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悪のエネルギー場


悪魔はいません。でも、この地上では悪魔的な行為はあります。
そしてその原因となるのは、人類全体で生み出す分離の信念+個人で生み出す「私って愛されてない」病です。


私って愛されてないよね、の感覚は誤解です。
愛は無形なので、愛を与えるのは限定された人ではないからです。
ですがこの世に生まれてから出会うのは限定された人ばかり。
私って愛されてないよね、は仕方のない誤解とも言えます。


仕方なくないのは、私って愛されてないよね、の感覚から逃避しながら起こす行為です。
無自覚でそのまま動くと悪のエネルギー場に加担し、悪のエネルギーに誘導される結果につながっていきます。


悪魔は個人ではありません。
誤解に誤解が重なった人類全体の現象なんです。
それを食い止めるのは、個人(魂)の意識性です。
どんなにつらくとも、愛が感じられなくとも、悪と対等に向き合う人は本当の意味でやさしい人なんじゃないかなと思います。



復讐


天国には復讐はありません。愛しかないからです。
復讐する気持ちなど1ミリも残りません。
だから成仏前の幽霊が復讐を掲げていることはあっても、向こうに渡った霊が復讐心など持つわけがありません。(形式ばった人格者になるというわけではないです)


復讐したいと思うような行為が発生した真の文脈を理解し、
(被害者の立場に皇も参加していた公平性も理解し)
神の計画に全身全霊で賛同しているはずです。よってあの世には地獄はありません。


地獄がありうるのはこの世です。
愛を忘れた分離信念で生きることができるこの世にこそ地獄は生まれえます。
ですからどんな地獄も一時的ですが、地獄は地獄です。


地獄と名づけることに正当性があるかは別として、それだけの地上での苦しみを緩和させるためにも、愛と叡智は手を携えていきます。



柔らかさが固さ


状況の変化に対して柔らかさを可能にするものが本当の固さなんです。
ややこしい表現ですが


川と岸のようなものです。


川には流れる水があり
岸は固定されています。


川をありのままに見つめることができるのは、岸が認識できている人だけです。


岸はみんなが持っているスタート地点ですが、それが岸だとなぜか解釈できないんですね。
これは長年の自我の癖です。


形も色も動きもないから、空白地帯として無視してしまいます。


私のある人は、私にとって都合のいいことと悪いことがあるから状況の変化と衝突してしまう部分が残ります。


川の流れをせき止めてしまうのが私視点です。


岸に気づく。そうするとありのままの川の流れがより大きな文脈、自然な本体になります。



アセンションと予想された潮流の第二段階


どうも時代が変わりつつあるというか、多くの人の認識が変わったような気がしています。
すごく無知が減ったというか、光に理解のある時代になりました。
一般常識とまでは言えなくとも霊性に理解のある人が増えました。
何か大きなイベントが起きるのかもしれません。


何の意味もなく精神性が進化するわけありませんから、これだけスピリチュアリティが浸透するなら全員の魂に書き込みのあるような大きな共通シナリオ、


が動いているのかもしれません。


そうでなくとも人の流れが変われば新しい問題が生まれます。


時代の頭と尻尾なら、いま新しい時代の頭がご来光のように見えてきた雰囲気を感じています。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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