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S(真我)を生きる 足跡2日目


こんばんは。今夜は思考観察の役にたつようなことを何か書ければと思います。
今夜のテーマは「二段構えの移動」です。

2月26~28日までやまがみさんの思考観察のまとめを3日間記事にしました。特にその27日の記事「どうやったら可能な限り早く定着できるか」を前提にして書きます。


頭の中「だけ」を常に見張る状態と表現しました。
これがかなり重要なんです。あなたがチェックするのは頭の中「だけ」で定着までいけます。
この定着までには「頭の中」は27日に書いたとおりベストに近い訓練場の要素を兼ねているのです。


外部風景とか、外部音とか、何も気にしなくていいんです。それじゃあ日常を送れないって思われるかも知れませんが違うんです。頭の中がSで、からっぽで、リラックスしていると今までと違って「外部にありのまま集中している状態」になるんです。今まで以上に音や景色に鋭敏になります。「いまここ」って流行のワードなのに、私たちは誤解している可能性があります。「いまここ」は「時間軸の今・空間軸のこの場所」ではないんです。「いまここ」は「いまここに気づいている意識S・ただある意識」を指差しています。私たちの普段の癖から移動ルートを考えると「二段構えの移動」なんです。だから見落とします。



いまここを認識している。誰が?
                ↑この「誰」の部分。体験の主体に移動して接触(これがS)



頭の中だけを常に見張る状態が定着までの近道です。ただし運転中や、気を抜くと危険な作業中は完全に忘れていつもどおりにしてください。無理をする必要はまったくありません。Sに慣れていないので誤解した力みが出てかえって危険かも知れません。今、頭の中を見張っている場合、耳から聴こえる音(周囲の自然音)って不思議な感覚がしませんか?


頭の中(内部)に雑音のない状態で私たちが今にあることに全然慣れていないからなんです。え?これちょっと本当に大丈夫?何も音がしないし、耳鳴りがするけど、なんだか落ち着かない。何か考えるべきことってなかった?何か買い物忘れてた?


ここから自我が強力な抵抗を始めます。
このS(静寂)に戻ることを少しでも習慣化されてしまうと、自我は自分が死ぬと思い込むからです。自我は死にません。もともと人格としては存在していなかった、だけです。記憶パターンなんです。自我にとってはせっかく広げた自分の展開スペースを狭くされていくわけですから、水槽から水を抜かれる時の魚のように暴れ始めます。その魚の不安や、暴れる動きをありのまま認めてください。変更する必要はありません。認めた上でリラックス。認めた上で、またほっと息を吐きます。頭の中がリラックスです。

そうすると、やって来る回転寿司をまず拾いに行こうとしなくなってきます。回転寿司が流れていることには視界の端で気づきます。でも条件反射で拾う理由はないんです。そして、拾わないのに皿にだけタッチする習慣に移行します。あ、思考が来た…皿タッチ。あ、通り過ぎた。寿司タッチじゃないです。思考Aに気づいている意識Sに接触することが皿タッチです。思考Aがどんな内容かは気にしません。また来た…皿タッチ。あ、また通り過ぎた。またリラックスしましょう。頭の中が、リラックスです。頭の中がからっぽでも何かあってもそのままで構いません。自由にさせます。頭の中に何があるかではなくてそれを「気づいているのか」どうかです。ありのまま認めます。リラックスと同時に周囲の自然音がリアルに聴こえてきます。不思議ですね。内側に気づくことが外側に集中する状態とリンクしているんです。思考通過を見届けたらSのことなんか忘れて日常に戻ってください。初期は思考発生と皿タッチの感触を積み上げます。


Sを維持したくなりますよね?


維持しないでください。なぜかというと、あなたが努力しなくてもSはずっと維持されているからです。あくまであなたは「頭の中」に気づく専門家になります。


思考発生に気づくこと、その瞬間気づいている意識Sへ二段構えで接触すること、通過をSから観察すること、その3点です。一言で言うと「皿タッチ」です。拾わないし、お寿司は食べません。でも思考の発生と存在には注意を払います。内容は変えません。リズムもタイミングも今のまま認めます。しかし野放しに通過はさせません。電信柱の影からそっと思考という暴走族の通過を見守ります。野放しにしないとは見ることです。電信柱の影からです。静かに見守ります。電信柱には手を添えます。くどすぎるかも知れませんがご容赦ください。道路は「頭の中」です。

これをやってる内に、頭の中の中心にリラックスしながら戻る、移動するタイミングが激増し始めます。どこにも矢印を指さない。指向性がない状態なんです。力を入れて戻るのではなく、力を抜いたら勝手に戻って「しまう」んです。これが定着です。力を抜くと勝手に頭の中心に意識が戻り、「頭の中」に気づいてしまう。この感覚を見つけるために頭の中「だけ」を見張る習慣をつけたいんです。その後は努力ではありません。


肉眼の存在と重要性を忘れているだけで、思考のゴーグルはそもそも目ではないんです。肉眼のおかげでゴーグルを通して「見える」だけです。肉眼を肉眼だと気づいていない。それだけが問題です。思考などの「動く対象」に慣れすぎました。動く対象を認識しているのがあなたという体験の主体、Sです。



これは自我のゴーグル・思考を拾いに行くというのが実は「努力」なのであって、Sは肉眼そのものであることを思い出す過程です。訓練中に私たちは逆に考えます。何かを「得る」のだと。逆なんです。ゴーグルをつけっぱなしにして思考に自動反応している習慣を「捨てている」んです。


ありのままの時間が増えていきます。思考が思考を呼ばなくなってくるからです。Sの感覚はリラックスで、くつろいでいて、穏やかです。最初は思考とSの感覚の違いがわかりません。徐々にどっちが穏やかで自然体なのかが感じ取れるようになっていきます。


ヘビースモーカーが「おいしい空気」は「タバコの煙」の方だと感じていて、タバコを吸わない方から見ると「どうかしてる」んじゃないかと。それと一緒です。私たちは結構みんな「思考の煙をおいしい空気」だととらえているヘビースモーカーです。思考観察は禁煙の試みです。もしかしてありのままの空気の方が…おいしいの?と思うまでの禁煙です。禁煙と聞いてどのくらい努力する必要があるかイメージで伝わる方もいると思います。呼吸に努力は要らないのに、「煙が好き」という嗜好を解除するためには猛烈な努力が必要だったりします。ですから挫折の可能性もあります。

皆さんの今欲しいものが「S(静寂・真我)の定着」ならば。
既に逆さまなんです。もうこれを読む人全員が読む前からS定着してるんです。Sは皆さん定着済です。でも訓練前は多くの場合もう一つ自我の記憶パターンが「定着」して打ち消しています。自我という記憶パターンの思考自動反応システムが我が物顔で「定着を獲得せよ!」と叫んであなたをコントロールしようとしています。これに「無意識」であることをやめる訓練。今この瞬間に自我の声に気づいていなければ何か誤解があるということです。思考観察はこの無意識のコントロールをありのまま見て気づける肉眼視点を「思い出し、いつも今この瞬間、肉眼視点でありますように。もうタバコを必要以上に吸わないように」という祈りです。それに本来の肉眼で気づいてしまってください。思い出すまでの期間を大きく短縮できるはずと私は感じています。努力であった二段構えの移動は「あら?これって私の一番力抜いた時のこと?」と感じ、いつも頭の中心にしゅっと「自動で」戻るようになった時点で定着です。


27日のまとめと今日の「頭の中だけ」を見張ることを本当に初期から実践していただければあなたの定着(禁煙成功)はほぼ確実だと私は思っています。今夜もありがとうございました。
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