金王朝の問題さえ解決すれば、韓国と北朝鮮が再統一し、統一朝鮮となることを私は隣国の国民として望んでいる。この二国が分断されていることに関して、日本に責任の一端はある。おそらくいま韓国が死ぬほど苦しんでいるのも、100年前の日本の(精神と)行動に責任の一端は、あると感じる。
いまのような責任のなすりあいではなく、未来に自立した国家と国家の関係となり、統一朝鮮の人々と隣人としての健全な関係に戻りたいと思っている。だからこそ正直言って、いまの中国共産党や、金正恩との関係を韓国の人々が性急に判断してしまいそうになっていることを残念に思っている。もしここで韓国の人々がレッドチームを選べば、もう日本とは正常な軌道に戻らない(戻らないうちに時間切れになる)かもしれない。
安倍首相は習近平を国賓とすると言ったが、この一事でも私は彼の人権感覚を一切信じない。自民が改憲草案を出した時点で日本の国民とマスコミは対処しなければならなかったと今でも感じる。n260117











《最悪の韓国経済》恋愛、結婚、出産、就職…若き「N放世代」は人生を諦める
「週刊文春デジタル」編集部
2019/12/24 06:00


12月24日、1年3カ月ぶりとなる日韓首脳会談が行われる。元徴用工の問題の解決の糸口が見付けられるかが焦点とされるが、会談に臨む韓国の文在寅大統領を悩ませているのが、韓国経済の悪化だ。


「韓国経済、50年で最悪の状況」と英フィナンシャル・タイムズ(11月29日付)に論評された韓国経済に、今何が起こっているのか。韓国経済を国民生活の視点から切り取った『 韓国 行き過ぎた資本主義 』(講談社現代新書)の著者、フリージャーナリストの金敬哲氏に聞いた。


無限競争社会の悲鳴


いま、韓国では「ヘル朝鮮」という言葉が流行しています。


「地獄(HELL)のような韓国社会」という意味で、わざわざ「韓国」ではなく「朝鮮」としているのは、14世紀から続いた朝鮮王朝時代のような「前近代的な国」という自虐の意味が込められています。


1997年のIMF危機以降、韓国では新自由主義的な政策が続けられ、国民の間に経済格差が広がり社会問題になっています。「この状況を変えて欲しい」と、国民から希望を託された文在寅政権でしたが、経済政策の失敗が続き、国民の期待は裏切られた格好です。


経済が悪化した結果、いまの韓国は、社会のどこにいても激しい競争が求められる上に、生まれた瞬間から“階級”が決まってしまっているような閉塞感に包まれています。これが「前近代的」というわけです。


学生の「8大スペック」とは


若者の就職率の低下は深刻です。韓国の大卒(文系)の就職率は、56%。そのため就職活動は熾烈です。インターンシップでさえ倍率は異様なほど高騰しています。大手財閥系企業なら数百倍にもなります。


激しい競争の中で、いかに自分が優秀かを示さなければいけない。韓国の学生たちは、就職に必要なスキルや資格のことを「スペック」と呼びます。


韓国の大学生に就職に必要な「8大スペック」とよばれるものがあります。その内訳は、「出身大学」「成績」「海外語学研修」「TOEICの成績」「大手企業が開催する公募展」「資格」「インターン」「ボランティア活動」。


学生時代にこれだけ幅広いスキルを身につけるとなれば、時間が必要です。いまの大学生たちに話を聞くと、最近は「時間がもったいない」という理由で、友達づきあいも避ける学生もいる。友人や恋人と食事に1時間費やすより、10分でコンビニのご飯を食べて、残りの時間はスペックを磨くことに使うのです。


当然ながら、それだけ教育にお金がかかりますから、家の経済力も重要です。いま、韓国では「スプーン階級論」という言葉が使われています。「スプーン」とは生まれた家の経済力のこと。「金のスプーン」を持って生まれたら一生裕福ですが、「土のスプーン」では生涯貧乏。経済格差が広がり、生まれた瞬間から「自分がどこまでスペックを積めるか」が決まっているように感じてしまう社会なのです。


ここまで追い込まれた韓国の青年たちは、自分たちの世代を自嘲的に、「N放(ポ)世代」と呼びます。「放」とは、韓国語で「諦める」という言葉の頭文字です。


2011年に恋愛、結婚、出産を諦める「三放世代」という言葉が韓国で流行ったのですが、その3つ以外にも、就職、マイホーム、人間関係、将来の夢、さらには自分の人生そのものまで……不定数の「N=すべて」を諦めた世代という意味です。


こんな環境では、2018年の出生率が世界初の0人台を記録したのも不思議ではありません。2019年7~9月では、ソウル市の出生率が0.69となりました。少子高齢化が信じられないスピードで進んでいるのです。


チキン屋たちの“チキンレース”


高齢者に目を転じても、格差社会が広がっています。高齢者の貧困は大問題になっています。


老人貧困率はOECDで最も高い46%。韓国で国民年金制度が本格的に導入されたのは、1988年。そのため、国民年金を受け取っている老人は、全体の42%にすぎません。老人の2人に1人は、政府が所得の低い老人に配る最大30万ウォン(約3万円)の基礎年金を含めても、月の生活費が100万ウォン(約10万円)に届きません。


その結果、韓国は、高齢者が世界で最も高齢まで働かざるを得ない国になりました。OECDの資料では、労働市場から完全に離れる引退年齢が、2017年時点で男性が72.9歳、女性が73.1歳です。


韓国も日本同様、60歳定年が一般的です。「定年からさらに10年以上働くのか」と思うかもしれませんが、実際はもっと長い。というのも、韓国企業は社内も実力主義で競争が激しく、50代前半には退職させられるケースが多いのです。サムスン電子など財閥大手は30代後半でクビも珍しくありません。


韓国人男性の人生を指して、「起-承-転-チキン」という言葉があります。学歴が高卒であれ名門大学卒であれ、大手企業に入っても中小企業でも、最後には「チキン屋」になるという意味の言葉です。


チキンは、韓国のソウルフードというべき国民食です。今や、チキン店は、韓国全土に8万7000店あまりが営業中で、この数は全世界のマクドナルド約3万7000店の約2.4倍にのぼります。


チキン屋は、退職をした人にとって始めやすい商売です。フランチャイズなら材料や調理マニュアルもある、インテリア業者まで紹介してくれて、5000万ウォン(約500万円)から開業ができるといいます。韓国の映画やドラマを見ていると、よくチキンを食べているシーンを見ると思います。登場人物の1人は必ずチキン屋をやっているといわれるほど(笑)。そのくらいポピュラーな商売です。


一方で、1年にオープンするチキン屋と、廃業するチキン屋が同じぐらい。国民食といっても限界はあるので、廃業も多い。厳しい出世競争から降りても、降りた先で激しい競争が続くのです。


デモで癒やされる老人たち


老人たちを取り巻く苦難は経済的な問題だけではありません。社会福祉の仕組みが整わない状態で高齢化が進んだため、いま現役世代の経済的な負担が一気に増大しています。


この不況で若い世代はいくら苦労して働いても、自分たちが年寄りになったら年金として戻ってこない。なぜ今の老人たちをそんな自分たちが背負わなければいけないのか、という不満が噴出しているのです。


韓国といえば儒教の教えから「敬老社会」とされてきましたが、いまは若者が老人を「年金虫(=年金をむしばむ害虫)」と老害扱いして、虐待と暴力も増加傾向です。高齢者の自殺は社会問題になって、「嫌老社会」化が進んでいます。


いま、老人たちの逃げ場として、公園のベンチで孤独に過ごす人も多いです。私自身、取材中に老人はどこへ行ってもすごく優しく、何でも話してくれました。それだけ寂しい、話し相手がいないという面もあると思います。


印象的だったのが、インタビューした老人が「自分は本当につまらない人間だけど、毎週土曜日に光化門でデモをしている」と語ったことです。デモに参加すると愛国者になったような気分になるというんですね。居場所もなく自己肯定感も低い老人にとって、保守派であれ、革新派であれ、数少ない満足感を得ることができる場所がデモになっているのです。


近未来の日本で起こるかもしれない


ここまで、韓国の現状を見てきましたが、私は、日本社会も実はあまり変わらないのではないか、と考えています。今回の本を書いた目的も、韓国のことをしっかり理解してほしいという思いと同時に、「近未来の日本でも起こり得ること」として読んでもらいたかったのです。


私が日本に留学したのは1990年代中盤。当時、バブル経済が崩壊した後とはいえ、まだまだ経済的な活力があったし、元気な社会でした。それが、最近の日本は、格差社会が叫ばれ、やはり老人の貧困問題が浮上しています。「自己責任」という言葉がもてはやされた時もありました。実は、一歩一歩、韓国に似てきているのではないか、と思うのです。韓国の今の極端な状況は、いつでも日本でも起こり得ること――という気持ちで捉えてもらえたら嬉しいです。
(「週刊文春デジタル」編集部/週刊文春デジタル)



四川省・成都の日中韓サミットは成果は特に何もなかった。
やはり雲南省の山桜か、もしくはこの人工太陽のことだろうか。n


中国の次世代制御可能核融合研究装置「中国還流器2号M(HL-2M)」は現在、建造が着々と進んでおり、2020年に運転開始、関連の科学実験が行われる見通しになっている。
核融合のエネルギー発生原理は太陽が発光、発熱する原理と似ており、地球上でのクリーンエネルギー模索を目的とする制御可能核融合研究装置は「人工太陽」とも呼ばれる。
HL-2Mは中国の次世代制御可能核融合研究装置で、中国核工業集団傘下の核工業西南物理研究院が請け負い、四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)で建造を進めており、核融合コア技術研究展開の重要なプラットフォームとされている。
同研究院の段旭如(Duan Xuru)院長は「プロジェクトは現在、据え付け作業が着々と進んでおり、HL-2Mは2020年には運転に移され、関連の科学実験を開始する」との見通しを示した。
国内の同類装置に比べ、HL-2Mは、より先進的な構造と制御方式を採用、セ氏2億度のプラズマ運転が可能。同装置は中国が国際熱核融合実験炉(ITER)の関連実験・運転に参加、将来的に独自に核融合炉を設計・建造するために重要な技術面からの支持を提供する。
(c)Xinhua News/AFPBB News 2019年11月27日



国などの救済対象となった被害者だけでもおよそ5万人にも及び、世界に例をみないほど大規模な公害問題を引き起こした水俣病。その被害者である漁民たちの運動や患者たちの苦悩・希望を克明に描ききった一冊の本があります。「苦海浄土」。1950~60年代の日本の公害問題を知る上での原点ともいうべき本であるとともに、そこに込められた深い問いやメッセージの普遍性から「20世紀の世界文学」という評価も受けている名著です。


著者の石牟礼道子(1927-)はもともと一介の主婦でした。しかし自らの故郷を襲った惨禍に出会い、やむにやまれない気持ちから水俣病患者からの聞き書きを開始、「苦海浄土」を書き始めます。以来、水俣病患者や彼らにかかわる人々に寄り添い続け、全三部完結まで足かけ四十年以上、原稿用紙にして二千二百枚を越える文章を書き継ぎました。


この書は単に公害病である「水俣病」を告発するだけにとどまりません。「苦海浄土」に描かれた人々の生き方からは、「極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳」「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望」が浮かび上がってくます。さらには、公害を生んだ近代文明の根底的な批判や、そうした近代の病を無意識裡に支えてきた私たち一人一人の「罪」についても鋭く抉り出します。この本は、単なる公害告発の書ではなく、文明論的な洞察がなされた著作でもあるのです。


石牟礼道子がとりわけこだわったのは、言葉すら発することができなくなった患者たちの「声なき声」だった。「ものをいいきらんばってん、人一倍、魂の深か子でござす」。例えばそう語られる患者の一挙手一投足に目を凝らし、彼らが本当にいいたいことに耳をすます。その結果記録されたのは、魂の奥底から照らし出されるような力強い言葉だった。


「生命の根源に対してなお加えられつつある近代産業の所業とはどのような人格としてとらえなければならないか」。そう宣言し、石牟礼は「みんながやったんです」「私の責任じゃないんです」といった責任回避の論理を徹底して否定してみせる。そういう曖昧な捉え方をしていては、今起こっている出来事の正体を見過ごしてしまう。


近代には、我々が普通に考えている人格とは違う、「化け物」のような人格があるということを見極めることが大事だと石牟礼はいう。


近代文学では通常、作者がいて作品がある、作品は作者に属するものである、と考えられます。社会的にはもちろんその通りなのですが、『苦海浄土』をめぐっては、本質的にはそれとは異なる意味があります。少なくとも石牟礼にはそう感じられていたように思われます。『苦海浄土』は水俣病の患者たちが本当の語り手であって、自分はその言葉を預かっただけなのだ、という強い自覚が彼女にはある。表現を変えながら彼女は様々なところで、水俣病の患者たちは、言葉を奪われて書くことができない、自分はその秘められた言葉の通路になっただけだと語っています。


彼女は、現代詩の枠組みを超えた新しい「詩」のつもりで書いた、と語っていました。
『苦海浄土』は、詩である、と聞くと何か違和感を覚えるかもしれません。ただ、ここでいう「詩」とは、単に文学の一形式としての「詩作品」であるだけでなく、文学の根源的な精神を表象する「詩情」の結晶である、と考えることができるのではないでしょうか。また、詩には決まった形式は存在しないということも、ここでもう一度思い出したいと思います。


ともあれ、『苦海浄土』という作品が、既存のどのジャンルにも当てはまらない、まったく新しい文学の姿と可能性を伴って現れた、二十世紀日本文学を代表する作品であり続けていることは、すでに動かせない事実となっています。


計測可能な時間のなかで、すべてのことは過ぎ去ってしまうのか。けっして過ぎ去ることのない永遠に連なることが、この世にはあるのではないか。生命は滅びる。しかし、万物の「いのち」はけっして朽ちることがないのではないか、と彼女は全編を通じて読者に問いかけてきます。


『苦海浄土』を書いているとき、どんな心境でしたかと彼女に尋ねたことがあります。しばらく沈黙してから彼女は「荘厳されているように感じました」と答えました。
荘厳の光は、苛烈な、ときに残酷なまでの苦しみを生き抜いた水俣病の患者とその家族の言葉にならない祈りによってもたらされている、それが石牟礼道子の今も続く強い実感です。


そもそも「正しい」読書方法などあるのでしょうか。文字の正しい読み方はあります。しかし、本の正しい感じ方などありません。
ただ、自分の読みが絶対だと思わないことは重要です。


本当の苦痛、苦難を抱えている人は、彼女の後ろにいるのだということを、私たちは見続けなければいけない。それが読者の役割であり、作者である石牟礼の悲願であるように思われるのです。


「苦海浄土」に描かれているのは人間だけではない。魚や貝や鳥たち…最も弱き者たちから傷つけられていくのが「水俣病」なのである。この状況を見つめるとき、人間は、自分をはるかに超えた大きな生命の一部だという厳粛な事実に気づかされる。こうした生命観を回復しなければ人は再び同じ過ちを犯してしまうかもしれないということを「苦海浄土」は教えてくれる。


僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業とはどのような人格としてとらえなければならないか。
 石牟礼道子「苦海浄土」より


「東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ。あれが国ならば国ちゅうもんは、おとろしか。(中略)どこに行けば、俺家の国のあるじゃろか」


「苦海浄土」は魂のリレーのように今に受け継がれている。水俣病患者であるにもかかわらず「チッソは私だった」と自分自身の内なる罪をも同時に告発しようとする緒方正人さん。言語を絶する苦しみにさらされながらも「私たちは許すことにした」と語る杉本栄子さん。「絶対に許さないから握手をするんだ」「終わりはないけど一緒に終わりのない道を歩くから握手をするんだ」といって原因企業であるチッソと対話をしようとする患者たち。そこには、憎悪の連鎖を断ち切ろうとする水俣の叡知があり「苦海浄土」の残響がはっきりと読み取れる。


「力と量によってのみ価値をはかろうとする『近代産業』の暗部に生まれた、命名し難い化け物に立ち向かうためには、人はひとりにならなければならないと石牟礼は感じている。化け物は、群集によってつくられた。群れと闘い得るのは、もう一つの群れではなく、個である、という確信がここにある。人は、群れた途端に見えなくなるものがあります。だが、ひとりでいるときには、はっきりと見える。石牟礼はそのことに気づき、ひとりで闘った。(中略)水俣病の運動で人々は、集うことはあっても群れません。それぞれの志、それぞれの立場を持って集うけれど、けっして群れない」


ネット社会の匿名性の中で、「個」を失い、思考を停止して紋切り型のレッテル貼りだけを行い、他者を切り捨て、憎悪の感情のみをひたすら煽り立てるようなことが横行する現代社会。「苦海浄土」は、私自身も陥りがちなこうした「群れることの罠」を厳しく警告しています。



木花咲耶姫様の御神示
2019年12月24日
繰り返し申すれど、この地球と人間を創るため、神は計り知れぬ奇跡を幾度となく起こされ、多くの恵みを与えられん。
神は慈愛を注がれ、人間をお創りになられたり。
神は、人間がこの世の頂点に立ち、この地球の全生命を治め守りて、この地球を守るを望まれたり。
なれどその願いに反し、与えられた知恵や、我欲にて神から与えられたる恵みの使い方さえ、過つなり。
今や人間は、神の御意図に背きて、魂を穢し地球を汚し破壊する恐ろしき存在となりにけり。
遠い遠い太古の日々の如く、美しき魂にて、神に感謝し、共に手を取り合い生きるなれば、立て替え直しの必要もなく、この世にことさら神の力を示すこともなし。
なれど、ここに来て神はあまりの人の気づきのなさに、遥かに厳しき立て分けを行い、遥かに厳しき天変地異を起こされんとさるる。
この世に毒をためたまま、膿をださぬままなれば、この世はいずれそう遠くない未来に朽ち果てようぞ
言うまでもなく、毒を撒き散らしたるは人間ならん。人間は愚かなり。
皮肉にも神から与えられし知恵にて、文明が進めば進むほどに、神からも、そして他の人間からも離れんとす。
文明が発達しすぎて、現金を手渡すことすら無くなりて、人と人とが顔を合わせぬ時代が進まんとす。
人類は一体どこに進まんとするや。
どこまでも文明の利器を追い求めるも、どこまでいっても満足はなし。
便利さの代償として食品は汚染され安全なる食べ物は減りて、海や川や、山の生態系乱れて、温暖化は急速に進みゆく。
そこから目を逸らし、便利なるをひたすら求める人類は、愚かにて、哀れなるかな。





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