内側と外側をパッと無くし、私がいないことだけを痛感する その10
オレはちょっと悪そうに見えるかい?ふふふふ。
皇(愛の最高神)はかならずいま教えてくださろうとしている。万物万我から学ぶ。
受信が送信で送信が受信だとハイカウンシルのとき書きましたね。
愛って、愛にみえるときは、愛を受信しているようでいて、同時に愛を送信しているんです。
いま目の前の展開が、愛に「見えない」のは、皇を見失っているからです。
たった一人でも「悪者」が「見える」のであれば、皇を見ようとしていないからです。
見ようとすることが大事というのは精神論ではないんです。
本当に、愛(神)を見るというのは、そこに愛を見ようとする者にしか見えないシステムなんです。
たとえばAさんとBさんが口喧嘩したとします。
AさんにとってBさんが悪者に見えるなら、Bさんが皇の化身であることを忘れています。
BさんにとってのAさんも同じです。
荷物(二つ以上に見える視界)を「運ばなきゃいけない」と思い込むというのは、
「あってはならない生き方」が見えているということです。
何かを断罪している可能性はありませんか?
トラブルになっても大丈夫です。なぜなら、皇の差配だからなんです。
あなたは、愛が周囲を取り囲んでいることに気づいていなくても、取り囲んでいるんです。
偶然じゃないんです。
すべて、皇からのメッセージなんです(悪行や犯罪行為に関する対処については今回は取り上げませんけれども)。
簡単なことを書きます。
愛の最高神は実在しています。
その愛がすべてを運行しているんです。偶然はありません。
兄弟姉妹は、皇の化身なんです。
だからこそ、すべての兄弟姉妹はわたしの「先生」です。
出てくるタイミングから皇に差配されているんですもの。
悟り=これ
悟りは、もうすでに部屋にいるから鍵が必要なかったと気づくことに似ています。
すべての兄弟姉妹が、たったいま
誰にも胸のはれる悟りを描いているんです。だから兄弟姉妹は「誇らしい」んです。
わたし最近感じるんです。
道元さんや、創造が無限に続く、よりよいものをめざす努力の過程自体が最高の答えそのものなんだと言う先輩方はなんてすごいんだろうと。
明日につづきます。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody