見て見ぬふりは危険だ。
16歳がそうしてきたわたしたちに「How dare you!」と叫んでくれたように、中国共産党の民族浄化にも、北朝鮮で餓死し続けている人々のことも、なかったように扱うべきではない。
なぜなら必ず悪化してまた表に現れるだけだから。
オバマ元大統領や小泉元首相は見て見ぬふりをすることの危険を結果でもって知らせてくれた。
戦略的忍耐と呼ぼうがなんと呼ぼうが、いま苦しんでいる被害者に対して見て見ぬふりをすれば、彼らに味あわせた失望以上の失望が自分たちに返ってくるだろう。
日本も80年前は人権を踏みつける国家に成り下がっていた。
中国や北朝鮮のことを笑える立場ではない。持ち回りで今度は、
見たものは見た、と言わなければいけない立場なのだと思う。n010218






紅白は
三浦大知、King Gnu、綾瀬はるかの度胸、Superflyのアカペラ、いきものがかり、MISIAが良かった。なにより戸田恵梨香が綺麗だった。n



カワイイ
イツシカコノコガイトオシクナッテキタ



キョウボウデツヨイドウブツダトオモッテイタケド
ジツハオトナシクテ
ヨワサヲカカエテイキテイル
ワタシノナカデチーターノイメージガカワッタ
ミズモエモノモスクナイケド



イキヌイテ。


訳知り顔でコメントした直後






フリが効いていておもしろかったn



「人生論ノート」という一風変わったタイトルの本があります。1937年に冒頭の一章が発表されて以来、80年近くもロングセラーを続ける名著です。「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれたエッセイですが、その表題に比べて内容は難解です。書いたのは、西田幾多郎、和辻哲郎らとも並び称される日本を代表する哲学者、三木 清(1897- 1945)。


「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。いわく「幸福の問題は主知主義にとって最大の支柱である」「幸福を武器として闘うもののみが斃れてもなお幸福である」。幸福の本質をつこうとした表現ですが、どこか晦渋でわかりにくい表現です。
こうした晦渋な表現をとったのには理由があります。戦争の影が日に日に色濃くなっていく1930年代。国家総動員法が制定され、個人が幸福を追求するといった行為について大っぴらには語れない重苦しい雰囲気が満ちていました。普通に表現しても検閲されて世に出すことができなくなると考えた三木は、哲学用語を駆使して表現を工夫し、伝わる人にはきちんと伝わるように言葉を磨き上げていったのです。


三木清は「幸福」という概念を考え抜いた。幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。そして、真の幸福をつかんだときに、人間は全くぶれることがなくなるということもわかってくる。


「怒」「虚栄心」「嫉妬心」。誰もがふとした瞬間に陥ってしまうマイナスの感情は、暴走を始めると、自分自身を滅ぼしてしまうほどに大きくなってしまう。これらの感情をうまくコントロールするにはどうしたらよいのか? 三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。たとえば「虚栄心」には「自分をより以上に高めたい」といった肯定的な面も潜んでいる。「何事かを成し遂げよう」という創造性が、こうした肯定面を育てていくのだ。


三木清(一八九七~一九四五)は日本を代表する哲学者の一人です。四十八歳で無念の死を遂げるまで、三木は精力的に自らの思想を世に問い、二十巻におよぶ全集が編めるほど膨大な著作を遺しました。


一九二七年、岩波書店から日本初の文庫本が出版されました。ドイツのレクラム文庫に範をとり、この文庫本というスタイルを発案したのが三木です。当時、彼は法政大学で教鞭をとる傍ら、岩波書店で編集顧問のような仕事をしていました。現在も岩波文庫の巻末には「読書子に寄す ──岩波文庫発刊に際して── 」という文章が掲載されていますが、その草稿を手掛けたのも三木です。


数ある三木の著作の中で、一番手にとりやすいと思えたのが秀逸なタイトルの『人生論ノート』でした。目次を見ると「死」「幸福」「怒り」「孤独」「嫉妬」「希望」など、人生の中で誰もが一度は突き当たるであろう問題が並んでいます。人生とは何か、人はいかに生きるべきかということについて、きっと興味深いことが書いてあるのだろうと予感したことを覚えています。実際には、高校生の私が読み進めることは『善の研究』と同じほど困難でした。それは哲学書を読み解く緻密な思考力が足りないというよりは、若い私には哲学を理解できるだけの人生経験がなかったからかもしれません。


『人生論ノート』の連載が始まったのは一九三八年、三木が四十一歳の時でした。その前年の日記には「狂人の真似をしなければ、正しいことが云えない時世かも知れない」と記されています。たびたび不掲載や発禁処分を受けてきた三木は、哲学用語やレトリックを駆使して晦渋な書き方をするほかなかったのです。



三木清は、哲学者ならではの視点から人間が置かれた条件を厳しく見定める。そして人間の条件の一つを「虚無」だと喝破する。だがこれは厭世主義ではない。人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できるというのだ。また、一人だから孤独なのではなく、周囲に大勢の人がいるからこそ「孤独」が生まれると説く。そして、その「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だという。


「人生論ノート」の冒頭で、三木は「近頃死が恐ろしくなくなった」と語る。人間誰もが恐れる「死」がなぜ恐ろしくないのか? 死は経験することができないものである以上、我々は死について何も知らない。つまり、死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。そうとらえなおしたとき、「死」のもつ全く新しい意味が立ち現れてくる。


晩年の三木清は、言論の自由も奪われ、特高警察にマークされていた昔の友人を一晩泊め外套を貸し与えたというだけで検挙され、最終的には、戦争が終結した後にもかかわらず、釈放されることなく獄死します。GHQが「人権指令」によって治安維持法を廃止したのは、一説によれば、この三木の獄死に衝撃を受けたからだともいわれています。


犯罪とは無関係の一市民が、法律の拡大解釈で投獄され、殺される。こうしたことは二度とあってはなりません。三木の死を単なる過去の出来事としてかたづけてしまうことなく、貴重な教訓として、現代の制度設計の議論に徹底して生かしぬいてほしいと思います。


「感情を煽ることは容易だが、知性を煽ることはできない」。岸見さんは三木の知性に対する考えを一言に凝縮してこう表現してくれました。私たちは、ともすると、周囲の空気に流されてしまい、自分で考えることをやめてしまいがちです。三木は、こうした状況を「精神のオートマティズム」と名づけて鋭く批判しました。三木が訴え続けた、「知性」、そして「考え続けること」の大切さを胸に刻みながら、「偽善者」たちに煽られることなく、「孤の独立」を守り抜いていくこと。それこそが、三木の遺してくれたものを生かす道だと思います。


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