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引き寄せの法則、の地図の向きに反対します。


引き寄せの法則の理解や、その実践の知恵は信じられないくらい優秀です。
以前と比べこの分野は10倍くらい人が優秀になったのではないかと思えるくらいです。


ですが、わたしはこの地図の向きは「さかさま」だと今も思っています。
あの世・天国の計画が


いま、目の前に、


現れています。
これそのものが祝福であり、


魂の光を遮断する澱みを見つめる課題です。


たとえどれほどの重病にかかっていようと、絶望的な状況に思えようと、
人間の理性では到底及びもつかない計画の中にあります。


ガス室に送られたアンネ・フランクもそうでした。
わたしたち人間はより謙虚に、目の前を見つめる機会を与えられているんです。


コントロールしようとする前に、
神の光に感謝を捧げる方こそ健全にわたしには思えます。
(引き寄せの法則の関係者がこの程度の理解もない方々だとは思っていません)



断ち切り屋


この悪循環を誰かが断ち切らなければ、終わらない。なんてよく言いますよね。
人は自分のやったことが周囲に波及していって、結局それが自分に戻ってくるという光の通信を繰り返しています。


ときどき自分が原因とは思えない悪循環の悪が回ってきます。
本当に恐ろしい人(いい意味で)は、無意識にでさえこの悪循環のすべてを断ち切る人なんです。


なぜ断ち切るかと言うと、「すべて愛」と信じている、受け取っている可能性が高いのではないかと思います。


どれだけ非常識にピンチな事態も、己を成長させるための天空のプレゼントだと受け取ってしまう。はっきり言って、メルヘンにも程がある人物です。


ですが、このメルヘンさんは断ち切り屋なんです。
そして、死後にはっきりしますが、彼・彼女こそ本当に正しい自己認識を維持していた可能性が常にあるんです。


いまあるものに感謝している人と言うのは、
フィオラの言う「みえる人」です。


今朝心臓が動いていた事実をどう受け取っているでしょうか。
自力で勝ち取った一日、当然の権利としてスタートするときは、目は曇っているのかもしれません。



脅しと強制力


こう考えてみてください。
あなたの前に拳銃を持った覆面の男がやってきて、あなたに銃を突きつけます。


「死にたくなければ言うとおりにしろ」


彼はあなたの生殺与奪の権利を握っていると主張します。
では強制力は彼にあるのでしょうか?


よく見ると違います。
自分に対する強制力をもつのはただ一人、自分だけです。


「私は殺されてしまう!」という想念と、
それによる恐怖に身はすくみますが、意思決定はやはり自分だけにあります。


この脅しの構造は、単純な暴力の現場だけではありません。


「あなたは地獄に行き、永遠に罰せられる」
「あなたの魂は消滅する」


どこかの宗教ならよく言いそうな言葉です。
そうなりたくなければ、「言うとおりにしろ」


ではこの場合の強制力は?
やはり自分だけにあります。


この脅しは「想念」です。
ですから、この想念が真実を語っているか、真っ赤な嘘かはわかりません。


確かなことは想念の内容ではなく、
あなたがいま、在ることです。これは確かです。
生きてます。間違いありません。


では、あなたは肉体でしょうか?


それは言えません。
なぜなら、肉体かどうかは「想念」だからです。


「在る」と「想念」の質の違いはこのように明らかです。


想念(の内容)は信頼できず、
「在る」だけは真実です。


先ほど「強制力は他人にはなく、自分にのみある」と書きましたが、
これはただの「想念」でしょうか。それとも「真実」でしょうか?


ただの「想念」です。


他人、自分、これらのすべてが「想念」です。


実際、「あるものがある」「なるようになる」「あるがまま」なのであって、
「想念」でどう語ろうとも


想念は想念です。


そして「在る」だけはいまも真実です。


無想とはこの「在るにとどまりつづけている」ことを指しています。
在るから「想念(の内容)」にブレないで、とどまっているということ。


精神界の師は誰でも、永遠不滅の愛があるよ、安心していいよ、大丈夫と言いますが、
それはただの「想念」なので、
本質的には自分で発見するまでは虚しい言葉に過ぎません。


何が発見できるのでしょう?


想念で描いた地図は無駄です。
発見できるのは、いま確かにある実在です。


いま在る「コレ」は誰なのか?何なのか?です。
言い換えれば、この「在る」は誰なのか?何なのか?です。


それを想念で、マインドで追おうとすれば混乱するだけです。


この世に脅しも暴力も、何もかも存在する、ように見えます。
想念を使って人をコントロールしようという目論見もある、ように見えます。


でもわたしたちは、いまここに、確かに在るんです。



なんかですね
自分を信じる感覚とすべてを愛している感覚は
共通しているような気がするんです。


それは、放射するように周囲の星星を信じ、
自己の星を天空に差し出すワクワクする子供の心境です。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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