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0秒 7日目

こんばんは。今夜のテーマはぜろさんの「睡眠時の夢と私がどこへ行くか」です^^
非常に重要な観点だと思います。ご提案ありがとうございます^^


「わたし」という存在の感覚がどこへ行くかですが、夢の中でも存在感覚は継続していますので、どこにも行きません。わたしがちょっとだけ移動したような「ずれた」感覚も発生しません。
逆に断続するのが「世界」です。


「わたし」という存在の感覚、がそのまま継続し、「それ以外」が断続します。


レム睡眠でもノンレム睡眠でも熟睡でも同様です。存在感覚だけが継続します。
「睡眠という体験」はここで重要な示唆を与えてくれます。
それは「主観的には」、「継続するもの」「断続するもの」のふたつが存在することであり、


継続:わたし(感覚・意識)
断続:わたし以外


ということです。
そして、この「わたし以外」には喫煙や飲酒などのかなり強い中毒症状や、病気や怪我などの痛み、思考や感情も含まれます。思考や感情が断続していることは、起きている時にも気づきやすいのですが、強力な中毒や痛みが「わたし」を追ってこれないことは注目に値します(肉体が痛すぎて睡眠の入り口に入れない場合は除外して考えてください)。


つまりそれらの中毒や痛みは「脳内」で起きているのであり、「脳内」と「わたし」は異なるということです。
少なくとも「主観的には」間違いありません。
客観的には睡眠時に「呼吸」や「肉体」は継続していますが、主観的には継続していません。


わたしたちが「わたし」と呼んでいる主観的感覚「だけ」は
「脳内」感覚ではないのです。
これは極めて重要です。
不死の間接証拠になっているからです。

一人一人にこの「わたし」という感覚がありますが、これは目で見えるものではないため、
一人がわかるのは自分の「わたし」という感覚「ただ一つ」です。
他の人にもそれがあるかどうかわかりません。そして、個人にとって実在の掴める「継続」はこの「ひとつ」だけ。
「わたし」です。


ここで注意したいのは「神」は消失するという点です。
残るのは「わたし」であって、世界のどこかで崇め奉られている「神」は消失します。
認識する「対象」であり、いともたやすく「消失」する断続的存在。
神という概念より重要で信頼に足るのは「わたし」の感覚の方なのです。
そしてこの「わたし」感覚こそ「神」であるとの指差しが当然あります。


「わたし以外」をラマナさんが言うようにスクリーンに映る映像ととらえるならば、睡眠時の夢よりも「世界の消失」に納得できます。ラマナさんは弟子に対して「アートマン(真我)」を見つけなさい。と言いました。弟子は「ブラフマン(絶対神)」はどうなるのですか?と質問し、ラマナさんは「どうでもいいからアートマンを見つけなさい」と繰り返しました。


この「わたし」こそ、
全てを解くマスターキーで神そのものだとラマナさんは捉えていたようです。

「世界」の中に何が含まれていようと、眠ると同時に(主観的には)世界は消失します。
車も、超高層ビルも、地球も消えます。


代わりに出現するのが、脈絡のないシーンです。
前後のつながりはほとんどなく、断続的なシーンが体験されます。その際「肉体」感覚は非常に希薄で、大抵のシーンにおいて「自分が肉体である」という想念自体を経験しません。
経験しているのは「シーンそのもの」です。


これは非常に不思議な現象です。
肉体の目は閉じられていますから、そのシーンの映像や音は、肉体が取得している視覚ではなく、聴覚ではありません。
五感の感覚器官を通していないものです。


なぜ感覚器官を通していないのに、シーンの経験ができるのでしょうか。
記憶された感覚の合成、でしょうか。
その可能性は高いです。
先天性の全盲の方は聴覚や触覚メインの夢を見ます。後天性の場合視覚の含まれる夢も見ます。
生まれてから現時点までに取得した感覚情報を合成してシーンを構成していると考えるのが妥当です。


ところが、臨死体験や退行催眠になるとそうではないのです。
先天性全盲の方が通常時の夢では決して見ることのない「視覚情報や色」を確認できた調査記録が報告されています。


バーソロミューが描写していたことの中に興味深い話がありました。
睡眠時の夢には多く雑念が混じるのですが、そのシーンをコマ送りのようにスロー再生できたならばどのシーンにも「円または球体」がどこかにあるのが確認できるという話です。


私は睡眠時の夢に関して実体験でそれは確認できていませんが、至高体験中にはバーソロミューの言うとおりのシーンを数十回確認しています。


おそらく「大いなる源」と呼ばれる存在が「球体」であることと関係しているのだと思います。
以前書いた「源の球体」です。

バーバラ・A・ブレナン女史の指摘されている個々人の本質「コアスター」が繋がりを視覚的なメッセージとして放映しているのではないかと推測しているのですが、詳細はわかりません。


質問が出る前に言っておきますが、上のは生き物です^^
今日もありがとうございました。
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無題
リクエストにこたえていただきありがとうございます。非常に興味深く読ませてもらいました。

夢を見ているときには気づかないですが、
起きてみると「夢をみていたことに」気づきます。
そして夢をみていた「わたし」がいたことも
気づきます。

>継続:わたし(感覚・意識)
 断続:わたし以外

「わたし」=Sでよろしいでしょうか。

いま訓練しているSへの移動こそ、
「わたし」=「すべて」「空間」「スクリーン」
ということであってますか。
ぜろ 2013/04/02(Tue)01:20:59 編集
Re:無題
ぜろさん、とんでもないです^^
ご返信ありがとうございます。

>リクエストにこたえていただきありがとうございます。非常に興味深く読ませてもらいました。
>
>夢を見ているときには気づかないですが、
>起きてみると「夢をみていたことに」気づきます。
>そして夢をみていた「わたし」がいたことも
>気づきます。

おっしゃるとおりです。熟睡状態を通っても睡眠前後との「わたし」という存在感覚のズレがないことも確認できますし、夢の中でも存在感覚の継続は感じられます。
夢の中でどこまで「意識性」の高い状態でいるかが存在感覚の感知に影響するのだと思います。

>>継続:わたし(感覚・意識)
> 断続:わたし以外
>
>「わたし」=Sでよろしいでしょうか。

これは広義にはもちろんイエスです^^
狭義には「わたし」=真我=「透明な光」(nobodyがよく使う表現で言えば)であり、
「S(気づいている意識)」=「(透明な光と同じ海ですが)深度の低い位置」だと思っています。
やまがみさんは「体験の主体」と「宇宙そのもの」という表現を使いました。
体験の主体は宇宙そのものと個人の「橋」であると。
意識の階層は何段階かに分けて捉えるほうが現実の覚醒のプロセスに沿う事情からです。

>いま訓練しているSへの移動こそ、
>「わたし」=「すべて」「空間」「スクリーン」
>ということであってますか。

基本的におっしゃるとおりです。
S移動こそ「静寂への移動」であり、静寂こそ「愛」であり「潜在的可能性の全て」であり「存在する全て」で「神」です。
ぜろさんの「わたし」の感覚こそ「神」です。

この「わたし」の感覚は全員と共有されていて、その根源の階層(透明な光)では、私たちは「ひとつ」です。
ですが、
それより粗い階層の中に「コアスター」と呼ばれる
「個性」の最高の輝きの状態とも言える「星のような球体」が個々人の丹田(へそ上4cm)の位置に存在すると言われています。
私は肉体上の位置は確信がもてませんが、その説を信じています^^
【2013/04/02 02:02】
無題
睡眠時の私の感覚というのはずっと疑問に思っていたので、大変興味深く読ませて頂きました。個人的に実感としてよく分からないのが、熟睡している時の存在感なのですが、起きれば熟睡していた事に気付きますが、熟睡中は存在感も何も感じられず、自分はどこにいるのだろうと思います。以前、全身麻酔の手術をした事がありますが、麻酔から目が覚めたときもこれとほぼ同じ感覚でした。熟睡中、麻酔中のことだけがすっぽり抜け落ちている感覚です。
子供の頃、死ぬことがとても怖く、死を想像するといてもたってもいられない感覚に襲われていた時期があるのですが、それは熟睡中のこの何もない状態が永遠に続く恐怖だった気がします。
昨日から変なコメント続きですいません;:
sk 2013/04/02(Tue)08:12:10 編集
Re:無題
skさん、ご返信ありがとうございます^^

>睡眠時の私の感覚というのはずっと疑問に思っていたので、大変興味深く読ませて頂きました。個人的に実感としてよく分からないのが、熟睡している時の存在感なのですが、起きれば熟睡していた事に気付きますが、熟睡中は存在感も何も感じられず、自分はどこにいるのだろうと思います。以前、全身麻酔の手術をした事がありますが、麻酔から目が覚めたときもこれとほぼ同じ感覚でした。熟睡中、麻酔中のことだけがすっぽり抜け落ちている感覚です。

ありがとうございます^^熟睡時や麻酔時はですね、確かにその瞬間には意識ができないんですが、眠る前と起きた後の存在感覚の「差」を比較してみるんです^^
どこにも少しも「わたしという感覚に差」がないことに気づかれると思います。
もちろん全身麻酔に関しても術中覚醒などの事例は多数あるんですが、今回私が意図していたのは「睡眠前後の存在感覚の比較」ですね^^
ラマナさんは熟睡して起きた後に「ああ、よく寝た。気持ちよかった。何も覚えていない」という感想自体が、「わたし」が熟睡状態でも継続し、「経験された」証拠であると捉えていました^^
私もその意見には一理あるような気がします^^

>子供の頃、死ぬことがとても怖く、死を想像するといてもたってもいられない感覚に襲われていた時期があるのですが、それは熟睡中のこの何もない状態が永遠に続く恐怖だった気がします。
>昨日から変なコメント続きですいません;:

とんでもないです^^私もまったく一緒です^^
5歳の時、真剣に「死の概念」に向き合って3日3晩悩みました^^
死に対しての違和感や恐怖はすさまじかったです。
でもこれは、結局みんな一緒で、一人一人向き合っていくしかないんですよね^^
私は宇宙の構成は慈悲に満ちているというちら見を繰り返していますので、不死は確信しているんですが、死ぬのはまだ嫌です。やっぱり生きていたいし、家族を悲しませない逝き方をしたいとは願っています^^

フィオラは「そんなわがままが通る可能性は低い」って私を脅したんですけどね^^;
【2013/04/02 22:28】
無題
返信ありがとうございます。
自分の中でS移動の重要性が増しました。
「わたし」に移動する回数を重ねます。
ぜろ 2013/04/02(Tue)17:27:21 編集
Re:無題
ぜろさん、こんばんは^^
とんでもないです。こちらこそご返信ありがとうございます^^

>返信ありがとうございます。
>自分の中でS移動の重要性が増しました。
>「わたし」に移動する回数を重ねます。

「わたし」に移動する(単純にわたしに気づく)回数が増えて、
それが結果として「わたしそのものでいられる」「間隔」が短くなっていく
思い出す「間隔」が短くなっていくことに現れてきます^^

何かあったらおっしゃってくださいね^^
【2013/04/02 22:30】
無題
お返事有難うございました。
nobody さんでも子供の頃はそんな時期があったんですね…私、子供の頃と書きましたが、正直に言えば大人になってからも暫く死が怖くてたまりませんでした^^;…何もない状態が永遠に続くことを想像すると怖くてたまらず、死後の世界について色々調べてるうちに精神世界に出会ったようなものです。肉体の死が終わりではないと頭では分かってきて、今は以前のようなひどい恐怖を感じることはなくなりましたが、まだ一瞥はないので確信には至ってません。やっぱり、真我の状態でも寝るときは寝るんですよね^^
sk 2013/04/03(Wed)00:23:17 編集
Re:無題
skさん、こんばんは^^こちらこそお返事ありがとうございます。

>お返事有難うございました。
>nobody さんでも子供の頃はそんな時期があったんですね…私、子供の頃と書きましたが、正直に言えば大人になってからも暫く死が怖くてたまりませんでした^^;…何もない状態が永遠に続くことを想像すると怖くてたまらず、死後の世界について色々調べてるうちに精神世界に出会ったようなものです。肉体の死が終わりではないと頭では分かってきて、今は以前のようなひどい恐怖を感じることはなくなりましたが、まだ一瞥はないので確信には至ってません。やっぱり、真我の状態でも寝るときは寝るんですよね^^

私もです^^20歳を越えてから、良性の腫瘍ができた時に、死ぬ!どうしよう!って医者に泣きつきました^^いざ死が本当に近くなると、それはそれは怖いです。何も虚飾のない本物、混じり気なしの恐怖、純粋に怖れを感じますよね。
私の場合は中学生の時にはそういう死後世界の本を読み漁っていましたね。やっぱり死にたくなかったからです^^

真我が寝る件なんですけれども、
skさんはご存知かも知れませんが、幽界(アストラル界)というこの世の「裏世界」みたいなものがあるらしく、そこでは普通にお店も食べ物も飲み物もあるらしいんですね。
おそらく睡眠というのは「肉体」に限らずそういう各階層の「体」に付随する休息の機能なんだと思います。
本当の真我は一度も眠ったことがないと思うんです。オフのスイッチがないので、常に気づき続けているはずです^^
【2013/04/03 00:57】
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