S(真我)を生きる 足跡1日目



炎(ほのお)
今この瞬間の自然な動きから生じる(透明な光から引き出される)
無限の愛・無限の歓喜・無限の自由。
人間という体験の美しさや喜びというのは
複数の人間がそれぞれのあり方(愛)を生きている今
ウェブのように相互に絡み合い、この上なく楽しい、
美しいタペストリーを編むコズミックダンスを舞っていることをみる視点です。
この視点の感覚が炎です。今あります。


こんばんは。今日は率直な今の心境を書きます。
私は子供の時から上記の炎を「探して」いました。
今ここにあるはずなのに…どうしてもみつからなかったんです。


圧倒的なパワーが人間全体を祝福しているはずなのに…みつからなかったんです。
至高体験はいわゆる「ちら見」です。
神様が本当の風景をちら見させて、私はこだわりました。

なぜみえなくなったにゃー?
今のはいったいなんだにゃー?
どこに行けばいいにゃー?
いつみえるようになるんだにゃー?
神様答えてにゃー!

さがしてもさがしても…みつかりませんでした。


重大な間違いをしていたことに気づいた気がします。
カラクリはたぶんこんな感じだと思います。


ありのままのいまここに「気づいている意識」が扉であり、
気づき続けていれば私は深海の底に沈んでいく。
次々にやって来る思考は回転寿司で、思考は寿司で、思考に気づいている意識は皿。
寿司に気をとられると浮き上がってしまう。
今寿司をのせている(気づいている)皿に接触し続ければ(気づき続ければ)
いずれ炎がみえる深海まで沈める、かも知れない。
そしてその保証は、ない。
未来など、私は今もってない。
私に今あるのは、今気づいているこの意識だけ。
いつ死ぬかなんてわからない。
何があるかなんて知らない。
今私は気づいている。


どこに行くかさっぱり私はわからないんです。これは瞑想日記ではなく迷走日記です。
こうやって生きてることを書きとめて、一日の終わりに送信しています。


今日のテーマはですね、特にないんです。
以前「白紙の遺言」の小話を考えたんですが、本当に大事なものはもう最初から一人一人の内側にいのちとして躍動しているのであって、誰かが編み出さなければならないような必要は何もないんですよね。私が命と引き換えにしても書き残そうと思った炎のことも、皆さんの中に最初からあるのであって思い出せば今みえる類のものです。


忘れたフリを今無意識に続けるかどうかなんでしょうね。
そういう意味で今Sに触れている方なら途中でやめなければ欲しいオーダーメイドのその人に沿った答えが与えられるような気がします。


Sを生きる。それが定着前でも後でもどっちでも一緒なんです。
Sとは肉眼のことであり、肉眼を訓練で得る必要なんてないんです。


訓練というのは4歳の時点から自我のゴーグルを通して見ることに慣れすぎ、ゴーグルつけっぱなしになっている私たちがゴーグルを外す訓練なんです。外す反復動作訓練です。


思考というゴーグルは必要な時にだけ使えばいいのであって、私たちの顔の一部ではありません。
ゴーグルを通せば「ありのままの色・形」に気づくことすらできなくなります。
特に「幸せ」を感じることができなくなります。これは超特大のデメリットです。


みんな色のついたカラーゴーグルで世界を見てわかりあえずにいます。
肉眼で見ればみんなのカラーゴーグルの色を見て、「あなたはそんな色の世界を見ているのか…なるほど」って言えるんです。これが叡智のチャクラです。


自分を愛そうとか誰かを愛そうというのもゴーグルです。
それは思考だからです。
その思考で誰かを意図的に愛することは無理です。


カラクリはここにあります。
回転寿司の皿が砂糖でできていることに気づき、寿司という現れの世界に愛を求める必要がないなんて神様のジョークみたいなものです。本当にすごい贈り物です。


みんな愛が欲しかったから世界中に探しに行ったのに、自分が愛だったなんて灯台下暗しどころではありません。


しかも自分は肉体ではなかったわけです。
(あらゆる対象に)気づいている意識こそ私だった。


その気づいている意識が愛だった。


この絵をみてくださいって言われてじっとみたのに何もみつからず
額縁のことです。って種明かしされるようなものです。


苦しんで思い出す必要は、どこにもない。
愛を感じるのは、愛であるあなたの権利です。


本来の多様な個性が星星のように輝く楽しい世界にきっとなります。
修行場として苦しみが必要?そんなの嘘です。苦しみが必要と決めつけたのは人間です。
だからあなたのS移動とS接触を私は応援します。お金はかかりません。一緒にやりませんか?
無条件の幸せの扉が自分の内側にある?そんなバカな!
ゴーグルを外してください。ずっとあなたを待っているあなたに会ってください。
超能力を得るためではなく、あなたが今幸せを、愛を感じるただそのためだけに見つけてください。

この日記で関わってくださっている皆さんに感謝します。
出会えて嬉しいです。
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無題
読んで素晴らしいのひとことです。

Sへの維持ではなく、接触回数を続けております。
しかし気づけばいつもの思考習慣が繰り返されて
います。

あるがままの世界をみるのがこんなにも難しいとは
とがっかりもします。

今日もブログありがとうございます。

ぜろ 2013/03/01(Fri)00:50:14 編集
Re:無題
ぜろさん、こんばんは^^

人間の呼吸は吐く息が拡張で吸う息が収縮です。エネルギーの動きもこの二つの動きがあります。間に静止もあります。計三つのどの段階でもぜろさんの本質はこの三つを自由にさせながら、「常に」みつめています。睡眠中もです。これはがっかりしていても、忘れていても「継続している実体」なんです。呼吸は肉体の死亡時に止まりますが、ぜろさんが移動しようとしている対象は生前から死後まで変わりなく継続して存在し続ける「実体」です。ここに努力は無関係なのです。つまり認識が実は逆で、移動する対象では本当はないわけです。ぜろさんなんです。ぜろさんが本来の自分であるSから外部対象を認識するパターンを物心がついて以来ずっと続けていることになります。

Sは「常にある」のです。逆にぜろさんのパターンは断続している想念の群れに過ぎません。一日あたり約40,000の想念が通過しています。この想念にほぼ半自動的に飛びつくパターンを今解除し始めています。がっかりしているのも思考です。

常にあるもの。何もしていない状態。これが気づいている意識Sです。ですから努力よりも「リラックス」という単語の方がこの実体に近いということになります。対象をあえて探さない。思考ABCDEFG通過の全体のプロセスをリラックスして眺めてください。自分を責めることは思考なんです。今ハッと思考通過に気づくタイミングが2時間に1回でも構わないです^^常にSはあります。完璧主義の思考にはまらず、時々リラックスに戻ってください。それで最初は十分です。Sへの移動感覚をまず体に染み込ませるんです。それはリラックスです^^
【2013/03/01 02:01】
無題
返信ありがとうございます。

>つまり認識が実は逆で、移動する対象では本当はないわけです。

これは感覚的にわかります。

思考することで移動が起きてしまい本来の自分から離れてしまう、でSへ移動。

リラックスですね。
ぜろ 2013/03/01(Fri)21:22:00 編集
こちらこそ^^
ぜろさん、こんばんは^^

>これは感覚的にわかります。
>思考することで移動が起きてしまい本来の自分から離れてしまう、でSへ移動。
>リラックスですね。

おっしゃるとおりです^^ぜろさんのご質問はきっと今同じ訓練をしている皆さんにも参考になる内容ばかりですので、是非何かあったら細かい部分でもおっしゃってください^^
コメントいつもありがとうございます^^
【2013/03/01 22:52】
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