その差は0.4秒


マインドが介入すると反応まで0.5秒
介入しないと0.1秒


マインドは「私という行為者・一人の人間がいる」という(余計な)想像です。


この0.4秒の差が何を生み出すかわたしたちは見極めようとしています。
上の写真、もしどちらかが0.1秒で相手が0.5秒だとしたらどういった勝負になるか体感シミュレーションしてみるとおもしろいです。



関係者以外立入禁止


という標識を見たことがあると思います。
ここで問われているのは


あなた、関係者ですか?


です。
関係者以外というのがどこの何者かは聞いていません。
立ち入る必要のある「関係者」なのかどうかを聞いています。


わたしたちの検証もそれだけです。
関係者なのか、否か。


これをどのように調べるかはいろいろな方法論がありますが、
途中の結論は決まっています。


「関係者」だとする証拠はすべて、「想念」でしかなかったこと。


もしこの想念を破棄・放棄・無視するならば
「関係者」とは「言えない」という事実です。


想念をとどめておいて、固定した証拠としようとしても、
想念は流れて通過してしまうため、意図的に存続させようとする(これも想念によって)ことがない限り、証拠にならないということです。


つまり、想念を破棄・放棄・無視しなくても、
厳密に調査した結果は


「関係者ではない」という結論になります。


この「関係者ではない」が、次の大きな質問につながります。
「じゃあ私は誰なの?」


そして「私」は想念に過ぎないから
「この質問をしている「私」がいない」
「この質問だけが「起こって」いる」


という結論になり、いままでずっと現実認識の錯覚に巻き込まれていたことに気づきます。


どうやら「私」はいなかったらしい。
どうやら「人間(肉体)」ではなかったらしい。


でも不十分なんです。
これは悟りや覚醒と呼べるものではありません。


本当に覚醒するというのは、
「存在・意識・至福」に完全統合されるまで同一視を放棄した者だけがたどり着きます。
一瞬たりとも絶対的幸福感以外感じないようになるまで「傲慢」に陥るな、ということです。


さらに「あの世」まで含む霊性の地図を持つことが勧められます。
この時代は稀有です。
これほどのチャンスは次にいつあるかわかりません。



今夜やってたNHKスペシャルの立花隆さんの臨死体験の思索ドキュメントを見てもわかりますが、どんなに証拠を集めたとしても、信じない人はどうあっても信じないです。
人は結局、「自分が体験すると決めているものを見聞きする」のだと思います。しかもそれは個々人に深遠な背景(未知側の計画)があった上でかもしれません。


本当の本当に誠実な態度というのは、科学であろうと神秘であろうと「わからない」と認める態度ではないでしょうか。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody