余計なことは結構!!!


と叫んだところで笑ってしまいました。なんであんな急に怒るんですかあの人。



ひとつになる


沸き起こってきたものを観察するのではありません。
観察する側が観察される側を見るという構造は分離です。分離というのはどこかに嘘が隠れているということです。


実際はふたつのものはなく、ひとつだけです。


あなたという存在が、沸き起こってきたものなのです。
ですから、それを拒否するということは自分拒否なのです。


いまあるものに抵抗するとは、自分に抵抗していることです。
自分という定義が間違っていただけ。自分は、いまあるものです。


未知であり、無限です。
無限を顕現させつづけているが、それそのものは知られず未知としてとどまるこのわたし。


わたしはあるがまま。わたしはすべてです。


ふたつとは、やはりどこかで演じていることです。
警察と泥棒。どちらも自分なのに、警察は警察らしく。泥棒は泥棒らしく演技します。


彼らの自己主張をあるがまま認めることで、
彼らの不平不満をあるがまま認めることで、


ひとつになる。


見え方がさかさまだったのです。


愛は二極性の超越です。男と女、善と悪。この二極性を越えて、


いま、あるがままにある。


真我実現の進歩は想念を生まない時間が伸びていくことによって計られるそうです。


その裏の意味を熟考してみていただけますか。
想念とは、抵抗なのか。


あるがままにあるとは、受容とは、常に既に実現されている真我、ほんとうのわたしとは、なんなのか。


それは言葉で描写ができないものです。
でも誰でも既に持っているものです。誰でもがこれです。


これ以外にはなれません。



心理的な痛みはアドバンテージに変わる


燃え尽きると灰になります。灰は平和です。
もう燃えません。穏やかさだけが残ります。


心理的な痛みが続くのは痛みから「逃げよう」としているからです。
逃げようとしている場合のみ、痛みは追いかけてきます。


30年痛みたいなら、30年「逃げよう」とする態度を貫くことです。
30年痛むことが現実になります。


痛みから逃れようとすることは、混乱の中枢です。


無駄はなく、分離はなく、偶然はありません。


兄弟姉妹、世界、環境への責任を果たすには、
わたしの態度をわたしが責任とる以外の方法はありません。


シンプルなんですけどね、混乱しているときは自分で気づかないんです。


世界は開かれていて、あなたは開かれています。


開きが、わたしです。






わたしはあなたとともにある。こんどはあなたのばんです。
フィオラ



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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余計な事は結構!!
21時38分頃でしたね。

ひとつ、質問よろしいでしょうか。
20時54分のシーン、ご記憶の方、返信いただけませんか。

なお返信のハンドルネームは、
警視庁刑事部臨時付特命係組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課内都合で
お願いします。
警視庁刑事部臨時付特命係組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課 2014/10/17(Fri)03:10:55 編集
Re:余計な事は結構!!
警視庁刑事部臨時付特命係組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課内都合


余計な事は結構!!!


こういうこと?ボケ殺しだったらごめんなさい~
【2014/10/17 06:46】
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