思考の責任は「思考層(しかも地磁気)」にあるという主張
地球の磁場が発生する理由は、地球の外核にある溶解鉄の対流だと考えられている。この磁場は、地表の上空約600,000kmにまで広がって、太陽から吹き寄せる放射線からわれわれを守ってくれている。地球の高緯度地域で素晴らしいオーロラが見られるのも、地球の磁場のおかげだ。
ESA(欧州宇宙機関)は2013年11月、地球の磁場の変化を高精度・高詳細に測定することを目指し、3基の人工衛星「SWARM」を打ち上げた。そして、SWARMが返してきた最初のデータ(6ヶ月間)によると、地球の磁場は「10年で約5%」というスピードで弱まっているという。
※海洋プレートに記録された古地磁気の研究によって、数万年~数十万年に1度の頻度でN極とS極が反転していることが知られている。
これはそのカルキさんが主張していることですが、
地球上の人類の思考とカルマは集合的なもので、どこに蓄積されているかと言えば「地磁気」に蓄積されているという話でした。
地磁気が現在急速に減少しているのは事実です。
善と悪、男と女、自と他、などの二極性の思考がもし「地磁気そのもの」なのだとしたら、地磁気の影響を「個人的に捉えることをせず」真我で燃やすことが、地球そのものの変化と直接影響しているのかもしれませんね。
まあ、わたしたちのやることは
明るく感謝して生を受け取ることですからね。
思考層が惑星固有のものというのはおもしろいと感じました。
地産地消じゃありませんが、本来そのほうが理に適っています。
いや、この人の語録、宝庫です。
もうひとつ引用させてください。
引用はじめ
↓
実際には相手を見ている時には、相手の話を聞いてなく、話を聞いている時には相手を見てないそうです。
この聞くことと見ることのチェンジがあまりに速く生じているので、 同時に見ながら聞いているように 錯覚していると言います。
例えば映画のフィルムは1秒間に16コマ以下だと 連続した動きとして捉えられなくなります。スライドのような感じになります。
同様に、感覚器官もある特定のスピードで協調しあうことによって、同時進行しているように感じるそうです。
それが、「自分」「私」という感覚を作り出す 錯覚だといいます。
バガヴァンは言います
この協調しあう感覚器官のスピードを スローダウンさせることによって、 自分という感覚は消えます。
↑
引用おわり
これはですね、ピッチャーとキャッチャーが片方しか存在しないのに、
二人同時に存在しているような気がしている状態(見ていることの創造の乱発のような)です。
「私」というのはそうなんです。
本当は「体験」を受け止める人はいないんです。
わたしたちが「体験」なんです。
でも不注意で、体験を受け止める「演技」まで入れちゃってるんですね。
「黄金時代へ」さんの気になるところを調べていてカルキ・バガヴァンというインドのグルの教えが背後にあるようでした。
大雑把に読んでいたのですが、このグルもすごそうです。
その中で根源(現象世界が現れる前)の動きを説明していたのが普通ではなかったので引用します。
引用はじめ
↓
至福の正体
BeがBeに気づいている動きです。 もちろん、この動きは、微かな揺らぎと呼べるものです。 現象世界はまだ現れていません。
見る者と見られるもの、見るプロセスは、一体です。 実は、この微かな動きこそが意識の中に至福を作り出しているのです。
バガヴァンは言います。 意識の本質はアーナンダ(至福、歓喜)と愛です、と。 この続きはまた。 2006.9.21
↑
引用おわり
至福の正体と銘打ってあります。控えめな言い方でも猛烈な洞察です。
まずこれはあらゆる動きを超越する「虚空」について、しかも皇創造前(ビッグバン前)の段階の発言ですから、普通の人ならそれを「(無の)静止」とします。
でもあらゆる動きが調和している静止だとわかっているんですね。
そして気づきが「気づいていることに気づいている」
つまり「存在の自覚」自体が原初の純粋な覚醒において「(無の)動き」であり、
それが「至福」だと言っています。
Be→Be
に気づくこの矢印が「動き」であること、「至福の正体」であること、これこそ揺らぐ光、
考えたことがありませんでした。
これなら、虚空の絶対超越の性質に対して至福という性質が付随する意味がはっきりわかります。
今日は大きな大きな導きを受けたようです。
感謝します。
それは矛盾からの完全な自由
この言葉はニサルガダッタが使いました。彼は本当に天才だと思います。
虚空、いまの特徴というのは、矛盾からの完全な自由です。
意味がわかるようになっている場合は、統合が体感できているのではないでしょうか。
見る者、見られるもの、見ていること、この3つは「いま」として統合されています。
実体は見ていることのみです。
いま未知に開かれている
環境の変化に最も適応できるあり方は、環境の変化に最もこだわらないあり方です。
過不足なくありのままに見ているし、想念の固着がありません。
創造のエネルギーの浪費がありません。漏電箇所がありません。
単位は「いま」です。1秒単位ではありません。
いまはひとつしかありませんから、たとえば忘れていたり、ぼーっとしていたり、記憶をなくしたりした後の「いま」も同じ「いま」です。
いま既知に対して働きかけようとする態度は「記憶という特定の一部分・過去」に働きかける態度にすぎません。
これをしてしまうと、未来は過去の焼き直しになります。
記憶は役に立つことが多いです。同時に、役に立たないことが多いです。
記憶で何かがうまくできたとしても、その成功体験には執着しないこと、執着する動機をもっていないこと、それはつまり肉体と同一視していないことを意味します。
この図は「黄金時代へ」さんから引用させていただきました。
見た瞬間にすごく驚きました。???でいっぱいになりました。
他の階層のことはいいんですが、至福の根源(非顕現)と、愛(しかも顕現の神という書き方)この二つの根源の知識をどうやってどこから得たんでしょう。
どうやって、自力で、虚空と皇の構造がわかるんでしょう。
この方がこの知識をどう入手したのか、その経路に非常に興味が湧きました。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody