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悟りの窓


この窓の暗喩は円。一周めぐって同じところに帰ってくる円です。
それは当たり前のことです。


「いま」しか存在していない。


という気づきです。


これは言葉でそれまでに5000回聞いていても不思議なほどに意味が通じません。
腑に落ちるまでは通じないです。


科学的思考で捉えてしまうと当然なんです。理解できるわけがない。


因果ってありますが、今この瞬間は因でしょうか?果でしょうか?


どちらも正解です。因でもあり、果でもあります。


ではこの瞬間を因とした場合、果の瞬間は他に存在しますか?
逆にこの瞬間を果とした場合、因の瞬間は他に存在しますか?


他に瞬間は存在しません。どこにも、ありません。
この「どこにもない」をどれだけ徹底的に理解しているかによります。


ところが理性は、鏡に映った部屋の奥行きを前方に投影して幻を見るように、ない構造を脳内に創作するんです。


空想を生きている「つもりになる」んです。


虚空というバケモノのような実在のせいで、物事には原因と結果が存在しません。
突然顕現するんです。


確かな実在とは、いまをおいて他にはありません。
たとえそれが、「自分」という概念をどのように揺さぶろうとも、


揺さぶる、揺さぶられる、揺さぶり自体
すべて統合された結果が「いま」なんです。


この地平で何が生まれるかと言えば、
何もつかむ必要はなかったという気づきです。
その感覚を○○と表現することが起こるかもしれませんが、そこに意味はありません。



崇めない-上等だよ-


以前フィオラに滅茶苦茶叱られた話は書きましたが、
その人が辿ってきた「涙」が読めない以上は、兄弟姉妹の星と辿ってきた背景に対して常に敬意を払うようお説教を受けました。


でも同時に、自分の星をどこまでも「信じる」こと、他人のせいにしないこと、
「やってやんよ」の精神も大切だとのお説教も受けました。

「アタイに甘えんじゃないよ」みたいなことも言ってましたっけ。


兄弟姉妹の星を素直に認める・信じることは同時に、自分のそれをどこまでも信じることでもあります。



今この瞬間に限りなき慈愛を見ようとする-カツオプリズム-


たとえば人が「なんだバカヤロウ!」と突然怒鳴ったとして、神の挑戦はこういった出来事に反応することではありません。反応しないことでもありません。


愛を見ることです。
今この瞬間「そのもの」に愛を見る挑戦です。


愛は生まれるものでしょうか。
いいえ。生まれたものは死ななくてはなりません。


愛は生まれず、死にません。
ここにあります。


ここにあるという言葉が本当か、嘘か、可能性はどちらかしかありません。
本当にここにあるのか。まったく存在しないか。どちらかです。


わたしたちは「ある」ことは自覚できます。
ただその「ある」が愛だと断定する根拠はどこにもありません。


「ある」はこの場合「なんだバカヤロウ!」です。



大いなる愛の光がカツオプリズムに入り、分割されて出てきました。
これと同じです。


わたしたちが愛を屈折・分割させるカツオプリズムです。


問題は、カツオプリズムにあることを認めないかぎり「なんだバカヤロウ!」の責任を問い続ける人生になります。



やはり努力的発想がおかしい


努力は美徳みたいなイメージがありますが、努力は「いまはないです地平」からのスタートです。その「いまはないです地平」は本当のスタート地点ではありません。


空想されたスタート地点です。
人によってその「いまは○○がないです」という想念の強さと種類は違いますが、それ自体が創造です。設計図そのものとも言えます。


なぜ努力しなきゃいけないと思い込んだのか。
突き詰めるべきはここです。しかもいまです。


「ない」のではないです。「ないように見える」んです。
虚空の性質は異常なものです。人が人生で出会うものの中で、最も異常です。


スタート地点に全部あるんです。
一歩でも動いて「私」が生まれたら手遅れになるんです。
動く必要はありません。動いたら台無しです。
努力はすべてを台無しにしている可能性があります。


先日のエクスタシーからの創造、深く深く感じ入ろうと思いました。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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