私のヤサ


私+動詞
たとえば「(私は)テレビを見る」は、想念として正確に言うと
「行為者の私がいる」+「その私がテレビを見る」になります。
(「わたしは在る」の真我の存在感覚とはまったく違います。ただの想念の「私がいる」です)


どんな想念を抱こうとも根っこの想念は「私」がいるなんです。
想念の親玉、源は「私」という想念です。


この「私」が消えると、想念全体が消えます。


「私」に気づいている意識に集中するのではなくて、
言葉どおり「私」という想念を調べるんです。


それは「私」という想念の発生が


「どこ」からなのか


見極め、その場所を気づきとして、占拠することです。
その場所を分捕ってしまうんです。


比喩で言うと、ネズミが出てくる穴があるとします。
ネズミが「私」です。


穴を見つけて、穴をふさぐように立ってください。


そうすればすべての想念が止まります。


マルヒ(被疑者)のヤサ(家)の特定


これだけで事件は解決します。
というより、このヤサこそ人が探しているホーム(家)なんです。



1、2、3、4、5・・・と、声に出さずにゆっくりと、頭の中で1から40まで数えた後に、40、39、38、37、36、・・・と、声に出さずにゆっくりと、40から1まで頭の中で数えていきます。数を数えているときに思考が生まれたら、その思考が消えるのを待ち、思考が消えたら、途切れた数字から数えることを再開してください。1から40まで数えて、40から1まで数え終わったら、終了です。


・ ・ ・ できましたでしょうか


頭の中で数を数えているとき、頭の中に浮かぶ数字の文字を見たり、数字を音読する声を聞いたりしていたのは誰ですか?頭の中に浮かんだその思考に気づいたのは一体誰ですか?その思考が消えるのを待っていたのは一体誰ですか?


というおもしろい誘導がありました。
観照視点に気づくのに有効です。


観照視点は後天的に獲得されるものではありません。
万人が先天的に持ちあわせています。
観照視点を強調する理由はひとつだけで、
心との同一視(肉体・思考・感情との同一視)と異なる軸があることに気づいてもらうためです。


肉体・思考・感情とはズレた「客観的視点」が誰にでもあるということです。


気づきの意識は比喩で言えば


実在=太陽
観照視点=鏡
肉体・心を含む物質世界=反射


太陽・鏡・反射だと思います。


実在とは、「あらゆる表現の否定によってしか指すことのできないもの」であり、
すべてを可能にするもの(自由)、一ですらないもの、I AM THAT I AM(わたしはわたしで在るもの)あるがままです。これが万人の本当のわたし、真我です。これが「存在するすべて」です。


愛というのは、実在が分離も区別もないために常に感じている感覚です(人間がこれを常時感じられていないのは「私」という自我の錯覚に巻き込まれているからです)。
存在・意識・至福と呼ばれる至福の境地です。


反射は、この世だけでなくあの世やその住人である意識存在も含まれます。


なぜ無知だけが生まれ変わる(輪廻転生)かと言うと、
実在を知るものは生まれないし死なないことを知っているからです。
行為者だと誤解できる意識のみが新しく生まれた(と錯覚します)
その誤解ができなくなったとき、真我の知識のなかに完全に確立したときが真我実現、無知の消滅です。そのときだけ(地球上への)転生は終了します。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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