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0秒 9日目

こんばんは。今夜のテーマは


「そこちょっと邪魔…^^;」です。


ガンガジが「一つだけ邪魔になるものがあります。それは私は誰?と思考することです」と発言していたんです。ガンガジの師匠はパパジ、パパジの師匠はラマナ。師匠の師匠の指差しと一見真逆なんですが、興味深かったので聞いてください。


私は誰?という思考は、二つの形態によって支えられており、
一つは「過去の記憶」
一つは「未来の投影」

この二つの機能自体にどこにも問題はないんですが、この形態によって
「神自体」を見逃すため、思考形態が邪魔になるとの要旨でした。


「過去」と「未来」とは「永遠の今」に現れる「思考形態」です。
「記憶」か「予想」は「思考」に過ぎません。
思考は言葉や視覚的イメージでかたちあるものとなり、この思考が発生し、動いている瞬間に「裏から気づいていない」と「永遠の今」を見逃します。
常に「0秒」こそが焦点であり、0秒にぴったり「気づいている」のか、「それ以外か」どちらかしかありません。0秒に気づかないことはできないんですが、0秒に「思い込みの上書きはできる」のです。


Sは0秒の思考に気づいています。
思考が言葉の形態をとっているなら、頭蓋骨の中を「言葉が浮遊しているような感覚」に気づいているのです。イメージなら「絵や色や閃光が走るような感覚」に気づいているのです。


そのイメージがたとえば△だとして、それを○の形態に変更しようというような意図的な思考や願望にも「発生した瞬間」に気づきます。
思考Aは△のイメージであり、
思考Bは△→○にしたいなあというイメージです。
思考がどれだけ連鎖しようと無関係です。発生の瞬間から気づき続ける立ち位置があります。
方法論すら存在せず、ただ、その立ち位置を選べます。


私は誰?という思考とは、思考の全てを意味すると思います。
役に立つ機能なんだけれども、過去と未来を思考している状態は神を発見する状態ではない、との指差しです。
ラマナやバーソロミューの「私は誰?」の意図は違います。
それは思考ではなく、「意図」なのです。
言葉としての「誰?」は引き金に過ぎず、その直後沈黙が訪れます。
この沈黙と静寂を感じ取るのに「期待感」というバネを利用する道です。
誰?と問い、思考で答えようとか、思考を連鎖させようと誰も言っていません。
ガンガジもそんなことはわかっているはずですが、こういう切り口を今回は取っていました。
どちらが有用かは人によります。


多くのグルが「心を静かにしてください」とだけ言い続けました。
過去と未来に囚われたままでは、今を見逃してしまうから。

どうすれば静かになれるのか?←という思考が自動停止するまで、あなたも止まりなさい。がガンガジです。
どうすれば静かになれるのか?←という思考を含め、今この瞬間の体験に気づいている私は誰?と期待感と意図をもって問い続けなさい。がラマナです。
どうすれば静かになれるのか?←という思考がただの思考であることに気づきなさい。がやまがみさんです。
どうすれば静かになれるのか?←という質問の背景に既に渇望があることを自覚しなさい。がマスターゲートさんです。
どうすれば静かになれるのか?←という思考を含め、今この瞬間のエネルギーの動き全てを感じ続けなさい。がバーソロミューです。


もちろん本質的に同じ「それ」を指差しているのですが、
注意点はこれらの道を歩んでいる途中の「わたしとエゴの人間関係」です。
エゴを敵に回してしまった場合、最後の最後までわたしの足を引っ張る結果になるとバーソロミューは指摘していました。
だからこそのリラックスです。
エゴとは手を組み、説得し、共に歩む二人三脚とすることが現実的だと思います。


今日もありがとうございました。
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