無執着が制御をもたらす


メリークリスマス!え?プレゼントですか?…


プレゼントは「いま」という意味もあるんですよね。いまは贈り物。
サンタさんのプレゼントがいまほしいものであれば、子供は喜びます。
本気で喜ぶ姿が、贈った人にも贈り物を与えます。
大人はどうでしょうか。


いまという贈り物に本気で喜んでいるでしょうか。
快と不快の体験というのは、実はありません。
マインドはそれらを区別しますが、真我は何が来ようと本気で喜んでいます。


その喜び方は、純粋で、愛、歓喜、躍動に満ちています。


マインドに解釈させずに、真我が受け取れば万事解決です。


フィオラがおもしろいことを言ってました。

「負けるときは、ここまで負けることってあるの!?というぐらい全力で負けなさい。及び腰にならないでください。いまを、神を信じなさい。それが完全性への道です」


無執着というのは「いま」にしか出現しないあり方です。
いまに開いているということは、そのままコントロールのすべてを放棄せざるを得ないんです。
なんでもありのままに受け取る覚悟ができたということです。
リアクション芸人なみのリアクションになっても構わない。どんな自分でも宥し、どんな世界でも宥すということです。


努力はした。でも結局わからんかった。
制御しようとした。でも結局できんかった。


そして、やっといまに開きます。
しゃあない。わからん。しらん。


ここにはないだろう。こんな状況にはないだろう。
その考えが自然に止まります。だってそれは思い込みだもの。思い込み続けようとするエネルギーが止まって「心から観念した人」をエゴがどうやって騙し続けることができますか。


何かを選択しなくてはいけないというエネルギーが止まります。
何かを変えなくてはいけないというエネルギーが止まります。
優位性を証明しなければならないというエゴの価値観は崩れ落ちます。


みんな、今この瞬間に祝福されています。
無執着はエゴにとって怖ろしいですが、実際にやってみないと制御をもたらすかどうかはわかりません。決して言うことを聞かなかったマインドはおとなしくなるでしょうか。


執着をしないようにしよう(捨てよう)ということではないんですね。いまに開くと結果的に執着はできなくなるということです。特定のものに執着するのではなくて、全部にいま穏やかな視線を注いでいるということです。流れる川のようでありながら、意識はここにある。


この日記は本文よりも、今までにコメントしてくださった皆さんの体験のシェアの中に価値のあることが散りばめられていると思っています。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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