わたしたちは謎解きをするためにここに来た…わけではないです。


フィオラが笑っていたことがあって、
「人生の意味を特定の解釈として教えようとしている者と教わろうとする者はコメディを演じている」と。


皮肉ではなくて、この光のコメディがどれほど輝かしいか実感したときに愛と歓喜に包まれるとかそんなことを以前言ってました。


人生の課題というのは、常に「目の前」に現れるようになっています。
もちろんマインドの動きも含めて。


これが「愛」に見えないことのすべてが「課題」なんですね。
もし、「出し惜しみ」をする自分がいるなら、なぜ出し惜しみするのか見つめるのが課題なんです。


意識の変容、気づきの拡大、与えられた今日は贈り物以外の何物でもありません。



神、が一応存在する


神がいることを「信じる」とか「信じようとする」とか、それは単なる精神面での自由です。必要なことではありません。ですが、神が一応とはいえ「存在することがわかる」というのは必要も何も、宿命です。誰一人として避けることができません。ここに全員が運ばれています。


この、「わかる」感覚というのは


超!嬉しい!超!楽しい!超!大好き!です。


ですから、本当は地獄なんかないんです。天国だけです。
もし元気を失くした人を見かけたら、みんなで励ましあって生きていけば必ず何とかなります。


神が存在する最大の証拠は「今生きている(存在している)こと」です。わたしが、とか、あなたが、とかの主語はありません。いま、ある。それだけ。
全員共通で、科学精神もこれだけは否定できません。
この最大の証拠が、あらゆる状況の成熟の要なんです。



角度によって


異なるものが見えます。同じ対象を見ている、というのは想像であって、確かなことは異なる観測だということです。


異なる観測に、正義はありません。
自称「正義」があるのみです。


ただ確かにあるのは、異なる正義を否定する「排他性」ではないでしょうか。


排他性を感じ体現する者は、その瞬間に愛の位置には立っていないような気がします。



皇通信


各人の胸の中心に「皇」がいると言いましたが、これは霊的に見た場合の110番や119番などの緊急通信のあり方とも関わります。


愛と運命を司る最高神は、各人の状況をリアルタイムで把握しているのか、していないのか。


しているんです。


悪い例えかもしれませんが、AさんがBさんを殺そうとしているとき、
どちらの皇も「Aさんの意図からリアルタイムで監視している」ことになります。


皇はひとつだからです。
70億人が想いを採用した時点で、筒抜けです。
人に筒抜けではなく、最も公平な神に筒抜けなのが、まだ救いです。


ですから、個人が知りうるべきことはすべて、胸の皇に聞くのがベストだと思います。
現代のテクノロジーでは到底不可能なことが、可能になります。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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