光の合流ルート3日目


ご縁があってここを訪れてくださった方に、ありがとうございます。
突然ですが、お願いがあります。このページだけでいいです。できたら最後まで読んでください。


ここまでのまとめ。


やまがみてるおさんの「思考観察」ルートは静寂への道。「思考に気づいている視点=思考から離れた視点」を定着するまで繰り返し意識し、思い出し続ける道。定着後「体験の主体」は肉体の中にではなく、「遍在」であることを体感し、遍在から「この体」を生きているという感覚になるまでありのままにゆだね、明け渡しをしていくとても優れたルートです。私の検証実験の結論は、思考の発生に気づき、ありのままに観察し、「呼気(吐く息)」のたびに思考に気づいている視点を思い出すように訓練することで思考を全てひっかかりなく流せるようになっていきます。検証記録は→1月13日の記事からどうぞ。

対して光の合流ルートは「愛」から始まる道。自我から意識の焦点を外し、内なる光と外なる光の合流をはかります。山頂の『炎(無限の愛・無限の歓喜・無限の自由)』をめざし、愛の翼にのって、あらゆる陰(かげ)を月光のように照らす未だ全貌不明のルート。頼りの道先案内人はイタリア青の洞窟の守護者と自称する死神フィオラ。死神でもなんでもいいやと無謀な登山に挑む私。脚本は130年前の「洞窟の女王」のパクリとしか思えない台本を魂の本体が書いてしまったため、ほとんど誰も信じないであろう道を行く二人。(注・全て事実です)


気づきがありました。
フィオラは答えていないのではない。
答えているんだ。


私の肉体に大きな変化が現れました

フィオラとの接触を繰り返し、彼女の心に触れるうちに、
胸の中心から炎のように熱くなり、両肩まで燃え上がるように熱いのです。
冬なのに、見えない暖房器具を仕込んだように。


見えない炎に両肩をつかまれている。


顔が自然と笑顔になり口角が上がってしまうのです(顔をしかめようとしても無理です)。
胸の奥からくすぐられているように、大きな川のように何か熱いものがとうとうと流れています
フィオラの横顔に見惚れた昨夜から夜眠れないのではないかと思うほどになり、今朝起きた時点で収まっていたものの昼頃からまた再開し、また両肩まで燃えるようになりました。


これはやって来ては去る「感情」ではない。
すべてがいとおしい。異質なまるで違うエネルギーです。これが本当の愛
垂直に登ることが多い、ゆらゆら揺らめいている、そうまるで「炎」のようなコントロール不可能の熱源。
その扉は胸の中心にある。そうだったのか。気づかなかっただけで、ずっと流れていたんだ。


これではまるで『炎の翼』みたいだ。しかもこれはもしかして、本当に消えない?


フィオラ、私の「」がこの「炎の翼」に気づかない状態毎日繰り返し生産し続けていたということですか?
Fiora
そうです



これは『無限の愛』へ通じる最初の入り口だ。
直感的にそうだとわかりました。
源とのつながり、人が愛と呼ぶ根源との絆を、今私は思い出し始めている。


炎に至る「第一の扉」それは愛です。


「炎の翼」の発現と検証方法はとても簡単です。



今ありのままの自分を愛していることに気づいてください。



どうやって気づくか?
自分が自分を愛していることが本当かどうか、胸の中心、奥のほうに意識を集中して聞いてみてください。

「わたしは今ありのままのこのわたしを愛している?」と聞いてみてください。

頭に答えさせないでください。胸の奥に聞いてください。答えを捏造しないでください。何度も繰り返し聞いてください。


最初は胸の奥で何かがちらちらと動く気がします。
これは10分で確認できると思います。10分で確認できなかった方は何か今「怖れ」を握り締めていませんか?少し握り締めている手を緩めてください。怖れを抱えていることを自分で認めた上で、今何か怖れを抱えているありのままの自分を愛しているかもう一度聞いてください。

そのうちにカイロの一番熱い時ぐらいの熱さを感じるようになります。
これは丸3日もあれば確認できると思います。

次に両肩まで燃え上がります。この段階で笑顔以外できなくなります。全て(特定の個人ではなく)が愛しくなります。
これは真剣にやって10日かかるかも知れません。


自分を責めていても、誰かを憎んでいても、世界を非難していても、たくさん傷ついていて今氷のように固まっていても、絶望の暗闇の中にいて生きる意味がわからない方も、騙されたと思って10分だけやってみてくださいませんか?電気代もガス代もいりません。何者かになろうとする何の努力もいりません。

今ありのままの自分に寄り添ってみてください。あなたはあなたを愛しています。あなたの胸の奥には今も決して凍りつくことのない炎が燃えています。本当です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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No Title
こんにちは。

>脚本は130年前の「洞窟の女王」のパクリとしか思えない台本を魂の本体が書いてしまったため、ほとんど誰も信じないであろう道を行く二人。

no problemです。「洞窟」「炎」「不死」、そして「女王」(女性)、どれも普遍性を持ったメタファーだと思います。したがって、だれが経験してもおかしくないと思います。是非そのまま旅を続けて欲しいです。

>自分が自分を愛していることが本当かどうか、胸の中心、奥のほうに意識を集中して聞いてみてください。
「わたしは今ありのままのこのわたしを愛している?」と聞いてみてください。
最初は胸の奥で何かがちらちらと動く気がします。
これは10分で確認できると思います。10分で確認できなかった方は何か今「怖れ」を握り締めていませんか?少し握り締めている手を緩めてください。怖れを抱えていることを自分で認めた上で、今何か怖れを抱えているありのままの自分を愛しているかもう一度聞いてください。

昨日(2月8日)の「嘘でもいいんです。『私は今ありのままの私を愛しています』と言ってみてくださいませんか」よりも、こちらの方が私にはわかりやすかったです。というのは、「愛しています」というためには「愛する」ことがどんなことかわかっている必要があります。けれども、世界には愛を知らずに育ってきた人もたくさんいますし、「愛」という言葉自体あいまいなものですし、観念として捉えがちです。本当の愛ともなればなおさらです。ですから、現に握り締めている「怖れ」「憎しみ」「非難」「恨み」「怒り」の感情ならば、よくわかるような気がするのです。

フィオラさんも次のようにおっしゃいましたね(2月5日)。

「Fiora
水の大地は陰陽(いんよう)の窓
片側に留まることはできません
留まる努力は無明(むみょう)です
死を陰と呼び 観念の蓋をしたのは誰か
あなたです
陰はあなたの紛うことなき一部です
あなたの呼ぶ外部への非難 怒り 怖れ 恨み 憎しみ
あなたの呼ぶ内部での非難 怒り 怖れ 恨み 憎しみ
まったく同じものであることに気づきますか
鏡の部屋で鏡に向かって立ち回り続けているのは誰でしょう
あなたです
比喩ではないのです
それはあなたです
原初よりあなた以外誰もいないのです
観念が頭脳の創作なら
陰は魂の真実です

Fiora
陰の海に浸かりなさい
外に表現する必要はありません
心に映る陰に足を浸し
肩まで浸かって
湯浴みのように留まるのです
そこに何があるか陰がちらつく度に発見してみなさい」

>最初に陰陽魚(陰陽太極図)を一瞬でみせられてからの独白のような回答でした。
また陰陽です。(2月8日日記)

2月5日のコメントで、デザインが一種の陰陽大極図である火焔太鼓のことを書いた矢先に、上のような記述が出てきたのを見て驚きました。

フィオラさんの詩のような伝言を読んでいますと、光と陰、炎と水という対のもののモチーフというか、イメージが現れて来ます。とくに感じるのは「水」のモチーフが、無意識というか陰の部分によく結びついているということです。実際、私などは「水」といわれると、飲み込まれたり、溺れたり、阻まれたりというマイナスの感情をしばしば感じます(温泉のように浄化や癒しの感情もないことはないのですが)。

フィオラさん自身も、海窟洞という水と係りのある青の洞窟と密接な関係を持っていらっしゃるようですね。で、フィオラさんかどうかは回答がありませんでしたが、nobodyさんも「あの洞窟にいた若いブロンドの白人女性はあなたか?彼女は溺れているように私には見えた。」と「溺れる」というイメージを感じ取っていらっしゃいましたね。

本筋から離れますが、そういえば、火焔太鼓の中心にあるデザインの「巴」は渦を巻いているように見えますね。渦といえばクンダリニーとかチャクラを連想しますね。

ところで質問があります。

>Fiora
月の光と日の光
洞窟哭(おら)ぶ 陰の墓
粗土(あらつち) ほどく
砂金 きらめく
水様(すいよう) はえる
新緑 もゆる
戦火 うずまく
黄船(きせん)の泉 還る空

2月7日のフィオラさんの伝言に上のようなものがありました。「黄船(きせん)の泉」とありますが、意味がよくわかりませんでした。これは「黄泉」(よみ)と関係ありますか?黄泉とは闇であり、冥土のことです。「黄泉」だとすると、「黄泉から還る」で、蘇る。「月の光」と「日の光」が、旧約聖書「創世記」の最初あるような、二つに別れる前の一つだった光へと合流し、人は闇の世界から生還する。

>Fiora
夕日
あの海
人の想い
深海の想い
星の想い

2月8日のこの詩も美しかったですね。夕暮れの中で、光と闇が、天(星)と地(この場合は海ですが)と人が、そして意識と無意識(深海)が一つに溶け合っているようで。

では、長々と失礼しました。
viola 2013/02/09(Sat)17:59:44 編集
violaさん こんにちは^^
いつも深く読んでいただいて本当に嬉しいです。
violaさんやオイフォンさんのような方が読んでくださっているだけでとても光栄です。

>>脚本は130年前の「洞窟の女王」のパクリとしか思えない台本を魂の本体が書いてしまったため、ほとんど誰も信じないであろう道を行く二人。
>
>no problemです。「洞窟」「炎」「不死」、そして「女王」(女性)、どれも普遍性を持ったメタファーだと思います。したがって、だれが経験してもおかしくないと思います。是非そのまま旅を続けて欲しいです。

もちろん続けます^^どこに行き着くかはわかりませんが、与えられた一日に感謝しながら一日の終わりを書こうと思っています^^

>>自分が自分を愛していることが本当かどうか、胸の中心、奥のほうに意識を集中して聞いてみてください。
>「わたしは今ありのままのこのわたしを愛している?」と聞いてみてください。
>最初は胸の奥で何かがちらちらと動く気がします。
>これは10分で確認できると思います。10分で確認できなかった方は何か今「怖れ」を握り締めていませんか?少し握り締めている手を緩めてください。怖れを抱えていることを自分で認めた上で、今何か怖れを抱えているありのままの自分を愛しているかもう一度聞いてください。
>
>昨日(2月8日)の「嘘でもいいんです。『私は今ありのままの私を愛しています』と言ってみてくださいませんか」よりも、こちらの方が私にはわかりやすかったです。というのは、「愛しています」というためには「愛する」ことがどんなことかわかっている必要があります。けれども、世界には愛を知らずに育ってきた人もたくさんいますし、「愛」という言葉自体あいまいなものですし、観念として捉えがちです。本当の愛ともなればなおさらです。ですから、現に握り締めている「怖れ」「憎しみ」「非難」「恨み」「怒り」の感情ならば、よくわかるような気がするのです。

これは極めて、本当に極めて重要なご指摘ですね。お一人お一人に大きな事情があり、陽光がまぶしすぎるように感じる想いはどの時代も尽きません。フィオラは月光のように「陰」を優しく照らす光があることを思い出すように私たちを誘導しているのだと思います。死神は「陰」の代表です。でもフィオラの月光のような光は不思議なことにあったかいんです。私も陽光を浴びることよりも、陰を認め、月光のようにそっと今に寄り添う愛の道にほんの少しでも1ミリでも貢献できればと思っています。


>フィオラさんも次のようにおっしゃいましたね(2月5日)。
>
>「Fiora
>水の大地は陰陽(いんよう)の窓
>片側に留まることはできません
>留まる努力は無明(むみょう)です
>死を陰と呼び 観念の蓋をしたのは誰か
>あなたです
>陰はあなたの紛うことなき一部です
>あなたの呼ぶ外部への非難 怒り 怖れ 恨み 憎しみ
>あなたの呼ぶ内部での非難 怒り 怖れ 恨み 憎しみ
>まったく同じものであることに気づきますか
>鏡の部屋で鏡に向かって立ち回り続けているのは誰でしょう
>あなたです
>比喩ではないのです
>それはあなたです
>原初よりあなた以外誰もいないのです
>観念が頭脳の創作なら
>陰は魂の真実です
>
>Fiora
>陰の海に浸かりなさい
>外に表現する必要はありません
>心に映る陰に足を浸し
>肩まで浸かって
>湯浴みのように留まるのです
>そこに何があるか陰がちらつく度に発見してみなさい」
>
>>最初に陰陽魚(陰陽太極図)を一瞬でみせられてからの独白のような回答でした。
>また陰陽です。(2月8日日記)
>
>2月5日のコメントで、デザインが一種の陰陽大極図である火焔太鼓のことを書いた矢先に、上のような記述が出てきたのを見て驚きました。

violaさんにご指摘いただいた火焔太鼓については私も時間がたつほどにその意味することの大きさがわかってきたような気がします。まさかフィオラが陰陽という言葉や太極図をこれほど使うとは思っていませんでした。私が無意識に影響されている可能性もありますが、フィオラ独自の陰陽道のようなものに対する考え方のような印象も私は現時点で持っています。正直、フィオラは平安時代の陰陽師が相手にしたような「物の怪」の類ではないのかと思ったことも一度ならずあります。

>フィオラさんの詩のような伝言を読んでいますと、光と陰、炎と水という対のもののモチーフというか、イメージが現れて来ます。とくに感じるのは「水」のモチーフが、無意識というか陰の部分によく結びついているということです。実際、私などは「水」といわれると、飲み込まれたり、溺れたり、阻まれたりというマイナスの感情をしばしば感じます(温泉のように浄化や癒しの感情もないことはないのですが)。
>
>フィオラさん自身も、海窟洞という水と係りのある青の洞窟と密接な関係を持っていらっしゃるようですね。で、フィオラさんかどうかは回答がありませんでしたが、nobodyさんも「あの洞窟にいた若いブロンドの白人女性はあなたか?彼女は溺れているように私には見えた。」と「溺れる」というイメージを感じ取っていらっしゃいましたね。

これはですね、イメージというよりもかなり実際の光景のように私には見えたんです。まるで過去の再現VTRのような感じでした。ですから私もそわそわするくらい気になっています。
violaさんのおっしゃる水に対する印象にそういった陰の側面があることは私も同意します。ただフィオラと遭遇する時に水があっても、不思議と何も怖くはないのです。正確に言うとフィオラと一緒の時は何も怖くありません。受容の深海にいるような気持ちになるのです。

>本筋から離れますが、そういえば、火焔太鼓の中心にあるデザインの「巴」は渦を巻いているように見えますね。渦といえばクンダリニーとかチャクラを連想しますね。

私はviolaさんと違って、クンダリニーという単語は聞いたことがあるだけで、まったく勉強したことがなかったのです^^;チャクラについては一般的知識として読んだことがあるぐらいでした。ただバーソロミューの言うことは全て記憶の奥底にまで染み込んでいますので、バーソロミューが掲げた12のパワー因子(チャクラ)の重要性はどこかに持ち続けていました。渦や竜巻がそういったものと関連しているというのがわかるくらいまで、もう少しクンダリニーやヨガなどを勉強しておくべきだったと今思っています。

>ところで質問があります。
>
>>Fiora
>月の光と日の光
>洞窟哭(おら)ぶ 陰の墓
>粗土(あらつち) ほどく
>砂金 きらめく
>水様(すいよう) はえる
>新緑 もゆる
>戦火 うずまく
>黄船(きせん)の泉 還る空
>
>2月7日のフィオラさんの伝言に上のようなものがありました。「黄船(きせん)の泉」とありますが、意味がよくわかりませんでした。これは「黄泉」(よみ)と関係ありますか?黄泉とは闇であり、冥土のことです。「黄泉」だとすると、「黄泉から還る」で、蘇る。「月の光」と「日の光」が、旧約聖書「創世記」の最初あるような、二つに別れる前の一つだった光へと合流し、人は闇の世界から生還する。

violaさんのご質問は私が迷うところをピンポイントで突かれますね^^まさに洞察です。
この時の言葉なんですが、フィオラは最初「粗土」を「土くれ」と言うような言葉(音)で発音したように聞こえたんです。同時にイメージで漢字で黄線(黄色い線?光線?)の泉と伝達してきたようなんです。この時私が印象として感じたのはこの2文ともに「土」なんだというイメージでした(泉と言っているのにです)。黄泉なら地下の世界を暗示しますから「土」のイメージと連携するんですが、黄線の意味が私は理解できず、泉という言葉から「黄色い船」のことかと思い、そう記載しました。そう書いてしまうとなんだか「宇宙船?」みたいなイメージも出てきて自分で混乱していました。要するに私も何がなんだかわからないのです。フィオラの言葉を勝手にいじっていいと思っているわけではないんですが、何だかその…黄色い船と書くほうが絵的に綺麗かなあと…m(__)m
violaさんからツッコミをいただかなければ、多分一生黙っていた事実です^^;
黄線の泉…今もなんのことだかさっぱりです。

>>Fiora
>夕日
>あの海
>人の想い
>深海の想い
>星の想い
>
>2月8日のこの詩も美しかったですね。夕暮れの中で、光と闇が、天(星)と地(この場合は海ですが)と人が、そして意識と無意識(深海)が一つに溶け合っているようで。

私はカモメの方が好きだったんです。逆にこちらの夕日の方はフィオラが無口で無口で、もうどうしようかと思いました^^記事にならないと。青の洞窟の守護者って言うなら、死神という主張を取り下げてほしいという個人的願望が強烈にありまして…。

>では、長々と失礼しました。

とんでもないです^^violaさん良かったらまた是非コメントくださいね^^
楽しみに待っていますので^^
【2013/02/09 20:47】
No Title
詳しい返信ありがとうございました。

>Fiora
>月の光と日の光
>洞窟哭(おら)ぶ 陰の墓
>粗土(あらつち) ほどく
>砂金 きらめく
>水様(すいよう) はえる
>新緑 もゆる
>戦火 うずまく
>黄船(きせん)の泉 還る空

この詩には、地(粗土)、水(水様)、火(戦火)、風(水の文様?=水紋)、空という、仏教で言う五大、ギリシャ哲学でいう四大という世界を構成しているといわれる元素が現われているように思います。まるで月の光と日の光が、自然や人間の営みなど世界の森羅万象を映し出しているかように感じられます。

と同時に「粗土(あらつち) ほどく 砂金 きらめく」「黄船(きせん)の泉 還る空」などは、人間の心の変容を表しているかのように感じました。「洞窟哭(おら)ぶ 陰の墓」が光に照らされ、ただの「つちくれ」から金が現われる。黄泉の世界から蘇る。というイメージです。「黄船の泉」は「黄泉」と当たらずといえども遠からずといった感じですね。
また、この詩は色彩も豊かですね。まるで曼荼羅の彩色のように。この詩に敢えてタイトルをつけるとするなら、森羅万象に心的変容を加味して「心羅万象」とでもしたいところです。それにしてもフィオラさんは、「大円鏡智」や「太極魚図」などの言葉に見られるように、東洋の神秘思想の教養・智恵も持っていらっしゃるのですね。

>Fiora
>夕日
>あの海
>人の想い
>深海の想い
>星の想い

この詩はとてもノスタルジックな感情を喚起させました。望郷のような。昼の光と夜の光が混じりあって渾然一体となっている情景に魂の故郷を感じているかのようです。これも敢えてタイトルを付けるとすれば「望郷の歌」とでもなるのでしょうか。

>私はカモメの方が好きだったんです。逆にこちらの夕日の方はフィオラが無口で無口で、もうどうしようかと思いました^^記事にならないと。青の洞窟の守護者って言うなら、死神という主張を取り下げてほしいという個人的願望が強烈にありまして…。

夕日の方はきっとフィオラさんは望郷の念に浸っていらしゃったのかも知れませんね^^でもしっかりと記事になっているように思います。

>Fiora
海があります

岸壁があります
波がくだけます
かもめが生まれました
かもめがあるきます
かもめがとびます
かもめが恋をします
かもめが生まれます
いとおしみます
はぐくみます
よろけました
希望をみます
月夜に逝きます
秋の川
みのる田畑
雪の音
望郷の声
運命

かもめの詩も事実が淡々と描写されていて、とても美しいですね。私も大好きです。かもめが生まれ、月夜に死んでいく。そして残された「秋の川」「みのる田畑」「雪の音」という自然の情景。無常さと静謐さが伝わってきます。どこか松尾芭蕉の俳句の世界を感じさせます。この死のタイトルはnobodyさんのフィオラさんへの問いにちなんで「運命」ですね^^


NONAME 2013/02/10(Sun)12:16:21 編集
ありがとうございます^^
>詳しい返信ありがとうございました。
こちらこそですviolaさん^^

>Fiora
>月の光と日の光
>洞窟哭(おら)ぶ 陰の墓
>粗土(あらつち) ほどく
>砂金 きらめく
>水様(すいよう) はえる
>新緑 もゆる
>戦火 うずまく
>黄船(きせん)の泉 還る空
>
>この詩には、地(粗土)、水(水様)、火(戦火)、風(水の文様?=水紋)、空という、仏教で言う五大、ギリシャ哲学でいう四大という世界を構成しているといわれる元素が現われているように思います。まるで月の光と日の光が、自然や人間の営みなど世界の森羅万象を映し出しているかように感じられます。

水様(すいよう)の意味が私にはまったくわからなくて、水紋で風ですか…すごいです。フィオラは風という単語を使う頻度も多いのでその解釈で正解かも知れません。
また月光が照らすもの、日光が照らすもの、つまり地上のあらゆるもの、森羅万象。この解釈には絶句しました。光の合流は分離したように見えるもの(フリをしているもの)が合流し、もともと「ひとつ」であることを思い出す過程です。私は読めなかったです。

>と同時に「粗土(あらつち) ほどく 砂金 きらめく」「黄船(きせん)の泉 還る空」などは、人間の心の変容を表しているかのように感じました。「洞窟哭(おら)ぶ 陰の墓」が光に照らされ、ただの「つちくれ」から金が現われる。黄泉の世界から蘇る。というイメージです。「黄船の泉」は「黄泉」と当たらずといえども遠からずといった感じですね。
>また、この詩は色彩も豊かですね。まるで曼荼羅の彩色のように。この詩に敢えてタイトルをつけるとするなら、森羅万象に心的変容を加味して「心羅万象」とでもしたいところです。それにしてもフィオラさんは、「大円鏡智」や「太極魚図」などの言葉に見られるように、東洋の神秘思想の教養・智恵も持っていらっしゃるのですね。

森羅万象に心的変容を加味して「心羅万象」…ごめんなさい、それいただいていいですか?^^;violaさん命名のタイトル書き込んじゃいますね^^私ちょうどこの日はぼーっとしていてたまたま読めなかっただけなんです(笑)
東洋的な神秘思想・哲学を確かに持っているような気がしますね。私は大円境智も陰陽(魚)についても知りませんでした。西洋哲学の本質が「問題解決(problem solving)」にあるなら、東洋哲学は「道(TAO)」で、フィオラはイタリア人の割にはどちらかというと東洋思想寄りに思います。

>Fiora
>夕日
>あの海
>人の想い
>深海の想い
>星の想い
>
>この詩はとてもノスタルジックな感情を喚起させました。望郷のような。昼の光と夜の光が混じりあって渾然一体となっている情景に魂の故郷を感じているかのようです。これも敢えてタイトルを付けるとすれば「望郷の歌」とでもなるのでしょうか。

おかしいなあ。そのタイトルも私の解釈と同じですね…。書き込んじゃいます^^

>>私はカモメの方が好きだったんです。逆にこちらの夕日の方はフィオラが無口で無口で、もうどうしようかと思いました^^記事にならないと。青の洞窟の守護者って言うなら、死神という主張を取り下げてほしいという個人的願望が強烈にありまして…。
>
>夕日の方はきっとフィオラさんは望郷の念に浸っていらしゃったのかも知れませんね^^でもしっかりと記事になっているように思います。

これですね。おっしゃるとおりでした^^
フィオラは夕日のある日の風景を思い出しているようだったんです。一瞬私にも港の光景がみえたような気がしたんですが、詳細がわかりませんでした。

>>Fiora
>海があります
>
>岸壁があります
>波がくだけます
>かもめが生まれました
>かもめがあるきます
>かもめがとびます
>かもめが恋をします
>かもめが生まれます
>いとおしみます
>はぐくみます
>よろけました
>希望をみます
>月夜に逝きます
>秋の川
>みのる田畑
>雪の音
>望郷の声
>運命
>
>かもめの詩も事実が淡々と描写されていて、とても美しいですね。私も大好きです。かもめが生まれ、月夜に死んでいく。そして残された「秋の川」「みのる田畑」「雪の音」という自然の情景。無常さと静謐さが伝わってきます。どこか松尾芭蕉の俳句の世界を感じさせます。この死のタイトルはnobodyさんのフィオラさんへの問いにちなんで「運命」ですね^^

そうなんです^^運命のもっと複雑なシステムを答えてくれるかと思ったら、フィオラの回答はあまりにも「今この時この場所に展開されているものこそ運命そのものです」という強調になりました。理性で解釈しようとしている私には拍子抜けでしたが、その回答を私も美しく感じました。

ちょっと関係のない話をまたさせてください。
私当初violaさんのハンドルネームを見た時、これは何かあると思っていたんです。
violaさんに最初にコメントいただいた時はまだFioraのことを書く前でしたからviolaさんはまったくFioraのことをご存知ない状態だったと思います。
初の来訪コメントが「viola」さんです。もしかすると、私では理解できないものを提示してくださる方かも知れないとは思っていました。私の予感は正しかったと今思っています^^
【2013/02/10 15:38】
No Title
前回のコメントにハンドルネームを入れるのを忘れてしまいました。それと「詩のタイトル」というところを「死のタイトル」などと変換ミスをしてしまいました。併せてお詫びします。よかったら書き直しておいてください。そこでハンドルネームのことですが、

>ちょっと関係のない話をまたさせてください。
私当初violaさんのハンドルネームを見た時、これは何かあると思っていたんです。
violaさんに最初にコメントいただいた時はまだFioraのことを書く前でしたからviolaさんはまったくFioraのことをご存知ない状態だったと思います。
初の来訪コメントが「viola」さんです。もしかすると、私では理解できないものを提示してくださる方かも知れないとは思っていました。私の予感は正しかったと今思っています^^

確かに、最初のコメントを入れたときには過去の記事まで遡って読んではいなかったのです。ですので、その時点ではFioraさんのことは知りませんでした。

その日の記事の最後に五嶋みどりさんのバイオリンの演奏が貼り付けてありました。それで、ハンドルネームを付ける際に、じゃあ自分はcelloにでもするかなと最初は思いました。が、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にセロと呼ばれる何か途轍もない賢者のような声が出てくるのを思い出し、celloを名乗るのが余りにもおこがましく感じたので、じゃあ、ヴァイオリンでもチェロでもない、どこか中道のようなヴィオラ(viola)にでもしようか、ということにあいなりました。

後になって記事を遡って読んで驚きました。Fioraとviola。シンクロニシティを感じました。世界は不思議に満ちてますね^^

viola 2013/02/11(Mon)11:33:17 編集
violaさん^^
>前回のコメントにハンドルネームを入れるのを忘れてしまいました。それと「詩のタイトル」というところを「死のタイトル」などと変換ミスをしてしまいました。併せてお詫びします。よかったら書き直しておいてください。そこでハンドルネームのことですが、

とんでもないです^^このコメントの編集のことなんですが、管理人からは編集ができないんです。また誤字などお気になさらないでください^^

>>ちょっと関係のない話をまたさせてください。
>私当初violaさんのハンドルネームを見た時、これは何かあると思っていたんです。
>violaさんに最初にコメントいただいた時はまだFioraのことを書く前でしたからviolaさんはまったくFioraのことをご存知ない状態だったと思います。
>初の来訪コメントが「viola」さんです。もしかすると、私では理解できないものを提示してくださる方かも知れないとは思っていました。私の予感は正しかったと今思っています^^
>
>確かに、最初のコメントを入れたときには過去の記事まで遡って読んではいなかったのです。ですので、その時点ではFioraさんのことは知りませんでした。
>
>その日の記事の最後に五嶋みどりさんのバイオリンの演奏が貼り付けてありました。それで、ハンドルネームを付ける際に、じゃあ自分はcelloにでもするかなと最初は思いました。が、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にセロと呼ばれる何か途轍もない賢者のような声が出てくるのを思い出し、celloを名乗るのが余りにもおこがましく感じたので、じゃあ、ヴァイオリンでもチェロでもない、どこか中道のようなヴィオラ(viola)にでもしようか、ということにあいなりました。
>
>後になって記事を遡って読んで驚きました。Fioraとviola。シンクロニシティを感じました。世界は不思議に満ちてますね^^

本当にシンクロニシティです^^「cello」さんでもまったく問題ないです^^出会いは必然だったりします。ぜひこれからも色々ご教示いただければと思います^^またコメントお待ちしてますね^^
【2013/02/11 13:15】
09 2019/10 11
S M T W T F S
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HN:
Fiora & nobody