「わたしは自由よ」は言葉じゃない


全体は光だけど、全体ー1は光じゃない。わたしたちはずっと昔にモノの見方を間違えたんです。


教師は不要です。学習は不要です。
教師が必要だと感じている状態、学習が必要だと感じている状態、それらの動機の根源まで降りなければならないのであって、教師を探しに外出したり、学習するために正座したりする人は逆方向です。


強烈な誤解は
「あなたの中にある」という言葉をほとんどの場合信じていないということです。
実感がないから信じないのだとも言えますし、だから言葉は意味がありません。


あなたが今この瞬間画面を見ていれば、あなたは「在る」と言えます。
「在る」ことに気づいていようと、いなかろうと「在る」のは間違いありません。
地球上の70億人全員が「在る」のも確かです。


真我とは、虚空とは、この「在る」です。
持っていない人はいません。特別なものではありませんし、テレビを見ながらお尻を掻いているときは消えてしまうということもありません。


私たちがどんな行動をするとしてもその母体となり、自由を保障してくれるもの、というより「自由」そのもの、それが「在る」です。


この「在る」にどんな力があるか学校で教えてもらったことはないし、最先端の科学が解き明かしたこともありません。


秘密は単純です。
「わたし=在る」で、わたしは肉体ではありませんし、その他すべてではありません。
在るということは、肉体を含むすべてということです。
ですが、わたし=在るですから、わたし=○○(在るの一部分にすぎません)という思い込みが「ほんの少しでも」あれば、在るの力を見失うんです。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody