0秒 2日目 ↓2013年2月桜島 マーティン・リーツ氏撮影 実写

こんばんは^^今夜のテーマは「25mプール」です。学校でよく見られるあの直方体のプールです^^この25mプールを比喩として使います。このプールに水は入っていません。からっぽです。あなたは常にその中心に立って呼吸しています。
肉体の形態は最初は赤ん坊として誕生したはずです。あなたにその記憶はないはずですが、多くの証言者により赤ん坊として誕生したという記録がありますから、おそらくは事実でしょう。


あなたには見える風景も聞こえる音も、意味がわかりませんし、意味などありません。
ただ、それがあるだけです。
お腹が減ったり不快感を感じた時は、いつのまにか泣いている自分に気づきます。
泣きながら、泣いている音を聞きます。
爆発するような感情も感じつつ、強く泣いたり、弱く泣いたり、サイレンのように音に強弱をつけます。そこに意図が働いていることすら、気づいています。
誰の意図かと問うこともしません。それはただ、あるのです。


4歳頃になると、あなたは「自分」という概念を確立します。
それは「肉体」をもち、「他人」とは差異があります。自分と同時に「他人」が確立されます。
差異は自動的に意識され、そのたびに何らかの感情が生まれます。
それがなんとなく感じられるままに、あなたは反応を選択しますが、その選択が瞬間的になり、ついには選択する瞬間を省略し始めます。選択を「記憶」にゆだねはじめるのです。
省電力モードのように、あなたは「自分」とはこうなのだからと「自己像」を記憶のパターンにして脳内に収容し、「無意識」という名の省電力モードの運転に切り替えていきます。


成人したあなたは、様々な経験と記憶パターンを持つ「自分」として社会と関わります。
時間は子供時代よりも徐々に早く過ぎ去るように感じます。
それはあたかも経験年数が分母になり、一年の価値が記憶の総合計で割られているようなあり方です。早く過ぎ去っているのは無意識のパターンがその分増えてカットされている瞬間が増えているからではないでしょうか。


今やあなたの記憶パターンは一年などあっという間だとよく語りかけます。
あなたが怖れていることは実際にはごくわずかであり、ほとんど全て「肉体」の限界に起因しています。
「死」「老い」「病」「怪我」「事故」「事件」などです。

肉体に限界がなければ、あなたは怖れる必要性すらありません。
ですが肉体には限界があります。確かです。
ですから怖れも正当性をもっているように感じつつ、生きています。


ですが、検証されていない可能性が一つ残されていることに今気づく人々が増えています。
それは「わたしとは肉体なのか?」という問いの検証です。
これに対する答えは問題ではありません。
この検証を真摯に本人が行った経験があるかどうかだけが、問題として残ります。
科学者の意見を鵜呑みにしたことはカウントに入りません。
あなたが自分で、本当に検証したのかどうかだけが人生の問題として残り続けます。


25mプールの空間自体を体験したことがある。
そういう経験をもつ方は非常に多いのですが、その体験自体に重要性はありません。
なぜなら「今」25mプールを「常に」「全員が」認識可能だから、です。
これは本質的に、根本的に真に平等な空間なのです。
誰であれ「今」その25mプールを認識しつつ、生きることができているかどうかこそ重要です。
明日ではなく、今です。0秒に、です。
これを特殊な状態ととらえればとらえるほど「どうやって」空間を認識するかが混乱してしまい、特殊な方法論が必要と感じるようになっていきます。大きなトラップです。


わたしとは誰なのか?
本当に肉体なのか?
そうではないなら、何なのか?


私たちは出来事に注目してきましたが、出来事を認識する「空間」の存在はほとんど認識してきませんでした。そして、本質的な問題は常に今「0秒」に「空間」を認識しているかどうかです。


良い(と思われる)事象が起きる。
悪い(と思われる)事象が起きる。


その事象自体を起こらしめる「空間」
判定を下す思考と感情を起こらしめる「空間」
ありとあらゆるものを起こらしめる「空間」
今、肉体と周辺の環境を受容し、気づいている「空間」

その「空間」が「わたし」そのものである。
非常に希望をもてることに、そう主張する人間が幾何級数的に今増えているのです。
集団幻想にしては、あまりにも増えすぎています。


これはあなたへの招待状に他なりません。
期待に反し、がっかりする結果に終わるかも知れないですが(そういう経験ばかりなのを大人はわかっていますから)、最後に一つだけ残された可能性「わたしは誰か?」を自力で検証する旅に出発するかどうか、あなたに決断を迫っています。


私たちは肉体こそ自分だと思っていますが、肉体のアクションが人生を決めると思っていますが、
「25mプールの空間」が私たちなんです。


もちろん実際はこの25mの直方体どころか、「距離が無限」というとんでもない空間です。
しかも、そこに現象として引き出せる「可能性も無限」というとんでもない空間です。
この空間は永遠に静止していますが、あらゆる概念の超越で示されるとおり、
この空間自体が「静止している潜在的可能性の全て」なのです。
そしてあなたこそ「潜在的可能性そのもの」なのです。これが「神」と呼ばれるものの正体です。
神と個人がもし分離している事実を発見したなら、グルなどという立場の者は生まれなかったでしょう。あらゆるグルが指差すのは
あなたは「誰か」内側を追及せよ。です。
「何でもできる」と思い込み、人生を生きよ。ではありませんでした。


この空間そのものが私たちであることに気づかないと、
0秒がこの空間であることに気づかないと、
私たちは誤解に基づいて生きることになります。


思考の「起こり」か自然音の「起こり」に気づくといいますが、
気づきたいのは「起こり」ではないのです。


起こりに気づく「空間」に気づきたいのです。
起こりとは「0秒」です。コンマ1秒後ではありません。
この「0秒空間」の実在と、「あなた」はイコールです。


あなたが現れては消えるただの「人間」なら、「科学」の言う世界観が最も真摯です。


ところが、あなたが「0秒空間」そのものである場合、人生の意味が一変します。
この影響から逃れられる人物は一人もいません。
あなたは「無敵の舞台」であり、「限界に満ちた役者」という演技をしているだけです。
そして、それを自分で発見する旅だけが今目の前に可能性として残されています。

思考観察について今のnobodyがどう思っているかと言うと、
0秒だと思っています。


努力の必要性はまったくないということです。
腕立て伏せを1回だけやるのは簡単ですか?
思考観察はもっと簡単です。0秒でできますし、体を動かしませんので。


ところが。この0秒を認識するまでどういうトラップか、何か月もかかったりするんです。
これが4歳から数十年培ってきた「習慣」の恐るべき力です。
「複雑化」しようと勝手にとらえるんです。
そしてゴールの時間軸を未来に設定し始めます。
定着はこの画面の向こう側であなたの0秒の今にあるんです。もうあるんです。
今から60日はかかるという認識をただ、観てください。


明日になったらあと59日かかると言っている認識をただ、観てください。
もう定着しているんです。どうしてあと59日かかると思っているのを0秒の今、気づけるんでしょうか?訓練前から気づけるからです。何も努力なしに「元々」気づけるからです。
全ては「時間がかかる」と経験し、強化され続けてきた信念と思考パターンに「無意識に」ゆだねるのをやめる訓練です。ゆだねるのは「0秒」にゆだねるんです。


定着というのは、思考の起こりに気づき続ける視点が定着しているということです。
つまりあなたが「今」その立ち位置に立てばいいだけです。
AKBの総選挙のように「センター」に立ってください。
その後も立ち続ける訓練です。
思考に同化するのではなくて、思考に気づいている視点に「立ち続けて」いればいいんです。
その「位置」は自然音の「起こり」に気づく位置と同じです。それはどこですか?
0秒です。未来の空想をいつします?0秒です。
過去の懺悔をいつします?0秒です。


0秒に立ち続けるということは、過去も未来も信じていないということです。
0秒こそが空間なのです。
0秒と呼ばれる空間の中を私たち肉体をもつ役者が腕時計をして移動しているだけです。
思考が移動しているだけです。
立ち位置を0秒にしてください。もちろん最初は今までの習慣に引き戻されますが、
それが0秒であることを覚えていれば、「今気づき続けている立ち位置」にすぐ戻れます。


今日もありがとうございました^^
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