こんばんは。今日はちょっと節目で、長いです。
まず、4月の前半を最後にコメントなしが続いていますので(私の不徳の…ごほん)、そろそろ私個人用の書き方に変えます。心配性なものですから、この書き方だと伝わりやすいかな、どうかな?今までコメントくださった方へのフォローは万全かな?と考えながら書くのが足枷になっていまして、もし万が一読んでくださっている方がいましたら、どうぞお許しください。コメントで何かをご要望いただくようなことがあった場合のみ改めて考えます。

この日記をググるとなんか出てくるようになったので、S定着に関する記事は少し読まれている可能性がありますが、S定着はやまがみさんに直接お聞きいただくのがやっぱり一番です。私なんて突き詰めれば知ってることと経験は松果体訓練のことだけです。

それからリンクのことなんですが、色々違和感の正体を自分の中で探っていまして、まず関係者にご迷惑を万が一にでもおかけしたり(特に※死神発言とか)、失礼にあたる文章になるかどうか(つまり死神発言とか)という心配をしながら書くと大変なので、リンクはやめることにします。ここにご訪問くださる方の中で、私が今までリンクした先を知らないという方は多分おられないと思いますので。
(※背後霊だと思っていたフィオラが自らを死神と名乗ったこと。やまがみさんの思考観察を私が学ぼうと思った理由は背後霊フィオラとの通信を安定化させ、死ぬ前に炎への道筋をフィオラにナビさせたいという変な動機でした)

死神フィオラ?なにそれ?きもーい!!
と真面目に精神世界に取り組まれている方々に薄々気持ち悪く思われてるんじゃないかと思うと、いたたまれなくなってくるのです。杞憂ならいいのですが、私自身が心配性で内気なものですからご容赦ください。
健全に精神世界と霊性の向上に取り組まれている方のご迷惑になるわけには参りませんので、この時点でどこのブログともリンクはしないようにします。

正直フィオラには最初から「誰にも知らせるな」と厳命されていたのですが、書きはじめて20日くらいして、コメントなしが寂しくなってkosumosuさんややまがみさんに言ってしまい、後で死神発言が出て後悔していました。私が3月13日に死亡しなかったことからも、フィオラは最初から「私一人をビンタするために出てきた」んでしょう。神秘をあかせという「命令」は「私一人」に個人用のリマインダーとして言っていたんだなと今になって思います。

でも、今までコメントくださった皆さんとの交流はとっても楽しくて、ありがたかったです。本当にありがとうございました。




ここから個人的かつ適当な日記になります。今までもそうだった?…。

ふ~…。おっ、そこのおねえさんこっちに「マイ・タイ」くれる?
ほんとに「最高」?じゃあそれ、うん。は~い。

バーソロミューいいよね。毎年そう思う。
切り口の多さでは、はっきり言って他の追随を許さないと思うし、個人的に炎のことからも彼より心に響くスピリットと思しき文献を読んだことがない。マホロバアートがあまりバーソロミューに力を入れていないように思えるのが実に不思議だった。

このまま埋もれるぐらいならメアリーマーガレット・ムーア女史にブログで全文引用・無料公開を日本では許可してもらえないか頼み込もうと本気で思っていた時に、きたよナチュラルスピリット。
訳文をかなり改訂したらしい…。初版の訳も完璧に思えたけど、き、気になる。
でもこれで、次世代の子供たちに渡る確率がずっと増えたし、私のバーソロミュー初版コレクションも終了。1993年にバーソロミューと出会い、そして初版を手放した人のことを思うと、人生って計画通りじゃないんだなっていつも思う。


さて旅は始まったばかりだけど、24日からここまでの内容を振り返ろう。
エックハルト・トール氏が以前こんなことを言ってた。

「人は急ぎ足でどこに向かっているんだろう?そうか。次の瞬間に向かっているんだ」

ほとんど誰もが次の瞬間にたどり着こうと無意識に早足になってる。
次の瞬間に答えがあると「期待」しているから。

その期待が「今この瞬間」の「自分」のあり方なのだと気づかない。
私は結構生きてきたけれど、「やっぱり答えは持っていない」そう宣言して歩いていることになる。
進歩とか、進化とか、keep walkingとか。

この瞬間しか「ない」
この瞬間だけ「ある」

行為は既になされて完了している。こういう発言は目から鱗。何度も読んだはずなのに、まだ驚かされる。

次の瞬間への期待や空想や想念のフィルターが私を「モモ」を追いかける灰色の男にするんだね。

自分ができることをしましょう。
考える。聞ける。見える。嗅げるし、触れることができる。
どんなあり方もルール違反じゃないし、そもそもあり方はコントロールできない。
でもね、ドラッカーがいつか言い残したように(フィオラ知ってる?)

知りながら害をなすな。

うん。そう。

ここに妥協しないということは、生きてる時も死んでからでも重要だと感じる。
意図して人を物理的に傷つけることは自衛以外まずない。
でも意図して人を感情的に傷つけることに妥協する生き方は、本当にかっこ悪い。
こういうミスは人生に一度で十分だ。

自称覚醒者。あの宗教家。あのベストセラー。
誰もかれも。自分こそあなたを真実に導いてあげると。
直接言わなかった者も「期待させる口ぶり」で。

つまり今のあなたには真実は「ない」または「わたしよりあなたは低レベル」と嘘をついてしまう。
罪悪感を感じさせようとする。
こういう愚かさがはびこる。
精神世界では特に多く、性質が悪い。
他分野より被害が甚大なだけに、霊性に関わるものは忘れてはいけないんだろう。
ラマナが飯の盛り方に平等を徹底したぐらいに。
ほんの少しの油断や頑迷さ、軽率な言動が誰かの霊性の道を妨害しうる。
そう怖れた方がマシだと思う。

誰かの真実を否定するものに本物は一人もいない。
誰かの真実を比較し、上下関係を要求するものにも本物は一人もいない。
その発言者の正体はどんなにわずかな配分であっても「分離を恐れているエゴの部位」。
それはつまり発言者自身が「混乱しているだけ」。
あなただったら混乱している意識を、平安を求めている「わたしと似たような」意識をいつまでも責める「ことができる」だろうか?
わたしも、あなたも、あらゆる人は似ている。
似ている。

昨日の続きをまとめよう。

「お早うございます。」と言って、両手をこすり合わせた。
「昨日空間を感じることについて話しましたが、みなさん練習しましたね。裁くことなく見たり聞いたり考えたりするという練習がどういう具合に進んだか、体験を聞かせてください」
(体験談略)
「すばらしいですね。これは外界に関する練習ですが、内面の真理を反映しています。毎日の出来事を思い通りに操作することはできません。外の世界を黙らせることはできません。赤ん坊は泣きますし、まわりの人は話しつづけますし、犬は吠えます。そうした出来事はあなたに関係なく起きます。大事なのはお坊さんのお経と赤ん坊の泣き声のどちらをとるかではありません。大事なのは『すべてが起こるにまかせる』という態度を学ぶことです。この点を理解してください」


「これが実行できるようになると、非常に役に立ちます。行為は生まれては消えます。出来事も生まれては消えます。音も生まれては消え、感情も生まれては消えます。わたしたちだって、笑顔のときもあれば仏頂面をするときもあります。あらゆるものは膨大な『何か』の中で生まれては消えます。意識をとぎすましてください。ある瞬間にたまたま生まれたり消えたりしている物を、好きだとか嫌いだとか言い張ったりしないでください。次の瞬間にはそれはもう別の物になっているかもしれないんですから」


「それはちょうど、『しーっ、○○が静かにって言ってるよ』と言うようなものです」
彼はにっこりした。
「『しーっ、静かに』と言っても何も変化は起きません。けれども子供も騒音も不快感も、自分を誉めてくれる人も非難する人も何でもすべて受け入れたとき、変化が起きます」
そう言って手をたたくと、彼は両手を広げた。
「すると突然、物事が生まれては消えるあのすばらしい広大な空間をあなたは感じます。そして、すべてを自分の思い通りにしようと緊張していた心と体がゆるみます」


「いいですか。外の世界を自分の思い通りにしようとすることの弊害は、体がとても大きな代価を支払わせられることです」
バーソロミューは首を振ると、今度は小さな声でくり返した。
「とても大きな代価です。けれどもあらゆることが起こるにまかせられるようになると、体はリラックスしはじめます。やっと自分に合ったリズムで深く大きな呼吸ができるようになります。お寺での体験はあなたの人生の体験と同じです。こうした旅行に参加すると、外界で起こることに大きな期待を抱きがちです。そうした期待がはずれたときが、自分の感情を観察する良い機会です」


「愛情を邪魔するもののひとつが、この『期待』です。まわりの人間がもっと思いやりがあって賢ければわたしの欲しいものや必要なものがわかるはずだ、と期待します。でもまわりの人がそんなに思いやり深くなるのは本当に可能でしょうか。人はこの落とし穴に何度も何度も落ちます。さらに悪いことに、自分自身に対しても人は期待を抱いていて、『自分が』もっとやさしく思いやりのある人間だったら、あんなことで怒ったりしないはずなのに、と自分を責めます」


バーソロミューは膝に手を置いて、身を乗り出した。
「けれども実際のところ、あなた方はやさしいときもあれば、やさしくないときもあるのです。限られた自我のままで常に愛情深くしていられると思うのは、傲慢以外の何物でもありません。そんな考えは捨ててください。『わたしは常に完璧な愛を注がなければならない』というのはエゴの声です。この『完璧な愛』とはいったい誰の言う『完璧な愛』なのでしょうか。もちろんあなたの言う『完璧な愛』です。相手があなたの定義に同意しなかったらどうしますか。相手の考える『完璧な愛』があなたのと似ても似つかないものだったらどうしますか。期待というのは、エゴが好きなものや信じているものにもとづいて生まれます。それだけのことです」
バーソロミュー


長くなりすぎるから続きはまた明日。
今日もありがとうございました。
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