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体験「のみ」とはどういうこと?


ひとつ。それが真実です。
つまりいま「ふたつ以上」に見える人は混乱があるということです。私を含め大体みんないつも混乱しているので問題ありません^^


今、70億人の人間がいるとします。
それぞれ別のものを見ているし、信じている。
ですが、みんな等価値です。みんなが愛です。
みんなの混乱のすべてまで含めて「ひとつ」です。


混乱という不純物が混じっているのは完璧とは程遠いと美的感覚的には思えますが、不純物など「ない」んです。


神(虚空をそう呼ぶなら)は「自由」です。
ありとあらゆる「潜在的可能性」であり、宇宙の大きさを見ればわかるとおり、無限という範囲の広さは誇張ではありません。どこまで創造しても果てがないんです。



それに対して一人一人の個人にわかっていることは、「今この瞬間の自分とその周囲だけ」です。
「気づける範囲」だけです。この範囲が拡張しないと言っているわけではありません(信じられないほど拡張し無限をみんなが思い出すことになります)。


いま日本にいる人にとって「アメリカ」という国家が実在しているかどうかは「わからない」のが真実であって、「あるに決まっている」というのはこの瞬間の思考に過ぎません。


ここに無意識なんです。私たちが体験している世界は10メートルほどの知覚範囲が現実であり、あとは「思考」で構成されています。


この「思考」は「予想」「予測」「記憶」「捏造」などであって、信頼に足りません。あくまで確かなのは「今気づける範囲だけ」です。



Aさんが隣町のB町まで片道30分の散歩をするとします。
Aさんにとっては過去30年の経験を通じて「知り尽くした道」です。
過去にこの道が通れなかったことはありません。木々の色や、屋根のかたち、そういったものに注意を払わなくても「歩ける」と当然思っています。


ところが、道の途中でAさんは突然消えてしまいました。
道が途中で断絶していたのに気づかずAさんは落下したんです。



Aさんの「知り尽くしている」という「思考」はただの幻だと判明します。
正確に認識するなら「いまはどうなってるか知らない」だったんです。


知っている、わかっているという範囲は「今の知覚範囲」であって、それ以外のことはわからないんです。過去の体験などもわかりません。


この「今の知覚範囲」が「ひとつ」であり、与えられている贈り物です。
これに「例外」はありません。
70億人いようと、一緒です。


この「ひとつ」がBさんはゴージャスなプール付の豪邸でくつろいでいて、
Aさんは落下の衝撃で足を骨折していても一緒です。


Bさんのいまも愛100点満点。
Aさんのいまも愛100点満点です。これが不公平に見えるのは、「人間の解釈」であって、偶然で配置されている事象ではありません。台本どおりに起きていることなんです。より大きな意味の中で配置されています。(これは自分で真実か確かめるしか確認する方法がありません。導きを求めればその証拠があなたにしかわからないかたちで現れます。やってみてください)


今あるものがあるのであって、この「ひとつ」の価値は等価値です。


ひとつ。
つまり「私」は「ある」は間違いということです。
ただ「ある」のであって、「私が幻」なんです。
(ですが魂の階層はあります。魂は全部の魂がそれぞれの個性を持ちながら連結しています。個性の一つ一つが他全員への贈り物となるようになっています。この光のオーケストラを見れる範囲まで意識が拡張し思い出すと、それがどれほどの神の計画でありプレゼントだったのか体感します)


私は体験している。これも間違い。
ただ「体験のみ」これが真実です。

(私は)いま「掃除中」を例にあげると、「掃除中」のみ真実であって(私は)の部分は思考の生み出した錯覚です。覚醒すると(私は)が消えます。



なんで「ありのまま」なのか、「体験のみ」だからです。
抵抗を成功させる「私」はいないんです。それは「思考の錯覚」です。
この「体験のみ」に対してええとーこれは「気づき」だからとか言い出すとまた見失います。
つまり求道者とは「思考」のうそを自分で発見する人たちなんです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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