反応しなくてはいけない、という強迫観念はあなたを不利な立場に追い込みます。


あらゆる出来事は、反応を要求しているわけではなく、あなたの「存在」を要求しています。



やすらぐ


特定の結果を求める心境と、ありのままを受容する心境は正反対と言っていいです。
TM瞑想の創始者が語った「瞑想=安らぎの機敏さ」ですが、まずはこの安らぎが
何に対して、どう安らいでいるのか体感から感じることです。


ヒトはもともと人ではありませんが、この地上においては肉体感覚から学ぶことに決めています。
自己の肉体はオーダーメイド、その魂専属の培養器と言えます。


いま、瞬間に安らいでいます。
いま、自分らしさに安らいでいます。


自分らしさとは何であるかという想念・観念・概念・理想・自己イメージ、それらとは関係ありません。


いま既にある事実、境界線すら受容する感覚のシャワー、
抵抗をゼロとする本来の神性です。


「やすらぐ」ことこそ、中心に座る態度です。


安らぎは鈍いとか重いを意味しません。執着を手放し、最も機敏なあり方を可能にします。


本来の自己としてリラックスしているけれども、周囲への集中は極限まで高まります。


なぜなら、周囲などないからです。


特定の環境に安らぐわけでもありません。騒音に対しても安らぎます。
いま、あるがままに安らぎます。
騒音があるなら、騒音になりきればいい。


騒音に対して嫌な想いが湧くのは、「騒音」とそれを「聞く者」の両方を演じているからです。
「騒音」だけでいいのであって、聞く者の演技は不要です。


あらゆる環境に対してもそうです。
環境だけでいいのであって、環境を体験する者の演技は不要です。


環境にやすらぐ。これがデフォルトなんです。


上の写真のベンチには「誰も座って」いません。


ただ、安らぎのベンチがあるだけです。
座る者がいないとき(演技されないとき)、安らぎの機敏さだけが残ります。


ほっと一息。


あなたが舞台役者だとして、演技指導を受けているところを想像してください。


「あなたらしく、好きなように」演技してと言われました。


あなたは、中心に安らぐことができて初めて、あなたらしくあることができます。


星(魂)の輝きは、造るものではなく、あなたが遮らないことによって輝きます。






あらゆる行為に先立つ「在る意識」


わたしが以前衝撃を受けた表現は
「たったひとつの行為に単純化する」でした。
たったひとつの行為が、「在る」です。


ニサルガダッタはこう言いました。
賢者は「在る」と言い、愚者は「どこに?」と言うでしょう。


対象を探している時点で、罠にはまっているこの厄介な構造に気づいてくださいということですね。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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