生きている間の最も大きな損失は何か。
それは、「限界」という観念ではないか。
具象として体験することで、死んで拡張するその瞬間に「自分で限界を設けて自分の牢獄に入って寝起きしていたことに気づく」そんな気がした。


死んだら二つのことを聞かれます。
どれだけ愛したか。どれだけ学んだか。
学んだとは世界やエネルギーについてどれだけ体験から学んだか。
どれだけ自己の魂の暗闇に直面したか。
そう彼は言っていた。
熟練の透視能力者には「リング」が見えるらしい。魂のリング。
リングは透明なのに、所々澱みがある。
それは星を覆う「怖れの澱み」なのかも知れないと思う。


窓が経験を生み、経験が信念を強化する。
わたしたちは共通する世界に住んでいるように見えるけれども、観測することは観測者そのものに影響を受けている。だから、わたしたちの世界というのは個別に異なる「観測」であって、要は自分の信念や反応を体験している。


子供の頃自転車で走行していて9割倒れかけた自転車が重力を無視して起き上がったことがあった。
誰かが支えたのか?狐につままれたような気がした。
昼間が夜のように真っ暗になった時も、野球のファインプレーも私はその瞬間にいただけで、体を動かしたのは別の何かだった。


別の何か。私は世界の構造を知らない。原理も知らない。
一番見やすいものを信じていただけだった。
水際に出向くと決めた。

2012年12月20日早朝の夢でフィオラから強くこの日記を書くように脅されて書き始めた。
「咲き誇る大輪の花」という名前をつけたのもフィオラだった。
私にとっては遺書以外の何物でもなかった。
フィオラは私に「土に還る」「地下に還る」などと言い続けた。



「バーソロミュー3 波と虚空」より


すばらしい音をかなでる色とりどりの波をまず想像してください。それは鮮やかで透明感のある色をしており、音は深みがあっていのちにあふれ、人の想像をはるかに超えるすばらしさです。この魅惑的ですばらしいエネルギーの波には、何十億何百億という点状の光源が含まれています。


さて、この波が何かのなかを通っているわけですが、その<何か>というのが純粋な覚醒です。純粋な覚醒は波ではありません。純粋な目覚めた意識が波なのです。そのちがいは何でしょうか。純粋な覚醒には形がありません。それは虚空です。輪郭も形もないので虚空と呼ばれます。また、無とか潜在的可能性とも呼ばれます。というのも形がないからです。


この虚空の真ん中にはすばらしい広大無辺の波があります。それは外へ拡がっており、この形のない虚空に支えられています。あなたもこの波の一部です。私はこの虚空のことを神という名前で呼びたくありません。なぜなら、神とはどんな姿をし、どんな声を持ち、どんな感じがするものかということについて、多くの人が固定観念を抱いているからです。


人々は、神は無形ではないと信じています。神とは形のないものを人格化したものです。そのように人格化されたものが、いわゆる”ハイアーセルフ”と呼ばれるものです。それは、自分を守り安心させてくれるものを求めて行くひそやかなところであり、自分を慰め理解してくれる何らかのものとつながりを感じさせてくれるところです。形のあるものについて話している場合には、それは純粋な目覚めた意識のことなわけです。人格化された神にもエネルギーの波にも形がありますから、両方とも純粋な目覚めた意識だということになります。


一方、純粋な覚醒というのは、あらゆるものが完璧に調和しており、したがって完全に静止している状態です。それはあらゆる潜在的な可能性を含んでいる状態です。つまり、この静寂の<何か>のなかで静止しているのは、意識の潜在的可能性のすべてだという意味です。宇宙の始まりのある時点で、この潜在的可能性が、動きや色や音、ちがいや拡張や内なる爆発などを経験してみたいと思い、そこで意識が生まれました。純粋な覚醒のなかから、パワーがどっとあふれ出てきました。以来、あなた方はこのすばらしい意識の波に乗っているのです。


あなた方が始めた旅は非常に重要な旅です。爆発を通して、純粋な覚醒は自身を知るためのさまざまな方法を生みだしましたが、それと同じように、意識のそれぞれの断片が、今では自分自身の可能性を生みだし、自分の人生や現実を創造し、<自分とは何なのか>という自己感覚を生みだす能力を持っています。この創造のプロセスがどれほどすばらしく感動的なものであるか、ということを人々は忘れてしまっているのではないでしょうか。それぞれの創造は、他のどれと比べても劣ることはなく、重要なのです。現在のあなたの人生がどのように見えようとも、それは創造界のほかの誰の人生と比べても、等しく重要で感動的で深い広がりを持っています。


人々は、自分とは何であり、何を体験することができるのかということについて、コチコチに固まった直線型の概念を抱いています。それを壊すのが私の仕事です。


人間は、自分たちで作った時間と空間の連続性という概念にとらわれているので、あらゆる瞬間に自分は目の前にあるものを創造しているのだ、という内なる知識を失ってしまいました。別の言葉で言うと、おたがいの顔を見るたびに、人は相手を創造しているのです。



原点にかえりなさい。
なにか増えたらなにか減る。
喜び、落ちこみ、忍びこむ。
打ち寄せ、引き寄せ、打ち寄せる。
動きを透(とお)し、
かたちを透(とお)し、
海辺の夢から覚めなさい。


今日ハナミズキの歌詞をよく見て、洒落じゃなかったらしいと思った。フィオラはよく時間に関することを言う。5月末日にああいう曲をかけさせたりすることで時々私に正確に時間管理していることを知らせてくる。


今日のフィオラの希望は、虚空と波の枠組みについて書くことだった。
この日記を水際と呼ぶなら、ちゃんと波が止まりますようにという願いを秘めているらしい。


今日もありがとうございました。
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