白(しろ)虚空。無。潜在的可能性。
皇(すめらぎ)源。原理。世界樹。
愛(あい)神の愛。人の絆。最後の解。
光(ひかり)透明な光。真我。完全なる叡智と愛の覚醒意識。
炎(ほのお)動の愛、喜、翔。
星(ほし)魂の本質。個性の波。
竜(りゅう)12の竜巻<孤・貨・知・己・振・生・秤・感・愛・思・霊・統>の道。
窓(まど)意識の焦点。世界=観測。
橋(はし)内と外の架け橋、呼吸。
陰(かげ)人と人の集まり。不快感。感情。物質界の存在理由。
砦(とりで)防衛意識。攻撃は全てここから生まれる。悪人はいないが、砦がある。
鏡(かがみ)繁栄(反映)の本質。対義語が抵抗。
虜(とりこ)同じところをぐるぐる回る(無意識)状態。


今夜は最初にこの日記で表現するあらゆる「断言」について。数日前にクリシュナムルティの言葉を挙げたとおり、白だと断じるとそこにはもう黒が含まれている。ということは、断言された言葉というのはおそらく全て「間違い」だろう。しかし、その危険性を認識した上で、言葉の限界と向き合うならば、不正確な断言は描写として必要悪である、かもしれない。私はそういう気持ちで断言した言葉を使っている、と思う。バーソロミューを日本に紹介した髙木悠鼓さんがおっしゃっていた言葉だが、「AはBであり、Bでない」というのが言葉の使い方としてはより正確だが、そう書いてるととてもややこしいので「AはBであると(申し訳ない気持ちで)書く」と。私も倣いたい。このくどい説明を一切の免罪符に今夜も書きたいように書こう。


フィオラの漢字一字モードが止まらない。
「竜の道」は十二文字で表現するよう今日言われ、
まとめてみるとわかりやすく(第一~第七チャクラは生秤感愛思霊統。流動チャクラは孤貨知己振とした。漢字は私が適当に振った)
今後常に自己チェックしていこうと思った。
「鏡」については以前言われていたが、私が気づかなかった。
今まで言われたことはこれで全部拾えたと思う。
日本人に生まれたのに、漢字一文字で表現することの利点に気づいてなかった。


竜の道はまず7つの竜巻をどう見るかが基本で、「統(とう)」以外は複雑だ。
クラウンチャクラ「統」とは。
統は、その人の霊性との結びつきと、肉体的、感情的、精神的、霊的な全人格の統合に関連している。さらに次の12竜巻への移行の扉となる。このチャクラが閉じていると、その人は自己の霊性に目覚めない。宇宙的な拡張の感覚を持たず、人々が自分たちの霊的な経験について語るとき、彼らが何について言っているのか理解できないだろう。このチャクラが開いていれば、その人は非常に特有な個人的な形で、しばしば霊性を経験する。この霊性はドグマ(教理)によって定義づけられたり、言葉で簡単に言い表されるものではない。それはむしろ存在の状態であり、無限に広がる現世のリアリティを超越した状態である。それは物理的世界を超え、個人の中に全体の観念や平和や信頼を作り出すとともに、自らの存在に意義を与える。ここで注意すべきことはこれが閉じている人は「わざと」閉じているということ。それにより魂の旅の質が上下することはありえない。「スピリチュアル」に興味を持つ者はほぼ全員「統」が開いているはずだが、ほんの欠片たりともそのことに優劣を感じているのであれば、それは自己欺瞞である。全ての人間は守護されており、生前・生後の台本の定めに従っている(いくらでも劇中で改変できるが)演劇中の役者にすぎない。見放された者・救われなければならない弱き者など最初からどこにもいない(霊的には)。それはつまり混乱した意識の観測における幻影なのだ。だがBHNや機会の平等のために働いていらっしゃる方々やこの人間界の闇を変容する努力を否定しているつもりは全くない。この人間世界に闇はある。ないというのが馬鹿馬鹿しいぐらいにある。全ては愛だと言うのも正しい。どちらも正しい。私たちは複数の世界で同時に生きている。


そして流動チャクラ(位置が不特定で流動する竜巻)の孤・貨・知・己・振は、


「孤」がひとりでいること。ひとり旅するとか、テレビの音に頼らなかったり、ひとりでいることそのものの静寂、その関係性、バランスがとれていれば人に頼らない。無理しないでも寂しさに負けない。人と一緒にいようが、一人でいようがどちらでもOKと感じる。そういうバランスのこと。


「貨」はそのままお金のこと。裏返すと人生を信頼する力。お金の裏も「信頼」。人生が偶然だと信じているなら、現状を安全に保(とうとする)ために多大なエネルギーを消費し続けるだろう。人生を信頼するかどうかは個々人の選択であり責任。これは他の竜巻もそうだが、体験から学ぶことのため、口で言えるようなことでは決してない。もし人生の台本が「貧乏」の方がこの人は霊性の成長に関してよく学ぶという設定がデフォルトになっていると、一時的に資産家になっても、また貧乏に戻る。そういう青写真とも関連している。書き換えは他の台本と同じでもちろん可能。


「知」は叡智。あらゆる人の考えをそのまま認め、自由にさせる態度に現れる。議論をする者は叡智のバランスがまったくとれていないとほぼ断じていいだろう。その瞬間その瞬間の自分の叡智を信頼するならば、過去の自分の判断にさえこだわらず、適切な変化を受容できるし、変われるはず。これは本を読んだり、知識を集めても全くの無関係。知識量とは何の関係もない。


「己」は責任の竜巻。責任とは他人に対する責任ではなく、人生で気にいらないことがあったら、それを何とかするのは「己」だけであることを理解するという意味の責任。つまり外部への責任転嫁にはならず、己と向き合うことができるバランスの持ち主。


「振」は振動から採った。基本的にあらゆるもの、全ては振動と言える。全て。目に見えないエネルギーが物質界で体現される時に、この振動がパワフルであるか、ないか、という二極のどちらかに偏るとうつ状態になったり、躁状態になる。超消極的と言えるほど落ち込みが激しかったり、無謀と言えるほど事実を見ない蛮勇だったりするのはこの「振」の竜巻のバランスがとれていない。


第1~第6までの竜巻
生・秤・感・愛・思・霊はまた後日まとめようと思う。チャクラはエネルギーの扉なので、ここの回転やバランスがとれていないとエネルギーが詰まっていく。そのまま放置すれば肉体上の病気にも発展していく。後日とりあげるが、竜の道に関するフィオラの基本的姿勢はシンプルで、「陰」(つまり不快感)を逃亡せずに感じ尽くし、調和することだとしている。基本は陰発生の瞬間に感じ尽くす。記憶を呼び出して感情を再生産する方法も有効。フィオラはノートに今まで嫌いになった人物を全員まとめて「嫌いなみんなノート」を書きなさいと言っていた。その場面を不完全ながらも再現して、それに「関わった自分を今愛しているか」確認することで、嫌いなあの人たちの一人一人を愛していることに気づいていくと。それが陰との調和と竜の道につながっていくと言っていた。



人間の精神の果たすべき任務とは、すべてを二極の価値観(善悪、白黒、左右などの対立する価値を基準とする考え方)で判断する地球界の意識にしばられながら、自分のまわりに現象として現れている両極のあいだを、どのように動いていくかを学ぶことです。地球は二極性を持って機能している惑星であり(他の惑星はまた異なります)、地球の役目は、それらのエネルギーの相互作用を理解する機会をあなた方に与えることにあります。


それらはすべて未来や過去に関するものです。そのような焦点の当て方が問題なのは、あなたが二極のあいだを行ったり来たりする結果、「大地に根ざす」パワーを持つことができないという理由からです。大地に根ざすのは、いつもいまの瞬間においてのみなされます。意識が大地に根ざしていると、深い安心感と安定感を得ることができますが、それがないと、悩みや苦しみが生じます。悩みや苦しみは思考から生まれ、思考から拡大していきます。
(ここが重要。思考が問題の根源なのは正しい。だが問題を解決しようとするとバランスを失うとフィオラは言っていた。直接答えを体現することが大事だ。答えとは大いなる光であり真我であり、完全なる叡智と愛に満ちた覚醒意識である。誰もが最初からそれである。最初からそれだからこそ、練習が必要と信じては逆効果になる。探して見つける必要があると信じると逆効果になる。それを探すのではない。それを実践するのだ。練習するのではない。実践するのだ。反復”練習”なのではない。反復”実践”なのだ)


神が人間の苦しみを創り出したと言われますが、それは真実ではありません。人間が創ったのです。無意味に苦しむ必要はありません。無意味に苦しむことは死と同じです。


長い年月を経て人が気づいたのは、心の平安と完全性を自分の外の世界に求めるのはまちがっている、ということを人間に知らせてくれる最良の手段が、苦痛だということです。苦痛は、外界から内界へ人の注意を方向転換させる手段として、人間が選んだものの一つですが、それが唯一の手段である必要はありません。



花はいのちです。無心に咲きなさい。
あなたにわかることはなにもなく、ただここにいまこうしてあるいのちが咲いているのです。
果てなき夢がおわりますように。あの絶望が雨になり、つぎのいのちにつながりますように。
あなたとともにあります。しんじなさい。

今日もありがとうございました。
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