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目の前で刃物がちらついて


あなたが暴漢に襲われるとします。彼は刃物をもっていて、あなたを刺そうと至近距離にいます。


このとき、「どのあなた」で対処するのかという話なんです。
思考するあなたは多分論外です。刺される可能性が高いです。
ではそのとき虚空(本当のあなた)はどう感じているんでしょうか。


「ウィルバー哲学に思う」さんより引用させていただきます。
清水博著「生命知としての場の論理」(中公新書)P167柳生新陰流第21世宗家の柳生延春氏との対談 「無形の位(むぎょうのくらい)」について


引用はじめ



柳生:まず、どんな截相(きりあい)においても「無形の位」が基準で、実際の技としての働きが「転」(まろばし)と考えるんですよ。つまり、技の前に「無形の位」がないと駄目です。自分がそういう状態でないと、敵に対したとき、勝つべくして勝つことはできない。心身共に「無形の位」で対するから、敵の動きを見て、「転」で勝てるわけです。


清水:無限定的な状態からの創出ですね。


… 柳生:まずは、「無形の位」でいなければならない、ということです。相手に対して「無形の位」にあるということは、先入観念をもたないということです。先入観念をもちますと、自分勝手で独善的になってしまいますから、相手のことを正確に捉えられないということになりますので、「無形の位」がどうしても必要になります。



引用おわり


今年に入ってから出会った表現の中でこの柳生延春氏の発言(太字の部分)がnobodyにとっては一番印象に残ったものの一つです。


刃物が目の前にある極限状況で「どんな先入観念ももたない」


位(くらい)に「とどまる」ことを優先する


ということです。位(くらい)拍子(ひょうし)に勝る、の位です。


勝海舟の言葉とも通じるものがあります。
「いわゆる心を明鏡止水のごとく、研ぎ澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うてきても、それに対処する方法は、自然と胸に浮かんでくる。いわゆる物来たりて順応するのだ。おれは昔からこの流儀でもって、 種々の難局を切り抜けてきたのだ」


青い方からもよく言われていました。
状況分析や解釈をするべきとは言ってません。発覚に「とどまる」のです。


ニサルガダッタはこう言います。
「あなたのマインドのバランスは、的確に正しいことをすることを基本に、瞬間から瞬間へと活動的でなければならない。成長することに反抗する子供のようであってはならない。型にはまった身振りや態度は助けにならないだろう。完全にあなたの思考の明晰性、動機の純粋さ、行為の高潔さのみを頼りにしなさい」


彼らは


持つな


と言っています。



夏にぴったりのひんやりする怪談話が増えてきましたよね。


何度か書いてますが、私は怖いもの見たさでホラー好きです。
フィクションだから見れるのであって、実際の幽霊は今でも死んでも見たくありません。


スピリットには大まかに二種類いるみたいで、
愛と叡智に満ちているタイプとそうでもないタイプがいるそうです。


愛と叡智は相関関係にあり、叡智があるもので愛があまりないという霊はほとんどいないし、逆もまた然りです。


接触した時点で、「愛が感じられる霊」かどうかが重要です。
人は死後もあまり性格や気質が変わりませんから、死んだ途端生まれ変わったように性格が良くなるということはないそうです。穏やかにはなるそうですが。


人に色々いるように、霊にも色々いるということです。


幽霊と呼ばれるのは一般的にまだ成仏していない何らかのトラブルを抱えている霊です。
愛に気づいていないからトラブルを抱えているとも言えます。


こういった霊に万が一遭遇した場合の対処は一つです。
「愛」のエネルギー(それをどう想像しても)で自分を包み、相手とともにあるということです。エネルギーの流出をくい止めるのは愛です。愛は止血剤です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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