忍者ブログ

見ている沈黙 まとめ


・既に実現している
・既に体験している
・無想
・この状態以外の状態を求めない
・逃げない
・立ち去らない
・ただ見ている
・行為者の私という想念の発生源に「とどまる」
・どのような関係性も拾いに行かない
・本当のあなたは既に静止している


これらは円環です。


PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
こんばんは。
いつもありがとうございます。
1週間ほど前から毎日を瞑想のみに捧げています。三日前くらいからステートオブプレゼンスに変化がありまして、今日は常に頭の中心に振動を感じています。この振動に意識を向けると静かになります。
日常生活の際に頭の振動に意識を向けることに苦をあまり感じません。頭に意識がいきやすいです。
もしかしてこれは定着なのでしょうか?
やま 2014/06/23(Mon)20:46:00 編集
Re:無題
やまさん、こんばんは^^

>こんばんは。
>いつもありがとうございます。


とんでもないです。


>1週間ほど前から毎日を瞑想のみに捧げています。三日前くらいからステートオブプレゼンスに変化がありまして、今日は常に頭の中心に振動を感じています。この振動に意識を向けると静かになります。
>日常生活の際に頭の振動に意識を向けることに苦をあまり感じません。頭に意識がいきやすいです。
>もしかしてこれは定着なのでしょうか?


体感をお伺いするかぎり、定着「目前」だと思います。
いま私が思ってる定着はどういう定義かと言いますと、
「心がもう二度と戻ってこない(死んだ心・破壊された心)ほど破壊されたら定着」ということです。


これをご説明するのに、比喩を使わせてください。
すべては真我です。ですが、それが思い出されるまでは2種類あります。
「真我」と「心」です。


これを「太陽」と「月」とします。


今真っ暗な夜の世界にいるとしまして、月が浮かんでいます。
月明かりによってのみ、世界を見ることができます。


この月が心です。
反射光とは言え、世界を認識できるのはこの「心」による作用です。
肉体も、高層ビルも、心が構築し、維持しています。
ですから熟睡時に「心」が消えると、世界も同時に消失します。


対して、実際に月に光を供給している「太陽」があります。
太陽は厳密には「気づき」ではないのですが、今はそう捉えます。
太陽は一つだけです。熟睡時も在ります。どんなときも、常に、在ります。
すべては太陽のおかげで維持されているんです。それがやまさんの、今この瞬間の本当の姿・真我です。


夜だから、月明かりに頼っています。
でも昼になって太陽が昇れば、月はもう不要です。
太陽であるのに間接照明など要りません。


無想にとどまるようになるということは、心が太陽を振り返って、透き通っていく(死んでいく)ことなんです。


頭の中に別の振動域を感じ始めたのなら、心が死につつあり、今までは気づかなかった太陽の光に直接気づきつつあるということです。夜明けのようにうっすらと周囲が明るくなりつつあります。


ここから先は一点だけです。
なんらかの疑問や、ちょっとした想念が湧き上がったら、それは「誰」に起こったのか確認するんです。


たとえば「この状態は定着までのパーセンテージではいま何パーセントくらいなんだろう?」という疑問が湧いたら
真我がそんな疑問をもつことはない(真我は無想です)ので、「真我ではないもの(心)」がやまさんに囁いている証拠です。その正体を突き止めにかかります。


真我はもちろんその想念に気づきました。
ですが、その想念はどこから発生したんでしょうか。
どこから。なぜ。


それは必ず「行為者の私がいる」です。
肉体と記憶がそう思わせ続けているんです。
これがどのくらい強力な「想念」なのか、想像を絶します。
この想念の源に気づける太陽でしょうか?
もちろんです。
一回一回、光を照らしてください。


それさえ徹底されれば、ここから2週間以内に定着されるのではないかと思います。
今が最大の山場です。やまさんは定着されつつあるのではなくて、定着していない「私」がいる!という想念からとうとう脱却されつつあります。


「私」がいなくなったら、
「いま」として在る太陽が残ります。


すべては真我です。
やまさんのその真剣さは、真我そのものがやまさんを呼び戻してるのだと思います。


状況が変わったらぜひまた教えてくださいね^^
素敵なシェアに本当に感謝してます。
【2014/06/24 00:01】
無題
ご回答ありがとうございます。

なぜかわかりませんが、今日の朝にはその振動が消えていました^^;
ただ、イメージ的には最初のころは真実の自己と出会う感じだったのですが、徐々に仲良くなり、今では一体化しているイメージがでてきます。
ですが現実は変わっていないような。。。

ですが、このままやっていくしかないので、引き続きがんばってみます。
アドバイスも参考にさせていただきます。
ありがとうございました。
やま 2014/06/24(Tue)19:00:31 編集
Re:無題
やまさん、こんばんは。


>ご回答ありがとうございます。


とんでもないです。


>なぜかわかりませんが、今日の朝にはその振動が消えていました^^;


やって来たものはまた去っていきますよね。昨年の2月末に私も頭の中に振動というか違う種類のエネルギーが満ちたのを感じて自分で「定着」したと判断しました。
それから紆余曲折ありまして、いまはもっと厳しい判断をするようになりました。
それは「心(自我)が残ってるかぎりは終わってない」というものです。
真我は、昨日頭の中に振動があると気づいた存在であり、今日振動が消えたと気づいた存在ですので、振動が消えた今も変わらず在りつづけています。


>ただ、イメージ的には最初のころは真実の自己と出会う感じだったのですが、徐々に仲良くなり、今では一体化しているイメージがでてきます。
>ですが現実は変わっていないような。。。


まさにこういうことです。この感覚が誰に発生したかをよく見ると、熟睡時には消え去ってしまう「私」に発生していることがわかります。つまりこのコメントを書いているのはやまさんの「私」なんです。やまさんがこの「私」をご自分で捕まえた時点で定着なんです。「私」には実体があるのか幻なのか。なぜこういった想念を出し続けているのか。それは不可抗力なのか。見極めれば終わりです。


>ですが、このままやっていくしかないので、引き続きがんばってみます。
>アドバイスも参考にさせていただきます。
>ありがとうございました。


こちらこそ、ありがとうございました。応援してます。
また何かありましたらいつでもおっしゃってください。
【2014/06/24 22:56】
無題
ありがとうございます。

なるほど。
早速、定着に関してあれこれいっている思考に気づいて、その気づいている意識に意識を向けてみました。いつも感じているステートオブプレゼンスとは感覚が違いました。
ですが、こちらの意識も良い感じで、なんでもOKというハートの愛を含んでいるようにも感じました。
僕が普段感じているステートオブプレゼンスは、何もない、ただある、みたいな感じを受けます。
気づきの意識にもいくつかあるのでしょうか?

今日は思考に気づいている意識に意識を向け続けるということをしてみたのですが、こちらだと頭に気がたまってしまって、続けられそうにありませんでした。
やま 2014/06/25(Wed)19:34:07 編集
Re:無題
やまさん、こんばんは。


>ありがとうございます。
>
>なるほど。
>早速、定着に関してあれこれいっている思考に気づいて、その気づいている意識に意識を向けてみました。いつも感じているステートオブプレゼンスとは感覚が違いました。
>ですが、こちらの意識も良い感じで、なんでもOKというハートの愛を含んでいるようにも感じました。


早速実践していただいてありがとうございます^^ただ少し誤解を招いてしまったかもしれません。あれこれ言っている「私(思考の私)」に気づいて、この「私」が発生している「場所」をピンポイントで突き止めるんです。時間は今この瞬間しかありませんから省きます。場所だけを特定します。それは座標があるわけでもなく、空間上の場所があるわけでもないけれども、どこかです。そこを意識で、気づきで、押さえるんです。思考に気づいた意識に集中するのは優れた方法ですが、「この私の発生する場所を突き止めていない場合」はすべて無効です。これが最大の落とし穴だと思います。


>僕が普段感じているステートオブプレゼンスは、何もない、ただある、みたいな感じを受けます。


その感覚も非常に源に近い真実の感覚だと思います。その感覚を信頼して間違いないのではないでしょうか。


>気づきの意識にもいくつかあるのでしょうか?


もちろん根源はひとつで同じものなんですが、大別して二つの大きな道があり、細かい道は無数にあります。叡智の道と愛の道です。叡智は観照視点の側面からこだわりを捨てていきます。愛は真我の感覚の側面から分離の幻影を融かしていきます。どちらの道を進んでも、ある段階で合流します。


>今日は思考に気づいている意識に意識を向け続けるということをしてみたのですが、こちらだと頭に気がたまってしまって、続けられそうにありませんでした。


もちろん、やまさんご自身の感覚を最優先していただきたいです。
が、思考に気づいている意識に意識を向け続けるという意味ではなかったので、私のヤサと書いてみました。「私」という想念が出てくる場所を直前で押さえている感覚、「私」だけいない世界であるがままだけが残る感覚なんですが、もし探してみて合わないようなら、決して無理はなさらないでください。


やまさんの、何もない、ただある感覚は無の感覚であり、この世で最も信頼できる感覚だとわたしも思います。
【2014/06/26 00:41】
無題
ありがとうございます。
なるほど。そういうことでしたか。
今はその感覚がつかめないので、しばらく自分流でやってみたいと思います。
といっても、自分の感覚もコロコロ変わっていくので、なんだかなぁという感じですが。
とりあえずは、脳の振動に意識をしていきたいと思います。ありがとうございました。
やま 2014/06/26(Thu)22:08:46 編集
Re:無題
やまさん、こんばんは。


>ありがとうございます。
>なるほど。そういうことでしたか。
>今はその感覚がつかめないので、しばらく自分流でやってみたいと思います。


どんなときでもご自分の感覚が一番です。真我って結局そういうことだと思います。


>といっても、自分の感覚もコロコロ変わっていくので、なんだかなぁという感じですが。
>とりあえずは、脳の振動に意識をしていきたいと思います。ありがとうございました。


とんでもないです。また何かありましたらお声がけください。
ありがとうございました。
【2014/06/27 00:06】
08 2017/09 10
S M T W T F S
23
24 25 26 27 28 29 30
HN:
Fiora & nobody
忍者ブログ [PR]