目をつぶっていて四面楚歌。またはもしかして?


目をつぶっているうちに周囲を敵に取り囲まれたとします。でも目を閉じているあなたには周囲に敵がいるという「情報」はまだ届いていません。
あなたが恐怖するのは「目を開いて情報を得てから」です。


まったく逆のことも成立します。
目をつぶっているうちに周囲を味方に取り囲まれています。
あなたはその事実を知りません。


「周囲は味方で埋め尽くされているという情報を得てから」


あなたは喜ぶわけです。その情報は単なるデータではありません。
目を開いて現在進行形で見ている場合は確かな現実です。


目を閉じている段階では「味方がいるという情報」は聞くことができますが、この場合は信じる信じないの話になってきます。


現実は「味方で埋め尽くされて」います。


敵に見える場合は、あなたが敵だと解釈するのが早すぎたとか、そういう早とちりしか存在しません。


これは「悪」が存在しないと言っているわけではありません。
悪は存在します。悪とは「愛が怖れによって覆い隠され、怖れを投影しまくっている混乱意識」によって起こります。


こういう混乱意識は多数存在します。
これらの混乱は危険です。


ですが、そういった混乱に対処する場合でも、「味方で埋め尽くされている」現実を熟知している者のほうが適しているんです。


悪を怖れ、怖れで怖れに対処しようとすると、混乱意識に対処しようとしていた意識まで混乱します。愛を見失います。ミイラとりはミイラになってしまいました。


愛は絶対的な現実です。


愛とは、いま既にある瞬間(あるがまま)のことなんです。


味方で埋め尽くされているという認識を忘れてしまっているのは、一時的な分離意識の体現(人のフリ)の中にあるからです。



人の本質は愛です。底流も愛です。混乱を癒すのも、愛です。


現実的に請求書について考えてみましょう。
請求書はときに残酷に思えますよね?


わたしにはそうとしか思えません。冷酷な紙が飛び交っています。

ですが、請求書は愛なんです。


冷酷、に見えるだけなんですね。


「この請求には対処できないかもしれない」という怖れが、わたしたちを苦しめるだけ。


その際、愛の力は信じていません。
周囲を味方が取り囲んでいるようには思えない。思えないから信じないんです。


昨日のフィーリングの話と関わりますが、これからの時代で最も大事なのは、


新しい天国の地球に実際に生活「している」かどうかです。


これをしているに持ってくるためには、周囲に味方ばかりと感じるしかないんです。
実際にそれが現実です。周囲には愛しかありません。あなたが愛そのものです。


いまこの瞬間、愛しかないと「感じている」者が


新しい地球の扉を開くんです。



肉体の本当の若返り(不老)は可能か?


現実にこれをする場合多くの要因が絡んできます。


そもそも、霊体には睡眠がなく、肉体には睡眠がある時点で、肉体こそ一時的な拘束具のようなものなんです。


あの世が主で、この世は従です。どちらかと言えば、この世に生きているほうが大変なことが多いです。この世の人生というのは、計算され尽くした一時的な「修練の場」です。


死期まで生前に大体決めているぐらいですから、帰還のタイミングを伸ばすことは、皇が許容することなのかが不透明です。


不老と寿命は別物だということです。
シナリオで成すべきことを成した時点で、寿命は尽きます。


皇が帰れと言ったら、帰るしかないんです。


もし、この寿命の延長ができるというなら、地球と人類の霊的成長のシステム全体が一新されなければなりません。


肉体を保ったまま、霊的成長を延々とできるようにする時点で、現在のあの世で入手できる情報はすべてこの世でも流通していないと整合性がとれません。


アセンションが地上のヒトの寿命を永続させるシナリオになっているのかどうか、まだまったくわかりません。


ただ不老に関しては、抜けた永久歯が生えてきたりとか、テロメアが回復しているような証拠が積み重なれば、ありうると言ってもいいのかもと思います。


現実的なところでは、老化のスピードが遅くなるというのはエックハルト・トールのインナーボディでも言われてましたし、あるのかもしれませんよね。






皆既月食でしたね。肉眼では完全に地球の影に入った後は月がどこかわからなくなりました。まるで月が最初からなかったかのように感じました。


影に入るとはそういうことなのかもしれません。
また明日です。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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