身体は逃げても、心はそこに置き去りになっていることがよくある。心が身体と共に移動してくれるのは、自己(心)と自己(体)との事前合意がなされ、覚悟が定まっているときだ。
山岡鉄舟の無刀(むとう)は、心の外に刀がないこと。心でもって心を打つことだと聞いた。
心が置き去りになっていると、迷ってしまう。


地獄に巻き込まれ、この年越しを迎える方も大勢いる。
この一年を家族ともども無事に過ごせたことに感謝します。読んでくださったみなさん、ありがとうございました。どうかよいお年を。n310059



米朝対立時、トランプ大統領が在韓米国人の退去一時指示…側近止める
読売新聞 2019/12/27 23:11


【ニューヨーク=橋本潤也】北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、米国による軍事攻撃の可能性が指摘されていた2018年初旬、トランプ米大統領が側近らに対し、韓国国内から米国市民の退去を一時指示していたことが、米ジャーナリストの著書で明らかになった。周辺の説得でトランプ氏は断念したが、国防総省は当初、パニックに陥ったという。


暴露本のタイトルは「TRUMP AND HIS GENERALS(トランプと彼の将軍たち)」で、10日に発売された。著者のピーター・バーゲン氏は1997年、国際テロ組織「アル・カーイダ」の指導者ウサマ・ビンラーディンに初めてテレビインタビューしたことで知られる。


トランプ氏はFOXテレビの番組で、「米軍が先制攻撃を検討していると北朝鮮に理解させるためには、米軍人の家族を韓国に送るのをやめるべきだ」との識者の意見を聞き、側近らに「韓国から米国民を避難させたい」と提案したという。側近からは「戦争を始めるシグナルを送ることになる」「韓国の市場がクラッシュする」と懸念が出たが、トランプ氏は「Go do it!(いいからやれ!)」と指示したという。


政権発足当初の17年4月の会議で、政府担当者が中国や韓国と比べて暗さが目立つ北朝鮮周辺の夜間の衛星写真を見せると、トランプ氏は「ここは海なのか?」と尋ねたという。「なぜソウルは北朝鮮国境にこんなに近いのか。彼らは避難する必要がある」とも語ったが、側近らは、トランプ氏が本気なのか冗談を言っているのか、その場では判断できなかったと描写している。



大学規約から「思想の自由」削除に抗議 中国の名門・復旦大で異例の集会
毎日新聞
2019/12/28 09:15


中国・上海の名門大、復旦大で、同校の運営方針を定めた規約が改正され「思想の自由」などをうたった部分が削られた。代わりに「中国共産党の指導を堅持する」ことなどが盛り込まれ、大学では学生らによる抗議集会が18日以降、断続的に開催されている。民主化を求める学生らを武力鎮圧した天安門事件から30年の今年、中国当局は大学での思想管理を徹底。名門大でのこうした集会は極めて異例だ。


中国では大学の規約改正に教育省の許可が必要。同省が12月5日に許可した復旦大の新規約によると、序文にあった「学校の学術・運営理念は校歌にうたわれている学術の独立と思想の自由」との部分が削除された。そして「学校は中国共産党の指導を堅持し、党の教育方針を全面的に貫徹する」となった。


中国国内のネット上に投稿された動画によると、大勢の学生が構内の食堂に集まり、校歌を合唱し、抗議の意思を示した。


校歌には「学術の独立、思想の自由」や「政治の管理をはね返そう」という趣旨のフレーズがある。校歌は1925年から歌われており、当時は国民党統治下だった。


学生らは、大学当局が改正に必要な民主的な手続きを無視したと批判しているという。「中国共産党の指導」は憲法にも明記されており、党の批判が許されないことから、改正手続きを問題視している模様だ。


ネットで投稿削除、「復旦」検索できず


既にネット上では関連投稿がほぼ削除されている。検索サイトでも「復旦」「自由」などのキーワードで検索できなくなっている。


復旦大は18日に「改正手続きは合法的に行われ、党の指導をさらに徹底するものだ」とのコメントを出した。


中国の大学では、中国共産党の影響力が強まっており、教授選などで党の意向がより強く反映されるようになっている。今後も大学の規約改正が進められる見通し。中国当局は、抗議運動が各地に飛び火することを警戒しているようだ。【北京・浦松丈二】



なんだか最近すごい役者が世に出てきている気がする。
見ていると心が洗われるような演技を見せてもらえるって贅沢だ。n






何万年という時間をかけて生み出されてきた地層や石から地球の時間を感受した賢治。法華経を熱心に信仰し宗教的な生き方に身を捧げようとした賢治。遥か彼方からの届く星々の光に思いをはせ、宇宙を物語にした賢治。最愛の妹トシを失った痛切な体験を慟哭ともいえるような詩の言葉にした賢治。賢治の作品には、彼自身の人生そのものがつまっています。死の間際に自分の書いた原稿を「迷いの跡」とまでいった賢治は、生涯、命を削るように作品を創造し続けました。


自ら綴った物語を「虹や月あかりからもらつてきた」と記す「注文の多い料理店」。ここには賢治と自然との特異な関わりが見出せる。首に手帳とペンをぶら下げて夜の山を歩きながら言葉を連ねていったという賢治。彼は自然から何らかのエネルギーをもらい、まるで自然と一体化するように作品を作っていった。彼の童話作品を読んでいくと、詩が生まれ、音楽が生まれ、踊りが生まれる自然界こそが賢治の創作の源だったことがわかる。


心象スケッチ「春と修羅」。この作品は単なる詩集ではないと山下聖美さんはいう。「心象スケッチ」とは、ただ単に一人の人間の心のうちを描くものではない。心象とは、宇宙や無限につながるものであり、人間の心象を描くというのは、個人的なものを越えて普遍的なものをスケッチすることだと賢治はいいたかったのだという。妹トシの死への悲しみを刻印した一篇「永訣の朝」も、単に個人の悲しみだけではなく、人間の「生と死」という絶対的な真実をこそ記そうとしたのである。


人間は、役に立つことだけでなく無駄なこともやりたくなります。実際にやってしまっては法律で裁かれるようなこと、現世では決して許されないようなことも、実はやりたくなるのが人間です。取り返しのつかない過去の行為についての後悔や、どうしてもできないことに対する葛藤もあるでしょう。そうした人間の心の居場所はどこにあるのか。それが文学です。文学とは、善も悪も清も濁も同時に存在する、大変豊穣な世界なのです。


こうした文学の本質を最もよく表しているのが、宮沢賢治(一八九六~一九三三)という作家です。賢治は三十七年という短い生涯の中で、詩約八百篇、童話約百篇をはじめとする膨大な数の作品を生み出しました。


賢治の童話は読者に、わかりやすい教訓というよりも、「わからなさ」の感覚を残します。だからこそ読者の想像力のスイッチが入り、小さな子どもから大人まで多くの人に読まれ続けているのでしょう。



これは何だろう、なぜだろうと思う謎や疑問がいくつもあり、それを自分なりに解釈したくなる。解釈にとどまらず、賢治の作品から受け取ったインスピレーションを自分の創作のきっかけとするようなクリエイターも多い。繁殖力のある文学、と言ってもよいかもしれません。


賢治ほど、現実と理想のギャップの中で煩悶した人間はいない。父親に反発しながらも経済的に頼らざるを得ない負い目。農民の幸せを願って創設した「羅須地人協会」が誰からも理解されずに頓挫したこと。病弱のために仕事を全うできなかったこと。その苦悩と、必死の願い、祈りの全てが込められた作品が「雨ニモマケズ」であり、理想と現実のせめぎあいを描いたのが「なめとこ山の熊」などの童話だった。


永久の未完成これ完成である。
 宮沢賢治「農民芸術概論綱要」より


賢治は、「ほんとう」を追求し続けたにもかかわらず、死ぬ間際に、自分の人生を「迷いの跡」だと言い放ちます。これは何を意味するのでしょうか?


「けれどもほんたうのさいはひは一体なんだらう。」ジョバンニが云ひました。
「僕わからない。」カンパネルラがぼんやり云ひました。


前期の賢治の童話には、「自己を犠牲にしないと本当の幸せは訪れない」というテーマが繰り返し語られ、それこそが真理なのだという重苦しい雰囲気が漂っています。しかし、後期の賢治には、少し変化が感じられます。たとえば、「学者アラムハラドの見た着物」では、学者アラムハラドが「人が何としてもさうしないでゐられないこと」は何かという質問したのに対して、彼がもっとも信頼する生徒セララバアドは「人はほんたうのいいことが何だかを考へないでゐられないと思ひます」と答えます。「自己犠牲」や「いいこと」ではなく、「いいことが何だかを考えること」。つまり「問い続けること」こそが人間のあり方だといっているのです。


賢治が繰り返し使った「ほんとうの幸い」という言葉。「ほんとう」すなわち究極の答えとしての真理。古今東西の哲学者や文学者たちが求めてやまない真理を、賢治は「ほんとう」という言葉に込め真剣に考え追求した。「銀河鉄道の夜」や「学者アラムハラドの見た着物」には、そのテーマが貫かれている。だが「ほんとう」を追求し続けたにもかかわらず死ぬ間際に自分の人生を「迷いの跡」だと言い放つ賢治。これは何を意味するのか? 山下聖美さんは、「ほんとう」に行き着くための「迷い」自体が、彼の貫いた文学の道だという。「永久の未完成これ完成である」。この言葉に賢治の文学と生き方が象徴されているのだ。



山を自由自在に駆け巡り、熊たちと命のやりとりをする小十郎の姿は、殺し殺される関係にあるにもかかわらず、どこか神々しいものがあります。これを山下さんは「仕事」と呼びます。それに比べて、山を降りて、町で「熊の皮と肝」を二束三文で売り払わなければならない小十郎には、山の中で働いていたような輝きはありません。これを山下さんは「労働」と呼びます。生活のためとはいえ、商人に、「命の糧」ともいえるようなものを買い叩かれる小十郎の姿は、わびしく切ないものがあります。


自分の時間を切り売りする「労働」だけに重心が傾きすぎるとき、人は「生きる意味」すら失いかねません。そういうときにふと立ち止まってみること。自分にとって「働くとはどういうことか」という本来の意味を問い直してみること。宮沢賢治の「仕事観」は、そのことに気づかせてくれる尺度を与えてくれるような気がします。また、制度改革、社会設計の際に、「働くこと」を単に「量的なもの」ではなく、「質的なもの」としてみる賢治の視点はとても大事だと思います。


自然を一方的に支配する「トラヴァイユ(労働)」ではなく、むしろ自然のよさを受動的に引き出し、自然と調和していく「ポイエーシス(制作)」を労働概念の中ににとりもどそうとしたレヴィ=ストロース。「ダルマを果たせ、トポスに生きよ」という言葉で、宇宙全体の中で、誰とも交換が不可能なかけがえのない役割を果たすことを説いたガンディー。








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