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まるっとお見通しだ!


刑事貴族2の水谷豊が好きだったnobodyは、相棒の杉下右京の理屈っぽいところが嫌いです。なんか「ネチネチ」しててからっと解決する感じじゃないです。


わたしが犯人だったらネチネチ言われてから逮捕されるのは嫌です。


こういう頭の良さそうな人はエゴが肥大化していて、「どうだ!?オイラは頭いいだろう?へへへ」という感じが伝わってきて嫌なのです。


もっとこう体育会系で「うぉっしゃー!貴様を逮捕する!」みたいな人に追いかけられて銃撃戦で派手に暴れてから撃たれて終わりたいです。



アル・パチーノとロバート・デニーロのヒートみたいな最後がいいです。


でも15日の仲間由紀恵SPは楽しみにしてます。



兄弟姉妹。光の単位


わたしたちは勘違いしているんです。ずっと、勘違いしている。
個人として自我を発達させてから、それはこの地上を生きる上での標準仕様でもあるんだけれども「魂のわたし」の感覚も、単位も忘れてしまって一日一日を生きているんです。


私の利益!私の安全!
このとき単位を勘違いしているんです。


真実のわたしたちの単位というのは、すべての兄弟姉妹を取り込んで一体となった「光」という単位なんです。決して一人の安全を守ろうなんて欠片も感じていません。


「光という単位」を忘れたわたしたちが錯覚の単位に基づいて判断ミスを繰り返しています。


あるがままを照らすデフォルトの機能は光です。
この光の機能に忠実に「全体性」まで遡るんです。いまこの瞬間にですよ。


人間という単位を捨てるんです。


人間なんて想像の中にしかいません。この受容の海の中に、すべての兄弟姉妹を平等に感じる、愛しかない意識の地平まで遡るんです。


光にはすべてが含まれています。単位がしょぼいのは、振動域が「愛」からいま、それだけ離れているということです。


その「単位」に応じたことしか考えられなくなります。
一人二人で数えないためには、人間をいますぐやめることです。



宝石「受容デフォルト」


かくれんぼをしているとして一番見つけにくい場所は探そうとする動きの起点です。灯台下暗し極まりないです。


アイデンティティというのは服のようなもので、どんないい服も


「着ようとしない」とき


その宝石が一瞬かがやきます。


「着ようとしない」とき初めて


気づきが死んでいないことがはっきりわかります。
ふだんは動作の影に隠れてわからなくなっていますから、これに自力で気づく人は少ないのかも知れません。


受容は行為ではありません。
もう既に、受容されているんです。すべて、あらゆるものが受容されています。


その「受容自体」は一体なんなのでしょうか?


理性では追えません。理性は、受容されている側だからです。


誰なら追えるんでしょう?


受容自体なら追えるんです。覚知により、「在る」ことで知ることができます。
対象としては知ることはできないため、そのもので「在る」ことで知ります。


この宝石はたったひとつです。
極めて見つけにくい場所に隠されています。


よく眠いときに、まぶたが閉じていく動きがありますよね。
まぶたが重くなって、閉じそうになって、なんとか目を開けていようと抵抗して、
そんな動きがあります。


この「受容デフォルト」の宝石は、まぶたを少しも開けなくていいんです。抵抗してもいいんです。どちら方向に動いてもいいし、動かなくてもいいんです。ありのままでOKです。
何の力もいりませんし、努力も挑戦も不要です。


ただ「受容が在る」ことに気づけばいい。
何も変えなくていい。そのままでいい。


いまあるもの、いまある流れをそのまま「受容している受容」が
在ることに気づくでしょうか?


これはただの「受容」です。「気づき」でも構いません。言葉でどう表現しようとも
この「あるがまま」はまさに


無限、ではありませんか?






ピンクパンサー実写版

はあ?


今日まとまらなかった感が…また明日です。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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