じゃあ今夜もみなさん…

いってみよ~っっっ!!!

…。
……。
………。
彼はまた体を後ろに戻した。
「今日やってほしい宿題があります。自分とはまったく違う考えや反発さえ感じる考えに喜んで耳を傾け、それを楽しいと思う、という実験をしてください。ほかの人の考えや行動や欲望を理解し、その話を聞く喜びに専念してください。
精神的にひとまわり大きく成長したいなら、この宿題がぴったりです。ベラベラしゃべっている人がいて、その考えにまったく賛成できない場合、善悪の判断を脇に置いて相手と融合できる心境になれないか試してください。肩の力を抜いて、自分の考えといっしょにほかの人の考えや意見も合わせて包容できるような心の場所を見つけるのです。自分とは違う考えをおもしろいと思える中立的な心境です。リラックスして、まわりの人間や出来事をありのままに受け入れられるようになると、自分の中に安心感が広がってきます。そうすると、すべてのものはつながっていてひとつだ、という境地へだんだん導かれていきます」


「そうした融合の境地を感じたいと思います」とエレンが静かな声で言った。
「人を傷つけたと感じるときが一番つらいです」


「ひとつだけあなたに聞きたいことがあります。人を傷つけたと感じるとき、あなたは相手を傷つけようと思って行動したのですか。相手を傷つけることが目的でしたか。それとも<傷つけた>というのは、一定の状況が起きたときにあなたが使う言葉なのですか。これは大変重要な点です。こうした瞬間に問題になるのはただひとつ、『わたしの動機は何か』です。もしそれが、『これからあいつを見つけて、歯が折れるまでぶん殴ってやる』だったら、人を傷つける行為と言えるでしょう。人を傷つけようと決心することが傷つけることなのです。あなた方が人を傷つけたというのは、たいていの場合、一定の出来事が起きたときに居心地悪く感じる気持ちのことです。
あなた方は誰でも、<傷つけられた>と相手が感じるようなことをいずれかならずします。この点をよく理解してください。限界のあるエゴ同士がいっしょに生きていく場合には避けられないことです。人を傷つけるというのは、ほとんどの場合、相手があなたのしていることを気に入らないという意味です。けれどもこれが、<人を傷つける>ということの本当の意味でしょうか。怒鳴るのは相手を傷つけることだと言います。けれども時によっては、怒鳴ることで人の命が助かることもあるし、相手が内面の真理に目覚めることだってあります。ですからここでは、人を傷つけることがどういうことかという唯一の定義はないという可能性に同意してもらえますか」
メアリーマーガレットが伸びをしたので、短い休憩をとった。
メアリーマーガレットが胸のスカーフにマイクをクリップで止め、背をピンと伸ばしてすわると、バーソロミューがまた話しはじめた。


「わたしがみなさんに何か標語を残していくとしたら、



『魂の成長に苦労はいらない』


というのがそのひとつでしょう。思いやりや温かくやさしい愛情も成長をもたらします。これについて少し話しましょう。ニュージーランドで<奉仕>について質問した人がいました。奉仕は人々を結びつけ、奉仕が生き甲斐をもたらす、とその人は信じていました。この男性の定義によると、奉仕は、善人でありたいという彼の願いが社会で実現した結果であり、愛ある行為でした。さらに、奉仕をすることによって<点数をかせげる>と彼は思っていました。本当にそうでしょうか。本当の奉仕とは何でしょうか」


バーソロミューは後ろに寄りかかると、楽な姿勢をとった。
「本当の奉仕というのは、愛があって、何らかの行動が適切だと感じられたときに自然に生まれる行為です。わざわざ奉仕と呼んでする行為ではありません。何かなすべきことがあるときになされる行為であって、成果を問いません。こうした行為と、何らかの成果を生むためになされる<奉仕>とのあいだには天と地の開きがあります。自分のことを奉仕者だと思っている人は注意してください。奉仕をしているのは実はあなたのエゴかもしれません。もしそうなら、成果を得るのはエゴで、エゴにとっての成果とはさらに強大なエゴです。この点をよく理解するまでは、自分のことを軽く笑い飛ばして、奉仕のように見える行為をするのは、そうすると気分がいいし、そういう自分の姿が好きだからだと思ってください。


『わたしは奉仕をしなくてはいけない』


『わたしは愛さなくてはいけない』


『わたしは親切でなければならない』


と言う人がいたら、その『わたし』はその人の限られたエゴだと思っていいです。
例を話しましょう。クリシュナムルティが講演を終わると、ひとりの女性が近づいてきて、『わたしたちは同じ職業ですね』と言いました。その女性も世界各地で講演をしていたからです。けれどもクリシュナムルティは、『同じじゃありませんよ。あなたは講演する必要があってしているが、わたしはそうせざるを得ないからしているのです』と返事しました。彼の言わんとしたのは、彼女には講演をすることによってはじめて満たされるニーズがあるが、彼が講演をするのは愛の行為としてそうせずにはいられないからだ、ということです。クリシュナムルティは、『あと一年講演するのか、うれしいな』とも『あと一年講演するのか、嫌だな』とも思いませんでした。それはその時点における彼の生き方であり、いつ変わるかもしれない自然の行為だったのです」


パトリシアが発言した。
「魂が成長するには、エゴのぶつかり合いが必要なんですか」


バーソロミューは微笑んだ。
「わたしたちがいま話しているエゴの段階では、それが一番目につく方法ですね。外の世界で起きていることと自分の心の中で起きていることの関係を観察するのは比較的簡単です。外の世界は内の世界を鏡のように映し出します。これは苦痛をともなうことだと考えられがちですが、鏡には美しいものも映し出されるということをほとんどの人が忘れています。たとえば見事な絵画を見て、その絵の美しさと力強さに感動したとしたら、その絵もまたあなたなのです。でもほとんどの人はその絵が自分だとは思いません。あなた方は鏡を斜めに倒してしまって、自分の本質のマイナス面ばかりが見えるようにしています。そしてすばらしい面や賢い面などのプラス面を見ると、自分ではないと思ってしまいます。ですから歩道の犬の糞は自分の反映かもしれないと思っても、自分が通った美しい門が自分の反映であるはずはないと思います。これは意図的な選択です。あなたがすべきなのは、あらゆるものをすべて受け入れることです。自分のまわりで起きていることはすべて自分なのだと知って、それに感謝し、自分のあらゆる面を隠さずに開いて、『あーあ、いい気持ち』と言える状態までリラックスしてください。人生のすべての面で『あーあ』と伸びをしてください」



アタイもそう思うよ。
犬の糞とまでは誰も言ってないよね。

今日もありがとうございました。
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