今夜は毛色を変えて真面目に書きますね。いつもマジメなんですが、大事なことを書くようにします。
覚醒者の方が急速に増えているので、これから色んな意見が氾濫すると思います。
極めつきに大切なことは、「内なる光」を信じ、見つけることに全力を注ぐ人が最も賢明ということです。
内なる光は、求道においても、悟ったとか覚醒したと思った後も変わらず輝いていますのでいつも一番信頼できます。
内なる光と外なる光は同じものですから、こういう区分は途中からは意味がないんですが、どんなときも答えはいま手の届くところにあるということです。
これは大事なことです。どんなにピンチに見える状況も関係なく、あなたを救う力があなたに内在しているということです。
自分が違和感を感じていると気づいたら、どんな些細なものでも
内なる光に問いただすことです。
違和感が完全消滅するのが「内なる光」です。
表層の意識状態では
自分が、「そんなもの=内なる光」をもっているということ自体が想像できませんし、信じることもできません。
最初だけは騙されても仕方ないと思って、徹底的にやるしかないんです。
違和感を抱えたまま生きるよう光は要請していません。
またどんなに優秀に思えても外部の人を信じるくらいなら「内なる光」を信じてください。
内なる光は1円も要求せず、外部に見えるラマナ・マハルシのような最上級のグルよりも優れています。最上のグルそのものですから。
こんなことをわたしごときが書く必要はきっとないんですが、今でもこの日記を訪れてくださるご縁のある方にはこういう考え方もあることを知っておいていただきたいと思いました。
方法論に関しては、ニサルガダッタの「わたしは在る」がいいよ、とか、マハルシの「わたしは誰?」がいいよとか色々意見は散乱しますが、こういう大事な問題に理性の意見を適用することは間違いを生みます。
すべて内なる光に確認すべきです。
わたしには「ニサルガダッタがいいですか?マハルシ?エックハルト?」
きちんと答えがやってきます。
個々人の状況を内なる光よりもうまく読める専門家は存在しません。
外部の専門家は色々いますが、知っておいていただきたいのは
マハルシやニサルガダッタは1円も受け取らないタイプだったということです。
超一流、トップクラスのグルは金銭を要求しません。何も要求しません。
でもそれを言い出すと腰みのをつけたグルを探すことになりますので、外部の専門家と付き合う場合も内なる光にその人間と付き合うべきか確認したほうがいいです。
金銭問題は大した被害ではないんです。
変な被害は、内なる光と連携してさえいればすべて防げます。
内なる光は「大いなる愛の光」を肉体の内側に感じる場合の呼び方です。
つまり「私=肉体」というラスボス級の想念をとりあえずそのままにしておいてでもこの正体不明の光に導きを求めるわけです。
「私=肉体」という諸悪の根源となる想念は、光の圧倒的なリアリティの前に吹き飛びます。
仏教では透明な光と呼ばれ、覚醒の感覚である「愛」そのものでもあります。
愛の光がすべてを司ります。シンプルです。
こいさんには以前お話したことがあるんですが、虚空というのは覚醒における玉座・最高位の神殿です。いつでも誰でも戻れるんですが、その親しみやすさのために、浅い段階を「空」「空」とみんなで騒いでしまっています。
本当の虚空はとんでもない次元の至福を感じています。
Manaさんがつい先日虚空に至るまでの階層が複数階層あることを指摘していましたが、同意見です。根源の無は相当深いです。
言動で明らかに根源の無に至ったと見えるのは(わたしが知る狭い範囲では)
ラマナ・マハルシ
ニサルガダッタ・マハラジ
H・W・L・プンジャ
エックハルト・トール
レスター・レヴェンソン
この5人です。
マハルシやニサルガダッタの言うところの「真我実現」とは中途半端な途中過程を指すわけではなく、虚空に永遠に座すことを指しています。
「一瞬たりとも絶対的幸福感以外感じない」段階に至るまでは、何もわかっておらず、何も終わっていないと思います。
それまで「わたしたち」というのは
光に、愛に、遣える従者です。
どのような苦労も、感謝とともに受け取ることを誓ってこの世に降りたんです。
これ宗教みたいに聞こえるでしょうか。
本当はすごくオシャレな話なんですよ。光の計画と言うのは喜びと愛に満ちているんです。
制限思考とリアリティの違いをいつも感じている
平たく言いますと
「私って肉体よねー」と思っているのが制限思考であって
「わたしって今この瞬間そのものよねー」と感じているのがリアリティです。
何よりも大事なのは
「私って肉体よねー」を自動発信しつづけることをいますぐストップして、
願わくばこの先ずっとストップすることです。私が破壊されるまでの間我慢することが理想です。
この日の記事も深イイと思いませんか。ラマナ・マハルシですもの。
なぜ思考や感情に捕まらないかと言えば、肉体との同一視がないからです。
この写真余ったんですけどどうしても使いたくて。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody