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尖塔のある病院のようなビジョン


今朝6時頃、このような建物のビジョンが割り込みました。まったく脈絡がありませんでした。
普通のイメージや記憶とは少し感じが違うんです。
なんか最近変なものが視界に割り込むようになりました。
それか視覚の反応が以前よりスローダウンしているのかもしれないです。
いま見ている風景に「視覚がジャックされるように」別の風景が割り込んでくるんです。
こういう場合は別の意識存在の意図ではないかと感じます。
前にフィオラと会話したときに「口」を動かさずに頭に直接「声」が響くと言いましたが、視覚も一緒なんです。
頭に直接「視界」が入ります。まったくコントロールできません。



人と星


顕在意識(人)が考える強みと弱みは実際、真逆だったりします。
本当に強いのは、星(魂)です。


星は基本的に表に出てこない未知ですから
何をするときも顕在意識は理解できないですが、星(へそ上4センチ・丹田の位置と違う)に中心を構え動きます。


頭で考えた強み弱み計画よりも、ハラで動きます。



想像を混ぜないなら。


いま何があるでしょうか?これがあります。
想像を混ぜないので、これしかありません。
頭に浮かんでいた想念も流れていきます。


これ、に指向性はあるでしょうか。


ありません。あるがままです。


これとは何でしょうか?


存在、意識、至福です。


存在は「わたしは在る」と言える存在の確実性を示します。
これはマーヤーに影響されず、どんな場合でも確認できます。


意識は純粋意識を示し、肉体などと言うものは存在しません。
肉体が存在するように見える意識の中なんです。
私=肉体、の観念を手放していくことが純粋意識への覚醒めです。


至福は、存在の自覚という方向へのほんのわずかな動き、揺らぎ、光の動きから生じている本性です。もし、至福を感じられないなら、存在を自覚していないということであり、逆説的に言えば


「いま妨害している何かがある」


ということです。
これ(妨害の自覚)がセンサーになります。
妨害はマインドが見ている対象と同一視しているからかもしれませんし、そうではないのかもしれません。いずれにしても、これこそこの世の宝です。


人間なら。


悪い状況や、悪い条件によって不幸であることは可能です。
あなたが、本当に人間なら。


でも本当は人間ではないのであれば、至福以外を感じているのは
「妨害があるから」です。


この妨害は、内側(境界線という想像がある場合の言葉です)にしかありません。


わたしたちはこの妨害とじっくり1対1で向き合うために今日この世界にいるのかもしれませんよね。



内なる光とタイミングの絶妙さ加減


内なる光は全部修正してくれます。映像の投影元だからです。
何より理性と違うのは、タイミングが外れないことです。


沈む船タイタニックへの乗船を「なぜかわからないけど」回避してしまった人たちは「そこで死ぬ運命にないから」です。


もう少し違う書き方をするなら
「(人生でやるはずだった計画が)完了していないから」
死ぬことは許されていないんです。


逆に完了している方は向こうに戻ります。
生きている間は誤解していますが、本当につらいのは肉体をまとって生きている側であって、肉体を脱いだ方が楽です。


ただ、この世で生きている機会はとても貴重なものであるのは自覚しておいた方がいいです。
苦しいことがあるのも承知の上でここに来たのは向こうで障害となる荷物を捨てるためです。



帳尻は合いますか?


合います。たとえばですね、犯罪を行って警察に捕まらず逃亡している、または完全犯罪として発覚しなかった、不起訴に終わったなどの悪役は、後で全員猛烈に後悔することになります。


この世の裁きのシステムなどまだ子供騙しでしかなかったことを思い出すからです。


愛の神様は許してくれるのではないのか?


許しています。そして、その許しはあなたがあなた自身に業を背負わせることすら許すんです。
全体の愛のために個的な苦労を何とも感じないで(計画する)という心境に至るため、人間視点からすれば自業自得とは言え苛烈に思える罰がくだります。


合法行為でもダメなのか?


ダメです。愛に違反したと、自分で感じるものはすべてダメです。
ですからこの判断は、他人判断ではないんです。
自分の心の中で、後ろめたいことがすべてダメなんです。
これを突き詰めて考えると、愛と感謝以外の心境で生きた日々はすべて自分の業となっていることがわかります。



一味(一位)の感情


一味と一位は相反しています。
全体を最優先する者に、個的な願望はありません。


これは感覚です。
全体の感覚を思い出さないと、「自分に利益を図らない」意味などわかるわけがありません。


全体=自分という感覚があるんです。
この全体の歓喜を我が歓喜とする、これらが完全に統合される感覚があるんです。


それが本来の感覚であったことを思い出すときは、
光さえ肉眼で見えるのではないかと思います。



反応間違い


沸き起こる感情を注視すると、それが「想念の構造」を示してくれているのがわかります。
その想念の構造を見ようとせずに感情に対処してしまうと残念なリアクションになります。


抑圧せずに、あるものをあるように感じること。
表面的な現象ではなく、源を探すこと。
その源が、不変の愛か、蜃気楼のような錯覚か確認すること。



陰謀論って?


陰謀はあります。でも内側にそれがあることを自覚するほうが先ですよね。
自分が自分から何かを隠すとしたら、動機は何でしょうか?


そこに愛をどこかで信じていない怖れがあります。
愛は怖れにコーティングされています。
陰謀論への興味はそのコーティングを照らすスポットライトみたいなものではないでしょうか。



肉体が重いために記憶が


魂の記憶はすべてあるんです。
肉体をまとったことで、重く低い振動になり、通常はアクセスができないんです。
振動数の問題です。
神経・血液・内臓、これらを高速で回転させるわけにはいきません。
星の力は、肉体が破壊されない程度に抑えられなければならないんです。



全てが在ると認める


いま、すべてが在ると認める人に「求める」動機はひとかけらもありませんよね。
わずかでも「求めている」なら、すべてが在ると「認めていない」ということです。


祈りも、信頼も、何もかも、
「認める」か「求める」かです。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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