ヨブ記はおそらく


心構えではなく、実用を説いている。
旧型のラジオを思い浮かべると

金庫の「正解」をじりじりとチューニング(同調)するように
正解は向こうから「来る」し、同時にこちらから「行く」ものだ。
ぽかーんと待つものでもなければ、一方的にダッシュするものでもない。
同調するのは「客体」でもあり、「主体」でもある。
投げかけたものは受けとっていて、受けとったものは投げかけている。
これからどんな時代が来ようとも、
この同調に見られるような「円環の構造」は変わらない。
ほぼ誰しもが同じところをぐるぐると回っている個人的な円の中にいるのではないか。
では「主役」はどこにいるのだろうか?
言葉どおり、「どこにいるのか?」
もしかしてわたしたちはただの”チューニング”なのか?n240212



もしかして24日の四川省・成都の日中韓サミットのことだろうか。
雲南省の山桜ではなくて。結果で異常値が出るかどうか見るしかない。n
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Fiora & nobody