「思考がある」はいいけど「思考を発生させた主体がある」はマズい


今この瞬間に、思考があるというのはときどき事実です。
ですが「思考を発生させた主体がある」は「単なる想像」であり、それが思考です。


思考だと気づかれていない思考です。


同様に「肉体感覚がある」はいいけど「今日は私なんか調子わるい」はマズいわけです。


事実はOKですが、事実が出現した経路の想像は思考を潜ませ、至高の帰依からも離れます。



アイデンティティ返上システム


わたしは誰か。という自己観は変遷をつづけます。
どこまでも貫かれるのは自由だということ。
好きなだけ追求してよいし、好きなだけ新型の創造をして構いません。
保守的でも構いません。


アイデンティティに不要という判断を下すのは
神ではなく、自分だけです。


これを言葉で書くと難しいのですが、
虚空という究極の実体が、1人に化けています。


この1人は全体そのものですので、本人が飽きるまで、独自の創造追求をつづけます。
あの世の下層から、天国の上層まで、そして地球以外のすべての舞台においてそうです。


本人が好きなだけ創造を上回りつづける機会が与えられます。
いつ、なにを、返上するか本人が決めます。


返上によって、新しい自己観を創造します。


わたしたちは自由の光です。



本当の「いまここ」とは、非-時間と非-空間


「いまここ」は
時間という枠組み「ではない」
空間という枠組み「ではない」
と否定されます。


時間軸の中の一点なら全ての時間に同時に遍在することはできません。
空間軸の場合も同様です。


とはいえ、非-時間と非-空間であることを再認識する価値はあります。
「わたしは在る」というのも、すべての顕現「ではない」
「非-顕現」の場所を示すための指さしです。


顕現と自己を同一視しているのは単なるマインドの見方であって
本当は「非-すべて」なんです。


わたしは「何か」または「何者か」でなければならないという先入観があらゆる無知の始まりの地点です。


今この瞬間に、


時間ではない
空間ではない
何者でもない


わたしでいられるでしょうか。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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