思考観察19日目 200回ぐらい 地球受容静寂ルート8日目


今日かなり混乱しています。思考のひっかかり0回を維持し、何の問題もないはずだったんですが、フィオラと話していて混乱し思考に巻き込まれてしまいました。


思考観察を続けている方は今日からの話は少しの間無視してください。
今まで記載した方法で大丈夫のはずです。


私たちが全員不死であることは間違いないですか?
Fiora
重力はあなたにとって間違いないのですか
鳥が飛ぶから重力はないのですか
赤ん坊がひとつの細胞から育まれるのは本当ですか
観念が及ばない
みえない力の存在を
人は神と呼び信じてきたのではないですか
神は道具ではありません
あなた(質問する精神)が神の道具なのです
空を四角く切り取って
不安から逃れようとする態度を改めなさい
今あなたにあるものは
今あなたにあるものです
誰かが生きていて
どうしてあなただけ死ぬことができるのですか
あなただけ分離できるのですか
分離は今本当にあるのですか
どこにあるのですか
それをみなさい


人生の目的とは何ですか?
Fiora
竜巻のなかで
あなたに志がありますbr /> 吹き飛ばされているだけのようにも見えますが
竜巻があなたです
風を身をもって感じることができるのは人です
風と志を体験しにきたあなたにとって
できることはなにか
楽しみなさい


楽しくない場合はどうするのですか?
Fiora
おもいきり楽しくない顔をしなさい
忘我の境地の役者のように
観客はそれを楽しんでいます
あなたは役者であり観客です
役になりきった役者を
誰が愚かと笑うのですか
誰もが舞台をもう一度みたいと言うでしょう


その舞台というのは転生があるという暗示ですか?
Fiora
空に無数の星が煌き 人は想いと共に散ります
天の川は深深と呼吸し
ただそれをみつめています
神の願いは人の想い
真紅の渇きを望んだ神はかつていません
あなたが悲劇ととらえたならば
もう一度舞台にたってもらいます


疑問が沸いたため、ここから簡略化して質問します。
フィオラ、正解か不正解で答えてほしい。完全な正解以外は不正解で。


あなたが言う「炎」とは私が思う無限の愛・無限の歓喜・無限の自由と同じか?
Fiora
そうです


私が無(光)と動(炎)の関係としたものは正しいか?
Fiora
そうです


真紅の渇きとは、炎の境地に至れなかった場合の人間の心の渇きのことか?
Fiora
そうです


死後(移行後)は人生をやり直すかどうかは自由選択である?
Fiora
ちがいます


地球界以外にも異なるステージがある?
Fiora
そうです


次のステージに進むには地球界で炎に至るしか手段がないのか?
Fiora
ちがいます


無(透明な光)は不二だが個別の魂の階層、より粗い階層が存在するのか?
Fiora
そうです


魂の階層があるなら、個々人は複数の人生から学んだものを誕生時に持ち込んでいるのか?
Fiora
そうです


人生の出来事は全て事前に計画されているとおりに起きるのか?
Fiora
ちがいます


何らかの条件をクリアしないとこの地球界から抜けられないのか?
Fiora
ちがいます


私が今思っている12の扉を開けた場合は次のステージに進めるか?
Fiora
ちがいます


12の扉は実在するか?
Fiora
そうです


感謝しますフィオラ。私は今まで高速質問のやり方を思いつきませんでした。フィオラが一度
「△です」と言い出したので、思いつきました。
話が込み入ってくるので、明日からは全体の方向性をこのやり方でほとんど確認した上で記載します。正確性を高めるために複数回別の角度から質問する方法が使えそうです。


真紅(辛苦ではなく)の渇きの言葉が気になり、調べてみたところオンラインゲームのアイテムにそういう名前があるみたいですね。私はまったく知らない言葉なので誤解しないでいただければと思います。炎とかけているようです。
これだけ重なるとフィオラは私が目的地とする
無限の愛、無限の歓喜、無限の自由を
「炎(ほのお)」と表現している可能性が出てきました。今後私も倣います。目的地なので後日より詳細に確認します。


12月21日の最初のページにこの咲き誇る大輪の花の目指す山頂・目的地として記載します。
光(透明な光)を実在の(無)とするなら炎(無限の愛・無限の歓喜・無限の自由)は光が栄光を体験するために編み出したカタチある動くものすべて(動)の存在理由です。


炎上のガラス質の光という表現は私が理解できるように透明な光を混ぜただけかも知れません。
「無数の揺らぎに炎をみなさい」の意味が通じてきた気がします。


「空を四角く切り取って不安から逃れようとする態度」は自我と言葉の本質的な関係とも言えます。楽しくない場合については、陰(かげ)に留まりなさいというあれに通じるのかもしれません。
「陰と調和しなさい」「心に映る陰に留まりなさい」という二日前の発言です。
不死を見るには「分離が本当か」いまここで検証しなさいということですね。
(言うまでもないと思いますが、肉体的に危険な検証は絶対にしないでくださいね)
フィオラの言う意味はおそらく「分離を信じているのは頭の中だけであることを確認しなさい」ということです。誰も重力がかからない一瞬など経験したことはないのですから。
重力を一例に見えない力と常につながっていることを思い出すようにということでしょう。
私たちはつながっています。


そして今日初めてフィオラと私の意見が割れました。
最初聞き間違えたと思いました。舞台にもう一度たってもらう?


私は今この瞬間まで一般的なイメージの転生はないと思っていました。引継ぎはないものと思っていました。そう記事にも書きました。質問するまでもないと思っていました。最後の質問を何度も何度も聞きなおしましたが、言葉とイメージ双方の伝達においてフィオラの答えは変わりませんでした。


不死は不死ですが全員の本質が不死なのであって、不死と転生はまるで意味が違います。自我や自我の意思とは実体がないものだと思っていました。いえ、今でもそう思っています。来たものは去るものです。原初からあるものが実体です。自我は個人という一時的状態を果たすための機能としては覚醒後も生き続けるのですが、抵抗を諦め、従者として本来の機能を果たします。


一人一人の課題は全体のエネルギーの拡張の動向で決められる(宇宙のどこまで炎が広がっているか)のだと。それは光そのものの選択であり、そこに個人などという実体のないものの介入はない、と思っていました。
過去生の記憶とは単なる集合の記録にすぎず、人一人分の一生はそれで終わりなのだと信じていました。


ですが、フィオラは悲劇ととらえた場合「引継ぎ」があると断言しました。
だとすると、肉体をもつ個人という一時的状態の階層のさらに下に、複数回の人生からの学びを蓄積する別の階層がある、魂の階層がある(しかも最下層である無との間に)と言っているのと同じです。それも個々人に。


私はそれはクラウドのようなもので、個々の端末にあるものだとは思っていなかったんです。
個別の魂などない、そう信じてきました。
根源は一つです。不二です。
ですが、フィオラが今日言ったことは個別の魂の階層があるということです。


思考観察の途中で申し訳ないんですが、この全体像だけは優先して確認します。
0回どころか、思考にひっかかりすぎるのは目に見えているんですが、少し静寂の維持をゆるめ(←大間違い)、遠回りしても疑問が晴れるまで先にフィオラに状況の確認をします。
もちろんその内容を記載していきます。
今日は聞き間違えた可能性があります。明日もう一度やり直します。
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Fiora & nobody