心と対象。それらはセットです。
何かモノを見るとき、もう心があるんです。
心がないとき、対象もありません。


昨夜熟睡したとすれば、昨夜眠っていたのが本物で、今朝起きて今活動しているのが偽者です。
本物は今この瞬間も在りますが、上にシールのように偽者が貼りついています。
それが心です。


これが問題なのは、対象を見る時点で「私」がいると感じていることです。
行為者の「私」が見ている、と自動的に「想念」を潜ませています。


自我を「私」、真我を「わたし」と書くなら、
私で見ることなく、わたしで在ることです。


わたしで在ることをどのような感覚と結びつけてもうまくいきません。
わたしというのはどのような状況でも「ただある」のであって、共通点などはありません。
逆に「私」を見極める(私「で」外側の対象を見るのではなく)ならば、わたしだけが残ります。


ただあることに熟練しようとする必要はありません。そしてそれは無理です。
無想も沈黙も静寂も放っておけばいいんです。


偽者の「私」を見つけて排除すればいいだけです。


私を見極める。わたしで在ることによって。


私が問題そのものであることを「私」がどうやって認識するのでしょうか。
「私」には無理です。
わたしだけが「私」がやらかしていることに唯一気づけるんです。


在ると無想になるから、無想を判断基準にして
わたしかどうか確かめます。
想念が出てくるのは私です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody