Fiora:知恵の実。それは魅了です。あなたが本当に求めているのはその実ではない。風です。草原の風はただ感じればよい。風をつかもうとする者がいるでしょうか。目に見えず、手でつかめないからこそあなたは忘れた。つかめるものに溢れているから。いま光るその宝珠(たま)はなにか。そしてあなたはつかもうとする。内旨(ないし)の遠吠えに慄き、現世の落差に迷いながら。つかむことはできない。どの歩も離れることにしかならない。風はただ感じればよい。


あなたのまわりで起きた何らかの出来事や他人の反応が、あなたを恐れや怒り、恨みや自己憐憫の状態に連れ戻します。


あなたの意識のレベルを決めるのは、あなたの責任です。


一瞬一瞬、その瞬間が現れるごとに瞬間の持つパワーを使って、自分の「存在」が感じられる心の奥深くに自分を引き込み、その中心で憩うことを選択してください。


出口は、自分や他人を批判する心や分離意識を超えたところ、ずっと奥の方にあります。目標は、心の奥深くで深い安心感に包まれて、ゆったりと憩うことです。


あなたの人生がいま現在の状態にあるのは、ある基本的な理由によるものです。つまり、あなたが”大いなる光”との結びつきを深めるためにどうしたらいいのかを発見できるように、あなたという「存在」の無限の叡智が、そのための完璧な筋書きを用意したからです。


もっと自分の意識に注意を払うようにしてください。そうすると、自分と”大いなる光”を隔てているのは、自分や他人や世界を批判する自分の心なのだということがわかります。あなたの裁く心は、あなたが”大いなる光”を知り、感じ、体験し、そのなかに溶け入ることを妨げています。あなたが神から隔たっている原因は、それだけです。


夢の問題を解決するには、目を覚ますことです。自分の意識を肉体の奥に入れていって、夢を見ていないところ、光が見えるところ、静寂の感覚や愛の存在が感じられるところまで進んでいってください。そこへ何度も何度も向かってください。


不安や苦痛から抜け出すのは簡単です。思い出せばいいのです。自分が感じたいのは何なのか。自分の頭や心や体のなかを駆けめぐってほしいものは何なのかを、思い出すことです。



エックハルト・トール氏の「魔法の処方箋」がわかりやすくて、とても温かいものを感じる。魔法の処方箋とは「すべてをあるがままに受け入れる」こと。よく聞く言葉に思えるけれども、思考が批判している時にも魔法の処方箋を使えるし、怖れにも怒りにもそのまま使える。常に、これを服用し続けてよいのだ。「万能薬」とはまさにこれかも。


この処方箋を忘れて「怖れ」に今襲われていたとしても、その状態になってからでも魔法の処方箋は適応させていくことができます。あなたは最初のチャンスは逃して「怖れ」の状態になったけれども(最初のチャンスは「すべてをあるがままに受け入れる」ということでした)でもそれはできなかったのです。今度は第2のチャンスとしてそこに「反応」が出てきました。この時点で「あるがまま」を受け入れるということを思い出したら、その時の「あるがまま」は「反応」です。反応のひとつとして感情が現れてきたのです。そこでできることは「すべてをあるがままに受け入れる」という魔法の処方箋を適応させていくことです。その時の「あるがまま」=「怖れ」です。だから「怖れている状態」の自分を「あるがまま」に受け入れてみるのです。そうしたら、「怖れ」が魔法にかかったかのように変容していくことがわかるでしょう。その状態は自分が望むものではないということもわかってくるのです。あなたはそこにスペースを取り込んで、その状態の受け皿として、スペースとしての自分になるのです。


これは愛の感知手法とまったく同じだ。結局のところ「今」「奥」を感じる「癖」がついてないと、愛が体感できないから「竜」を整える「陰」との調和すらやりにくいのではないかと思う。ただ「癖」を「定着」と呼び「目標化」する危険性は非常に強く感じた。始めたばかりの人にとっては「愛」が一番使いやすいエネルギー域と言っていい。愛の体感までは思い出しているのかどうかが境目、道の基礎かも知れない。フィオラの第一の扉の意味はこういうことだったのかと今思う。



昨日引っかかっていた点は
星(魂の本質。個性の電磁パターン。透視上では球体)とのつながりを回復するために
あらゆる「否認」とその結果としての「無力感」に気づくこと。


あらゆる否認だ。つまり、彼の髪はちょっとサラサラしすぎているから気にいらないというようなものすら含まれるし、対して心の内部で「大人げないぞ。なんて悪いことを考えてしまったんだろう、私はダメなヤツだ」ももちろん含む。そう数えていくと、一人の人間にはどれほどの「否認」があるだろうか。そして全ての否認が何らかの無力感に通じている。体の調子が悪い時に「なんてポンコツな体だ!」と体を否認すると、否認された細胞はどう思い、体はどうなるだろうか。これは水の波動実験と似ている。結局のところ否認したものは否認されたものなのだ。あらゆる否認は「星」を覆う影になる。批判のエネルギーは「批判を行っている張本人が振動低下を味わっている」のであって、あれは良いがこれが悪いなどと否認と裁きを繰り返していると「スクリーン」にいつまでも気づかない結果につながる。「鏡」について学びを終了していないと、その罠にはまるのだ。この世界は「兄弟姉妹」が分離独立しているように見えるから「鏡」のトリックに非常に気づきにくい。これは「竜」の「貨」にもつながる。


「星」とのつながりを思い出す。「炎」というのは「星」の連結(仏教の無碍・相互浸透)だ。炎を目指すためには「星」とのリンクを回復するのが基礎になる。神が与えた本来の個性の回復。それは再統合の過程。あらゆる「否認」を「愛」で溶かしていく。原初の傷を見逃している可能性がある。



今日をありがとうございました。
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