0秒 3日目





こんばんは^^昨日まで0秒の導入をしているのですが、今日もまったく別の側面から導入を続けます。今夜は愛の翼の感知(両肩まで燃え上がる)状態のため、先日ハルさんにご報告いただいた愛からの○×や質問「今の状況の全てを愛している?」や「全員を愛している?」などを確かめていました。


ご報告どおりでしたよハルさん^^愛のエネルギーはエネルギーそのものが暖かく寄り添い、人生に協力してくれるようです^^皆さんも「怖れ」さえ見つめ認めるなら、必ず0秒に感知されます^^カイロ程度の熱の段階との違いは「満ち足りる感覚の発生」や「暖房器具かと思うほどの熱量の発生」がやはり異なります。振動速度が速まるほど、熱くなるようです。今愛を強く必要とされる方のところへ流れるようにお願いして、湧き出てくるのも確認しました^^


では今夜のテーマですが、悟りや、空間、覚醒意識において、最初に気づく日常意識との最大のギャップが、


全部OK^^


ということです。空間には日本のセーフティネットより強力な絶対セーフティネットが用意されているという点もあります(死も老いも劣化もありません)が、さらに絶対「心のケア」セーフティネットまで用意されています。これも世界中の心理カウンセラーが理解できない次元のもの(無限の愛・無限の歓喜・無限の自由)です。これらを体感してやっと「神」とはこういう意味だったのか…、と人間は安心します。


人間社会で「絶対安全」という言葉ほど怪しいものはありませんが、「神」はそれを0秒に永遠にキープしているという事実に気づくことが、本当のリラックスを生みます。
安全地帯が一部分だったら、恐怖が生まれますが、私たちが「絶対安全地帯という無限空間」の「中」にいるのを悟るからリラックスするわけです。


話はここからです。
この空間を悟ろう! 直知しよう! と私たちは最後の挑戦をするわけですが、その過程において常に
「何かが変わらなければならない」
と0秒に対して矢印を向け続けています。この何かもっといい方法がある、進化がある。今日よりは良い明日を掴もう!という今まで培ってきた根性。
これらがラスボスです。





それは怠け者でも構わないということか?
そうです^^
怠け者になっても、努力家になっても、
それがどっちでもいい「空間」を認識していることが全てを変えます。


具体的には、あなたが「0秒」にいるなら、何でもいいわけで、
あなたは最初から努力などしなくても「0秒」の中に住んでいるのです。


私たちの問題、唯一の問題は、
「問題があるという演技をする習慣を生きている」


ことです。この演技をやめた瞬間に全て解決します。
完全覚醒は、この演技をストップすることにあるのです。



「ゆがんだ認知」理論
認知療法の創始者と言われるアーロン・ベックは「人の感情や振る舞いは、大部分、その人が構築した世界観によって規定される」と考え、パニック障害などの感情や行動の束縛に囚われている人は、その世界観(認知)に、束縛をもたらす下記のような「ゆがみ」が生じていると考えました。


1.全か無か思考・二分法思考(all-or-nothing thinking) 

現実世界にある中間領域を想定することができず、全ての問題を1か0か黒か白かという二分法(二元論)で考えてしまうため、『完全に成功している・完全に失敗している』とか『気分が完全に良い・気分が完全に悪い』とかいった非現実的で極端な考え方をしてしまう認知の歪み。非現実的な完全主義欲求と深い関連があり、『完全に思い通りの結果を出せるのでなければ、それをやる価値は全くない』という非機能的な自動思考と結びつきやすい。


2.過度の一般化(over-generalization)

一回か二回起こった自分の個別的な経験を、『次もそうなるに違いない』と思い込んで過度に一般化してしまう認知の歪み。『一度失敗してダメだったのだから、次回も必ず失敗してダメになる』というように一度の失敗をそれ以降の全ての失敗へと飛躍させる推論の誤謬であり、将来の悲観を強めて自己の無力感や可能性の無視の原因となる。


3.心のフィルター・選択的抽象化(mental filter)

恣意的な心のフィルターを作り上げて、自己否定(自己の無価値化)につながるような『物事(人間関係)の悪い側面』だけを選択的に取り入れ、自己肯定(自尊心の強化)をもたらしてくれる『物事(人間関係)の良い側面』をフィルタリング(濾過)して無視するという認知の歪み。


4.過大評価(拡大解釈)と過小評価(magnification and minimization)

『自分の欠点・短所・ミス・罪悪』といった否定的な部分を過大評価(拡大解釈)して、『自分の利点・長所・成功・善行』といった肯定的な部分を過小評価してしまう認知の歪みで、『過大評価と過小評価』で物事を認知してしまうと、どれだけ素晴らしい業績や成功を達成しても素直な喜びや楽しみを感じることが出来なくなる。


5.感情的決め付け・情動的推論(emotional reasoning)

客観的な現実に基づいて価値判断(真偽判断)するのではなく、自分の個人的な感情(気分)の変化によって『全ての価値・意味・是非』が決まるという認知の歪みである。『自分は相手の言葉に冷淡さや冷たさを感じたから、あの人は自分を強く憎んでいるはずだ』とか『私は何にも興味や喜びを感じないから、世界の全ては無意味で取るに足りないものだ』とかいった不適切な思考に結びつきやすい。


6.マイナス化思考・破滅的思考(disqualifying the positive)

自分の幸福や利益につながるはずのプラスの出来事や、自分にとって利益にも害悪にもならない中立的な出来事を、全て悪い方向に悲観的に考える認知の歪みがマイナス思考(破滅的思考)である。客観的な根拠や具体的な状況とは無関係に、全ての物事や他人の反応を自分の価値を否定する『悪い方向』へ解釈するので、どんなに祝福すべき良い出来事が起こっても歓喜や満足を感じることが出来ない。マイナス化思考が強くなると、『他人の愛情・好意・信頼』を素直に受け取って感謝することができなくなるので、親密な人間関係を維持することが困難になる。


7.結論の飛躍・飛躍的推論(jumping to conclusions)

現実的な事象の変化や合理的な因果関係を無視して、論理の飛躍による『間違った結論の先取り』をしてしまう認知の歪み。具体的には、感情的な独断や修正困難な固定観念、自分勝手な思い込みによって、『きっとあの人は~と思っているに違いない』とか『未来は~になるように決まっている』とかいった不適切な自動思考を導いてしまう。

a.読心術(mind reading)

本当は正確に知ることなど出来ない他人の内面心理を『自分は読むことができる』と錯誤してしまう認知の歪み。『きっと相手は~と考えて自分を嫌っているに違いない』というように、自分への好意や信頼を否定する方向に『読心術』が働くと対人関係の問題が起こってくる。

b.間違った予言(the fortune teller error)

本当は正確に知ることなど出来ない未来の出来事を『自分は予言することができる』と錯誤してしまう認知の歪み。『きっと数年先になっても、自分のうつ病は決して回復しないだろう』というように、自分の健康状態や経済状態などを悲観的に予言する方向に『間違った予言』が働くと抑うつ感や意欲の減退といった問題が起こってくる。


8.すべき思考(should statements)

完全主義思考や理想化欲求によって『絶対に~しなければならない』とする強迫的な義務感(責任感)に取り付かれてしまい、『自分が~したい』という自然な欲求や願望を見失ってしまう認知の歪み。自分に対する要求水準(達成目標)が異常に高くなり、その『すべき思考』が要求してくるレベルの目標を達成できないと、深刻な自己否定感や自尊心の欠如、圧倒的な無能力感に襲われてしまう。 『すべき思考』が要求してくる理想には限界がないので、どんなに高度な知識や技術の習得に成功しても、社会的に優れた成果や実績を上げても、本当の意味で満足感や達成感を満喫することが出来ない。時間や仕事に絶えず追われ続けているような切迫感や焦燥感が強まると同時に、完全主義の理想を満たせない自分自身に対する失望感や無能感に苦悩することになる。すべき思考は、ナルシシズムの病理とも通底している部分がある。


9.レッテル貼り・ラベリング(labeling and mislabeling)

物事の全てを白か黒かの二分法で思考する『全か無か思考』が更に極端になって、自分や他人、事物に『訂正不可能なレッテル』を貼って独善的な決め付けをしてしまう認知の歪みで、対象の『部分的な情報』から『全体的なイメージ』を固定してしまう考え方である。『自分は無気力なダメ人間である』という決め付けのレッテル貼りをすれば、状況を改善しようとする向上心や自立心を持ち難くなるし、『あいつは冷淡で思いやりのない人間である』というレッテル貼りをしていれば、相手のほうから謝罪や仲直りを申し込んできてもそれを無条件につっぱねてしまい亀裂が深まることになる。


10.個人化・自責思考(personalization)

『悪い結果・悲惨な出来事・不幸な展開』の原因を全て『自分(個人)』に求めてしまうという認知の歪み。『自分の意図的な悪意や利己的な欲求によって悪い結果が起こった』という具体的な根拠(直接的な責任)がないにも関わらず、『自分のせいでこんな悲惨な結果になってしまった』と信じ込んでしまう原因帰属の誤謬である。他者・社会から非難されるべき自分の欠点や過失があるわけでもないのに、自分自身の責任で重大な問題が起きたと思い込むので、強烈な罪悪感や自責感が生じて抑うつ感(絶望感・無気力)へと発展することがある。


これらの「歪み」に注目したいわけではありません。
バーソロミューも言及していましたが「問題」を見つめることからはパワーは生まれず、問題に対する完璧な答えだと思えるものを全幅の信頼をもって見つめることから変容は始まります。この場合の問題とは「思考(認知)パターン」のことであり、「感情(不快感など)」ではありません。感情などからの「逃避(防衛)パターン」のことです。
これらのパターンを「認識」するのも、「手放す」のも、思考が主張する「未来」ではなく、
「0秒」にこそできるものだと私は思います。


これらの「歪み」を許容している「空間」自体を認識し、移行する可能性について注目していただきたいんです。愛があるとかないとか、喜びがあるとかないとか、自由があるとかないとか。
どうでもいいのです^^
どちらでもいいですし、その他あらゆる概念や思考を持ち出しても構いません^^


どうでもよくない! と今あなたの思考が叫ぶのなら、
それがラスボスです^^





こんなシンプルなトラップにやられていることにあなたが気づいた時、
全ての幻想は崩れ落ちます。


これらの言葉が理解できる方は少数のはずです。
なぜなら「準備」のできている方以外は「まだ他にやりたいことが残っているはず」だからです。


役者としては自分の演技は命です。
今まで全力を尽くしているのですから、未来にやりたいことも、過去にやり残したこともあるでしょう。だから「完全覚醒」以外にやりたいことが残っている方は、自然とこの扉の前から離れます。
それも完璧です^^覚醒がいいことなのではなくて、0秒が完璧なのです。


この空間の中に配置されている私たち役者と台本と夢は、どのシーンも完璧ということです。
だからこそ、「最後の扉を開きたい」方だけが開けばいいのです。
扉は永遠にあなたを待っているのですから、「あ、ちょっともう少しやり残したことがあった」も全部完璧な筋書きです^^


そして誤解しないでいただきたいのですが、この空間の本質には先とか後とかいう概念がありません。円周を私たちは歩いているのです。時間自体がないのです。あるシーンが相対的に重要という事実すらありません。


事実は、全てのシーンが等価です。全てのキャラクターが等価です。
ええ?? 身勝手なあの人も?? そうです。
身勝手なのは配役上の演技なんです。憎しみすら演技なんです。
怖れも何もかも、演技なんです。
どうして「悲劇」っぽいテイストの舞台を上演するの!?
文句は脚本家に言ってください^^脚本家は信じがたいことに、あなたです。
台本が嫌なら、目を覚ますことです。
一番つらかったあのシーンも、神に満ちていたんです。


最後の扉を開くかどうか、自分の胸に問えばいいのです^^


問題がないことを、今、認めますか?


今日もありがとうございました^^


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