感」を感じるのなら、「おかしい」のです。
ほんの少しでも「疑問」を感じるのなら、「おかしい」のです。
それは既に神の現実を覆う雲です。雲から発生する異音です。
これに雲で対処はできません。一生懸命対処しようとしても逆効果です。
雲には何も「できない」「掴めない」または「抵抗を成功させる実態がない」という学びこそ、ターニングポイントです。


「空」だけが、「空」を自覚し、すべての問題を解き放つ答えとしてのあり方です。


どうせあれですよ。マインドが必死で試行錯誤したことよりも、空の方がすごいんですよきっと。なんにもわからないいまを口笛吹いて能天気に歩くのが旅の醍醐味ですよね^^
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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