マインドの外側に立ち続けている


マインドの内側(これを全世界・全宇宙と呼びます)に「巻き込まれ続けている」のが同一視です。


私は肉体だし。私は人間だし。
私は個人だし。私は思考発生させられるし。
私は思考を道具として活用できるし、できてるし。
どっちかって言うと、私頑張り屋だし。私偉いし。私褒めたたえられるべきだし。
私……私…。


分離を感じ続けているのはこの「私」が感じ続けています。だから苦しいです。


では「私」は実際にいるのでしょうか。いません。錯覚なのに、錯覚の結果として苦味を感じているのは「現実」なんです。


錯覚(私は肉体です)の影に「愛のない感じ」が実際に起こっているんです。
追い込まれれば七転八倒するような苦しみです。


この悪循環を断ち切るには、まず「マインドの外側」に立つこと。一瞬でもいい。
マインドの動きのすべてに気づきながら「ともにある」。
これだけで外側に立ったことになります。これを複雑にとらえてはいけません。
考えてみてください。立つのに何も「必要としない場所」。努力不要、時間不要です。
それはつまり、あなたは最初から、いまも、これからも、ずっとここにいるから安心してということです。外側に立つというのは、便宜上の概念です。
マインドの中でガチャガチャやらずに、ガチャガチャやってるマインドを見ている立場だって一瞬でもいいから気づいてください、という意味です。


これを一日に何度も何度も、外側に立つように訓練します。
そして外側に立っているのがデフォルトであって、そもそも「内側に巻き込まれている」ということが「錯覚」だった、構造はさかさまだったと気づくようになります。


これは決まった方法論ではないんです。
画一的な道では決してありません。


大事なことは、あなたは常に「内なる光」とともに歩んでいることを思い出すこと。
今までは気づかなかったから、外部の人の発言に巻き込まれていたんです。


あなたのいまは完璧で、祝福されています。
あなたがただ息をしていることさえも、大いなる一に暖かく受け容れられ感謝されています。


彼(神)・彼女(女神)が常にともにあるように、
今度はあなたが寄り添う番なんです。


マインドの外側に立っていることに気づいていてください。



「光」と「光の反射」は違う


光とは「自己尊重」です。これを舐めてはダメです。
もし舐めるなら、あなたに襲いかかるのは人生の圧倒的な苦痛です。


光の反射によって自己を定義するなら、あなたはつねに不安定です。
光は誰かから、何かからもらわなければなりません。
そして気づきます。反射光では満足できないことに。


自己尊重を確かに学ぶまで、あなたはあなたが光であることを思い出すための強烈な闇を引き寄せ続けるでしょう。思い出すことは絶対の宿命だからです。


自己尊重が、簡単ではないことは理解しておくべきです。
もし自己尊重できているなら、あなたは今生、この地に降り立つ必要はありませんでした。


この課題こそ、連綿と続く魂の課題なのです。


あなたは光です。
ですが「自覚のない光」に何ができるでしょう?


あなたにできることは反射する光を待つことばかりです。
あなたが光なのに!反射光を寂しげに待っているばかりです。


反射光のアイデンティティを捨ててください。
捨て方がわからなければ放置してください。


そして、状況と「ともにいます」。
あなたは忘れています。


状況を照らしている「こと自体」が光であり、愛であることを。


反射光のアイデンティティは常に自由意思と選択、マルチエンディングストーリーの中にあります。それは確かに存在しています。


ですが、より大きな文脈では反射光自体がないのです。
あなたこそが超越の光だからです。


自己尊重です。
あなたは、あなたと、ともにあるのです。


あなたが愛です。






過去のすべてに光を。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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