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以前トシさんに全体的思考というものが存在するだろうかというご質問をいただき、私は全知の境地以外は特にないと思うとお返事しました。でも今日別の見方をしている方を見つけました。「全体的思考も存在する」と。
一般的な思考に潜む動機(怖れや疑い)と調和した上で、思考を使うことでそれはできるとの見方ですね。私もこれが本当かどうかやってみます。


Nicky Hamid
感じる前に何でも頭で解釈するのを止めることについて考えてみてください。「流れの中にいる」というのは、ハートで知ること、それを感じて知ることを言います。分析をして何とか意味を探り出して断定しよう、頭で分かろうとする時は、怖れているか、疑うかしているのです。


シフトは、意識的に高い地点に立ち、愛のこころでいて、波動が高くなることを言います。今、そういうことをしています。愛を選び、喜んでそれを経験することによってシフトするのです。恐れをただあるがままに感じ、穏やかに知って、ハートで感じるのです。そういう選択によって、その瞬間に望む現実を創るのです。その際に頭をつかうのです。なぜ起きたのかを追求して分類するのではありません。そうして初めてメンタル的思考を組立てることができます。その場合の思考は高い周波数に基づきながら常に愛と喜びの周波数に味付けされるのです。


的を外さないでください。


一歩一歩輝いてください。


I So Love You



光のカーテンを紐解く


今日心臓の動きを意識的に維持して生きたという人はいるでしょうか。医療行為を除けば皆無でしょう。今日心臓が動いたのは誰にとってもコントロール外だったということです。


今日は与えられたんです。勝ち取った人は一人もいません。
いついつまで与えられるという約束を神様とした人もいません。


わたしたちにわかるのはいまを与えられていることであり、今日が最後の日になるかわからないまま生かされています。


今日が与えられたということは、今日出会った人との関わりもすべて与えられたということです。


人がいる、ことがどんなに心強いか、食べられることがどんなにありがたいか。


それらを粗末に扱うとき、人は与えられていることをただ単に忘れています。


「今日は昨日と似ていると思いながら生きている」という人はいるでしょうか。


人は1日に60,000もの想念を発生させ、今日考えたことの9割は昨日考えたことと同じだそうです。54,000は持ち越し、再発生させているわけです。


「同じことの繰り返しだ」と思いながら生きているのは、客観的事実ではなく、先入観であり、生きる態度です。


受け取る態度です。
自我が自力で生きているつもりになるとき、感謝は自然と干上がってしまい、牢獄に寝起きしているような感覚が生まれます。


わたしがイタリア人に出会って一番背中を蹴られたのがこういった点でした。
ガシガシ。ガシガシ毎日蹴られました。


あなたは今日が人生最後の日なら、人を恨むのですか?
恨まないのなら、ふだんどういうつもりで今日を受け取っているのですか?
あなたに一人一人の涙がわかるのですか?
出会う人々の生まれたときからの事情、家庭環境、悩み、苦しみ、葛藤のすべてがあなたにだけは手に取るようにわかるのですか?
これらの問いに答えてなお、私には人を断罪する権利があると本気で思えるのですか?
今日に、出会いに、自主的に感謝できていないのはなぜか自分で見ようとしたことがありましたか?


愛と涙は同じものです。あなたにわかりますか?


そう聞かれたときもしばらく身動きできなくなりました。
言われるまでまったく気づいていなかったからです。


ある日観念して、いままで出会った全員に感謝すると天に降参しました。


その日から3日かからず、私は愛がすべての形状を通して
これまでの人生でわたしとともにあったこと、いま目の前にともにあることを感じるようになりました。


鳥の鳴き声がなぜいままで愛そのものだと気づかなかったのか、不思議に思うようになりました。


そしてああー生まれ変わったぞという気分でファミレスでご飯食べてたんです。
そしたら隣の席でお年寄りの皆さんが猛烈に騒いでたんですね。
私はすぐに「イライラ」し始めました。
一人のお爺さんは耳が遠いのか、やたらでかい声でがなりたててるんです。
胸に太陽のような愛を感じていたのに、一瞬でストップし、私はイライラに占拠されはじめたんです。


聖フランチェスコは一度すべてが愛だと気づいてから、その境地から落ちることは一生なかったそうです。


私は20分ぐらいで耳の遠いお爺さんのがなり声にムカムカしていました。


つまり雲なんです。
愛を覆う雲と向き合うために人生に入ってきて、
どの瞬間にも愛を見出すために雲を一つ一つ吹き払います。


愛という単語が誤解されやすいなら、自由でも構いません。
どの瞬間にも本当の自由を見出すことが人生の目的です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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こんばんは!
全部抱きしめて、包んで、3000メートル級の自分から本性を発露しようと感じました☆

最近、本当にみんなが生命をともにする同胞だと感じます。
昨日電車の中のストレスに苦しんでいる(ように見える)方の手をとって大丈夫だよと伝えたくなりました。

この夏、蝉が周期的にまわりの蝉達と共鳴するように鳴き声を一斉に大きくしていったり、静まったりするのを公園で聴いたこと、もう地上での短い命が終わりかける道端に転がった蝉を見たこと、なんて素晴らしい世界にいるんだろうと感じました。

東京の夏は嫌いでしたが、今年の夏は好きです☆
トシ 2014/08/09(Sat)00:13:43 編集
Re:こんばんは!
トシさん、こんばんは。


>全部抱きしめて、包んで、3000メートル級の自分から本性を発露しようと感じました☆


一番幸せなのは、本当の自分と本当のみんなを思い出すことです。
いまこの瞬間に、わたしたちは本当はイケてる奴らです^^
忘れてしまったのはこの旅がわたしの、みんなのためになると納得してのことです。
トシさんのようにどれだけ前向きに本性を発露しようと思えるか、それを継続できるか、挑戦の旅路です。


>最近、本当にみんなが生命をともにする同胞だと感じます。
>昨日電車の中のストレスに苦しんでいる(ように見える)方の手をとって大丈夫だよと伝えたくなりました。


ありがとうございます。昔ですね、ご年配で全盲の方(お爺さん)のお手をとったことがあったんです。私はあくまで親切に道案内をしているつもりでした。その方は困っていらっしゃったので最初は道案内を受け入れてくださいました。でも私が道に迷ってしまい、要領を得ない進み方にその方は腹を立てて手を振り切り一人で歩み去りました。その方はこう怒っていらっしゃるようでした。(これは全盲の人間を馬鹿にするためにわざと道案内のフリをしているのだ)表情からそう感じていらっしゃるように私には感じられました。決してそんなつもりではありませんでした。ですが、そのお爺さんが体験されている世界は「自分で信じる心の中の世界」です。触れるものの本性をどう信じるか、この世に生かされているわたしたち全員が日々問われていますね。


>この夏、蝉が周期的にまわりの蝉達と共鳴するように鳴き声を一斉に大きくしていったり、静まったりするのを公園で聴いたこと、もう地上での短い命が終わりかける道端に転がった蝉を見たこと、なんて素晴らしい世界にいるんだろうと感じました。


トシさんの感覚の清涼さが伝わってきました。私も今日道端に転がった小さな蝉を見たのですが、そこに愛を見ることができませんでした。肉眼だけではなくて、常に光と愛を感じていたいです。それは選択でもありますね^^


>東京の夏は嫌いでしたが、今年の夏は好きです☆


夏が、というよりトシさんが大きく変わられたんですね^^
いつも心のこもったコメントをくださってありがとうございます。毎回楽しみに読ませていただいてます^^
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