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「受け取るためのスペースを空けることを優先する」


青い方が言うわけです。招かれなければ部屋に入ることができませんから、先に招いてください。


招くというのは、エゴによって混乱した意識の一角をせめて客人が座れるように片付けるということです。


気遣いは自分に与えてください。
それは先に漏電を止めてくださいということです。他人のことを気にするのをやめて、自分の感覚の変遷に集中します。


次に変遷自体ではなく、変遷に気づき続けている不動の背景に注目します。


そしてすべてを包み込むこの背景にゆだねてしまいます。任せきります。
あとは知らない。これがスペースを空けることです。


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薄皮一枚、また一枚、今まで思っていたこと、こうしなければならないと思っていたことを剥がしました。その時に、それまでの自分も、自分に貼り付ける名札もなくなり全くの無防備、丸裸になりました。
でも思い出したのです・・・I AM THAT I AM.
Layer by layer I removed all I thought I was, all I thought I had to be and in the moment I was left standing naked and vulnerable without identities and labels.
I remembered... I AM THAT I AM.



人生の疑問の答えはどこにありますか


というパンフレットを配っているという方に出会いました。
パンフレットは不必要なので結構ですと言いました。
ちなみにそのパンフレットには疑問の答えは「聖書」にあると書かれているようです。


疑問と同じ場所にあるんですよね。


ここです。


なぜ疑問が答えなのかというと、すべてを可能にする自由ほどすばらしいものってないでしょうということです。


聖書も正解。他「邪悪な意見」も正解。
深いところではどんなあり方も正解です。


ここが自由です。
大いなる愛の光は「場」であり、場に自由を体現するすべての人への受容を伴います。
受容しなくちゃ、という努力ではありません。
もう受容しているという場です。


あのパンフレットを配っている方はこの場への到達に条件をつけているのではないかと思いました。条件をつけると見つからなくなります。


経験するのは「条件」になるからです。
いつも「ここ」を見つける人は条件を手放すことを恐れない人です。



星(魂)への感謝


この先何が起きるとしても、不動で頼れるものはあります。それはあなたの「星」への感謝と、出会うすべての兄弟姉妹の「星」への感謝です。これは別々の感謝ではありません。同じひとつの感謝です。星星はつながっています。


星とのリンクが目覚めるまでは迷走すること自体がごく自然なことです。
そもそもそれは迷走ではありません。
気づきのチャンスを毎瞬与えられている愛そのもののプレゼントです。


涙が愛ですし、無知が叡智です。


ハラの星は兄弟姉妹の星とつながっています。開いています。
頭が肉体の表面上だけ見て「閉じている」と言っているんですね。


苦しみは「閉じている」という言葉を「信じている」ことによって生まれています。


誰か離れて住んでいる家族が亡くなった場合を考えてみてください。
猛烈な悲しみに襲われるのは、亡くなった正確な時刻ではなくて、「永遠に死別してしまった」と「思い込んだ」瞬間です。


頭が言っている「閉じている」はウソです。
そして星(魂)について言われている通説もウソばかりです。


星は完璧で、誰もその輝きを邪魔できず、少しも傷つけることはできません。
努力によって星を造れる人間などいません。


自己がいる!という頭の言葉はウソです。
わたしは在る!というハラの感覚は本当です。


あいつらは大したことない!という頭の言葉はウソです。
彼・彼女の本質は真似のできない光に感じるというハラの感覚は本当です。



自分は何者なのか。その答えを知るのは自分だけです。
設定を毎瞬行っている者、しがみつく想念を選ぶ者は自分だからです。
自己規定しているのは誰か明らかです。


騙されるのは、自分の想像の前提を、自分が配置したものではないと思い込んだときです。


自縄自縛です。


創造する力は肉体にある、という観念は厄介です。
肉体に「のみ」あるとまで思い込めば、そこはもう牢獄です。
一歩歩くたびに肉体を感じることができますから、それを頭が曲解(行為者の私がいる)し、その一歩一歩の肉体感覚に逆に無意識になっていきます。


身近すぎて私=肉体=創造力は疑いにくいんです。
根元にある思い込みで、最悪の詐欺師と言えます。
それを疑わないと、悲しい自分詐欺の悪循環は止まりません。



今日のManaさんの洞察もすばらしいものに感じました。
というかすばらしい方ばかりです。
でも特に感じるのがですね、ご自分の「星」とつながる方は他全兄弟姉妹へのプレゼントを持っていると感じます。
独自の星が輝きで伝わるんです。


もちろん欠点はあります。でも、それは星のバランスを保つための(恐竜が尻尾振り回すのに長い首もってるとかそういう)体内バランスみたいなものでプレゼントするのは別に欠点ではありません。
星から洞察をシェアする方が増えてきている。
個性的で、愛に満ちていて、合流を促す光が増してきている。
そう感じます。


こういうのは地上の計画ではないです。
地に星空が瞬いていくのは、天の計画です。


引用はじめ



内なる質
多くの人は、無意識に外側を変えようとする。それは、外側にばかり意識が向くように洗脳されてきたから。つまり、具体的な分量の多さや大きさを競うように洗脳されてきたから。どれだけ多く【所有】しているかで、幸・不幸の【相対評価】が成されてきた。 そして、そのような洗脳想念の見えない網を張り巡らしておけば、その思考に引っかかったままにしておくことができ、各自の内なる才能を発揮させずにすむからです。とても民衆を奴隷化しやすい。意識を奴隷化させれば、いくらでも劣等感を持たせることができる。 私の知人のなかに、ダライ・ラマと懇意にしていた人がいたのですが、ダライ・ラマの側近から、「世の中にはそういう悪意の想念ワナが空間に張り巡らされている」と聞いたことがあるそうです。全く同感! 洗脳思考によって、多くの人は外側を増やそうとか、変えようとする。でも、もっと大きな立派な家を手に入れたところで、もっと大きな車を手に入れたところで、もっと沢山の資産が増えたところで、もっと素晴らしい妻や夫を手に入れたところで、根本的には何事も変わらない。 大きな家は古くなり、車も壊れ、美しい妻も容貌は変わる。それは、あなたが同じままだから、あなたのモノの見方が同じだから、いくら外側のものを変えたところで何の役にも立たない。自分を変容させずに、いつも物事を変え続ける。ゆえに、内面の愛が不足している人ほど(苦悩している人ほど)、やたらと外側を変えようとする。 外から龍のパワーをもらおうとか、外から大天使のパワーをもらおうとか、同じ類の話しです。それらは、私たちの内側に眠っているものです。あとは目覚めさせるだけ。使おうとしないから、目覚めないんだけどね~。 でも、外を変えようと苦悩している人は、相変わらずそのままだ。何も変容していない。昔は古いアパートで苦悩していたし、今は大きなマンションで苦悩しているだけの違い。人はいつも苦悩を持ち運んでいる。どこへ行こうと、何を習おうと、外をどのように変化させようと、相変わらず古い自分を持ち運ぶ。 外側の変化は、根本的には変化などではないし、まことの進化繁栄でもない。たんに見かけ上の着ぐるみを変えただけで、中身は古いままだ。変わったような錯覚を感じるけれど、実は何も変わっていない。変化とは、変容とは、維新とは、反逆とは、ただひとつ!内なる変容しかない。愛の質の進化(深化)(神化)しかない。ところが、世の中からの洗脳によって、あなたの関心は分量にある。大きさにある。あなたの関心は、量的にいかに豊かになるか(という技法)にある。ザ・シークレット(引き寄せ本)が流行ったのもそのせい。 でも、あれは本当の錬金術なんかじゃない。薄っぺらいエゴの満足を一時的にくすぐるだけで、人の内面に何の変容も促さない。当然、結果も出ない。 多くの人の関心は、家、車、預金、人脈、名誉、賞賛などにあり、色々と努力すれば手に入れることもできる。量は変わり、どんどん外のモノの質もよくなるかもしれない。でも、あなたの質は同じままだ。 本当の豊穣は、先に【内面の質】の進化が行われなくてはならない。その内面の質によって錬金術を使うことができ、自ずと外側にイヤサカなる豊かさが創造される。 今日も龍の話しが続きます。多くの人が龍のカタチや外観ばかりに気を取られますが、大事なのは、龍が持っている玉のほう。 (玉って何?)ニギミタマというタマです。いのちのタマです。和魂です。愛のタマです。メギドの火のタマです。万物を深く愛してやまない質のことです。龍はこの玉を大事にしており、それが龍の龍たるゆえんです。



引用おわり


外側を変えようとする。
外側を掴もうとする。
外側にこだわりがある。
全部一緒ですね。
外側にアクセスすれば、同時に「私」の思い込みを堅持することになります。
「外側」に働きかけることができるのは境界線の「私」がある場合しかありえないからです。
この境界がないことを見抜いたとき
昇竜の魂が自然に昇ります。


人は「我」がないことに気づいたとき、
自分というものが「いま」であったことに気づき、
本当の個性である「星」にも気づくのではないでしょうか。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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