思考観察17日目 0回 地球受容静寂ルート6日目


やはり胸やけではないようです。
呼気に呼応して胸の奥から何か熱いものが溢れてくるようです。
地球の放出光を見ている時のほうがそうなるので、拡張のイメージは、他の種類の拡張するエネルギー「愛」に直接影響するのかもしれません。


地球受容静寂ルートの方向を示しているのはフィオラです。
私たち一人一人が地球なんだそうです。
私からの説明を付け加えると、
球体は無意識下での(忘れているときも)完全性の統合のシンボルとなり、母なる地球は今一番癒しを必要としている時であり、五感の統合中枢は脳内にあるからです。


ちょっとこのやり方の説明が不十分かもしれないところをご説明します。
地球を見るのは、思考のひっかかりをなくす時だけでもちろん構わないです。
その後続けてももちろん構わないです。続ける場合は肉体的な感覚の変化にお気をつけください。健康に良くなさそうなことが起きたら、無理せず普通の方法でお進めください。
または呼気だけをイメージなしで続けても構いません。
定着すれば何でもいいんです。
個々人にはそれぞれ今まで構築した独特の思考パターンがあり、無意識でいると、このパターンが全て勝手に思考のエネルギーを配分して創造しようと動き始めます。そのパターンを打ち破ろうということです。呼気は思い出す頻度とエネルギーの拡張の動き、こういうことに適しています。


今日私がフィオラにした質問は、何か皆さんに今言いたいことはありますか?調和とはなすがままになることですか?内なる光と外なる光を見るための指針はありますか?でした。


Fiora
創世の砌(みぎり)より光の子に幾度も釘をさしてきました
愛は道しるべ 人の中に神をみよと
陰(かげ)と調和しなさい
たとえそれが己を飲み込む蛇にみえても
震える手で陰に触れなさい
心に映る陰に留まりなさい
羅針盤は少しも狂っていないのです
全身全霊で今を生きなさい


あなたに与えられたものは首輪でも体でもありません
それは栄光 真なる意思 真なる祈りを示す舞台
何も報いはありません
それでもあなたは示すのですか
愛を 神を 光を
あのユダヤの無垢な少女のように


鏡の部屋で炎が揺らげばすべての炎が揺らぎます
水晶の分身よ 座りなさい
あの森に あの滝に
無数の揺らぎに炎をみなさい


この日記にこうやって私が彼女に質問がある時は記載しますが、興味のない方はそのままスルーしてください。私も意味がわからない言葉があります。水晶の分身という言葉も意味がわかりませんでした。ただ、内なる光と外なる光は「同じ揺らぎ方」をすると言っているようです。炎についてもフィオラの意味することは別の意味もあるのかもしれません。意味がわからない場合もそのまま記録します。


昨日の続きを私に説明させてください。
そこには何があるのか。
私が個人的な目的地にしている炎上のガラス質の光とは何だと信じているのか。
私は子供の頃、初めてそれを見ました。
それは無限の愛、無限の歓喜、無限の自由です。
先にお断りをしておきますが、
無限の自由はそのエネルギーに直接接触しない限り体感できず、人間世界の無責任な自由を意味するものとはもちろんまったく違いますので、人を意図的に傷つけるような行為(または想念)をどうか選択なさらないでいただきたいことを個人的に申し添えます。愛を感じない自由は幻影です。


そして古のグル達が呼ぶ静寂と何が違うのか。
私たちの根本の本質は以前にお話したとおり「虚空」とでも呼ぶべき無であり静止している不滅の実在です。これが絶対的な体験者であり、人の本質です。あなたは不死です。知ることのできる真理は一つだけ、自分が誰なのかという真理です。ですからグル達は、自分が誰であるかに目覚めよと教え、それを悟り、と呼んできました。


ですが、宇宙創世より「なぜ透明な光はわざわざカタチあるものを創ったのか」
透明な光がそれで完璧なら、無のままでいいのです。
子供の頃、心が純粋だった時、その答えを垣間見たように思います。
それが動の本質です。
今この瞬間の自然な動きから生まれる無限の愛、無限の歓喜、無限の自由です。
(この説明だと、たとえば愛って動きから生まれるものなの?というような誤解が生まれる可能性はあります。無限のエネルギーは最初から無と共にあるのであって、生まれも消えもしないので、言葉の描写の限界をご容赦ください)


この歓喜、この愛、この自由の大きさときたら人間の全ての悩みや苦しみを溶かし
人生という長い旅路の答えとなるほどの信じられないようなエネルギーです。


神秘体験というような一過性の状況のことではないのです。
神のエネルギーが実在するということです。それもいまここに。もちろん実在は一つです。
無(虚空)は動を生み出すことで、これを今体験しています。


この神のエネルギーは消滅しません。それは無が感じている本質の一部なのです。
私たちは無のことを単なるすばらしい至福の静寂だとイメージしてきたように感じています。
そこには動があるのです。躍動に満ち満ちている絶対静止空間なのです。
無を氷とすると、動は水です(無は無限の空間でもあるので同じ物質が静止状態と動状態に変化する一つの比喩とお考えください)。そして無が生んだ最初の一滴(水)があらゆる動の母。
源の球体です。これはおそらくビックバンの始点となった光球であり、今は宇宙そのものです。源の球体が感じている感覚がどうやら「無限の愛、無限の歓喜、無限の自由」のようなのです。つまり宇宙そのものもこれを感じています。


この内在する躍動をカタチあるものとして生み出した無(虚空)は
人を含む様々な意識存在のカタチをとり、創造の歓喜をたった今体験しています。
これが人には通常見えません。たとえば転んで足をすりむいて、痛いとします。
これをめちゃくちゃ喜んでる自分がいるなんて信じられますか?普通信じられないですよね。
圧倒的に楽しいのに、出来事に近すぎて背景が見えません。喜んでいるのは、この背景なのです。
それが見えないのは自我の膜に意識の焦点があたっていて、内なる光と外なる光の合流が起きていないからです。(これは分離ではなく、分離を信じている状態というだけです)
だから自我の膜を通して、個人も国家も戦争を繰り返しています。
戦争できる「相手」の実在を信じているからです。


この地上では
内なる光と外なる光に二分されているように「みえる」こと、
内側と外側がそのために「光にみえない」こと、
光が合流した時にやっと風船(自我の膜)が割れること、
実は人生をコントロールしている全てはこの内なる光と外なる光の両方の画策(しかも光の合流を画策している共謀の結果)であること、
これらを一般的にはまったくといっていいほど認識していないからです。


光の合流を通して、無限の愛、無限の歓喜、無限の自由に目覚める。
これが私のめざす個人的な山頂とそのルートです。長い説明にお付き合いいただきありがとうございました。
(これを読んでくれる人のために、きちんと説明、解説しなくてはという思考が足枷でした。自分用の記録なのか、読んでもらいたいのか、思考観察と並行して日記を書くのは難しいです。目的はひとつに絞るほうがいいですね)
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