人生をマスターするとは車軸の中心の「未知」「空白」と向き合う覚悟を定めること
知ることのできるものは大したものではありません。
知ることのできないものが人生を決定します。
これはすべての瞬間に対して適用されます。
「届かないわたし」
をつねに信頼し
完全にゆだねることのできる人物であれば
あらゆる困難を乗り越えるでしょう。Fiora
肯定的な定義も否定的な定義もこれに触れることができない
空を雲が覆っているとして、雲にシールのような粘着力があったら空にぺたりと貼りつけてずっと空を覆ったままにできるでしょうか。
それはできません。空はそういう意味では存在していないからです。
この場合の実体は雲であって、空は「ない」です。ですから触れることができません。
これが真の意味の不動です。
何者もそれに触れることができないからこそ、不動の「ない」が在ります。
この「ない」はすべてに浸透し、超越します。
シールは貼れません。
「誰かが」「貼ったつもり」になっているからその「誰か」は
「在る」側なのか「ない」のか確認が起こります。
誰も残りません。
そしてわたし(=誰かではなかった)は残るのです。
ない、とか、ある、というのは同じことです。
対象がない、というでしょうし、ないがあるというでしょう。
実体はすべての可能性を包含する沈黙です。そしてまたこういった指さしとは関係がありません。
今この瞬間に重なり合う運命は神(圧倒的な意識の感覚)です。
永久に愛し、永久に喜び、永久に自由である光の存在こそわたしたちの姿です。
今回の人生で計画された魂の成長がこの栄光の一助となるならどのような困難も厭いません。
わたしたちはそう合意してこの地上に来ています。
そして朗報は、魂の成長に苦労は必要ありません。ただ大いなる愛の光とともに歩むと決めればいいのです。
本当に学びが起こるときは、
100%自分の力じゃないということが思い知らされるようなときです。
オイラが一人でやってるんだ、みたいなときは目つぶってた?というぐらい学んでいません。
目の前の課題は運命の女神が遊んでくれているんですね。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody