新しいネットワークで立ち向かう


神が立案した計画は大勢は覆らないです。後戻りしません。
愛の拡張計画であるなら、大宇宙の中での地球の役回り、その振動、貢献の意味、なにもかもが進行していきます。


20年前常識だったことは、意識レベルとしてはもう過去の遺物です。


問われるのは新しい課題であり、新しいネットワークです。


なにもかも未知ですが、こちらの対応能力も未知ですから、
新しいネットワークで正々堂々立ち向かえばいいと思います。



退化のない進化


退化と進化はともに二極性の中にあります。あくまで地球の重力圏内です。
進化だけして、退化しないでいることはできません。


成人期を越えればみんな老いて、体は思うように動かなくなっていきます。


ですが、それは地球の二極性の中だけの制限です。
もともとそれを超えるものは引き継がれますし、退化もしません。
(魂・魂の完全記憶・チャクラ・霊体などは引継ぎ)


そのひとつが愛です。口先で唱えた愛ではもちろんなくて、人生で実践された愛というか。
愛は死なず、朽ちず、全体への贈り物となります。


顕在意識の中の愛の容積というのは、一度広がったら戻らないのかも知れません。
全体は原初から愛に満ちていますので、あくまで顕在意識内に妨害があるだけなんですよね。


この妨害を見つめ、それが愛に溶けた場合、
愛を感じることのできるスペースが広がります。


皇に抱きしめられていること、ともにあることが直接わかる感じとでも言うんでしょうか。


体力には限界があるんですが、魂の愛にはどんな環境でも限度がありません。


日々、愛の容積を拡大するべく目の前の流れ・出来事、自己のマインドと向き合える人は賢明だと思うんです。



無(愛)と私


構造はシンプルです。私が錯覚だったと見抜いたら、残るのがひとつしかなかった。
無と呼ぶか、愛と呼ぶかは同じことです。


私が錯覚だったと見抜いたらですから、見抜けばいいんです。
実体がなく、単なる錯覚なので、「私」を探すと私は見つかりません。


ただ思考としては、最も根源の思考として「私」が「出現」します。


この「出現」に鋭敏かどうか、人によって差があるんですね。


ある人は1秒で気づきますが、ある人は10分後に気づきます。


また「出現するルート」に鋭敏かどうかも結果を左右します。
これはどういう意味かというと、「私が出現するルート」があると仮定して、
その「ルートの途上に気づきの意識を置いて」しまえばいいんです。


「場所」とか「ルート」とか「置く」とか、こういう語彙がわかりやすいか、合う合わないは人によるんですが、思考をただ見るだけというのはそういう意味では不完全で、非効率です。


思考全般を相手にする必要があるのではなく、唯一相手にする必要があるのは
根源の「私」という行為者(肉体)がいるという思考だけだからです。


「私」を見ればいいんです。


「私」の出現に鋭敏になり、「私」が登場したルートを気づきで塞いでしまうだけでいいんです。


マインドに出来ることは、実体のないものを実体があると見ることだけです。
ですからマインドは間違ったことはしていません。
マインドがそう動いてくれないと、自我の肥大化も人間ゲームもできません。


「(私、がない)が在ると自覚」すればいいんです。


「」内を徹底してもらえるなら、たぶんハートチャクラは問題なく開き、ずっと愛を感覚できると思います。「」はもちろん無想ですし、沈黙ですし、静寂です。状態ではない不変の静寂です。


()内がわからないという場合は、「私(という色眼鏡)」を通して世界を体験することに慣れすぎてしまっているので、別の言い方(考え方)を使います。


内側と外側がない状態をいますぐ体現できるでしょうか。
想像ではなくて、いまこの瞬間にすぐ体現するんです。


通常、「私=エゴ=肉体?」というイメージが「内側と外側の境界線」になっています。
無意識に世界を分離させている繋ぎ目になっています。


この自我の膜を「ぱっ、と無くす」ようにして、今この瞬間の構造物とゼロ距離に接する中立の立ち位置に立つ訓練を積みます。


内側と、外側を、ぱっ、と無くす。


音は音として音であります。
光は光として光であります。
あなたはあなたとしてあなたであります。
でも、わたしは、いまです。いまそのものです。


「(私、がない)が在ると自覚」した状態が
「内側と、外側を、ぱっ、と無くした」状態です。


さらに保険をかけるなら、スライム十箇条で目の前が真我と無関係でただ存在していることを見ることに慣れているとマインドが巻き込まれているときに瞬間的な断ち切りができるようになります。


この状態にとどまります。



おってきなさい
ひろみ
あたくしは
永遠に
あなたのまえを
はしる


おってきなさい
力つきて
たおれるまで


あたくしは
あなたよりさきに
たおれたりしない


それでもまだ
あなたは救われるのよ


けれど
あたくしこそは
あたくしこそは
孤独だわ



この「あたくし」が記憶をこの瞬間に持ち込んでいるときにしか発生しない蜃気楼です。
「あたくし」発生は、能動なんです。「あたくし」を維持しながら物事を見るのにエネルギーを使うんです。だから疲れます。


「あたくし」を発生させずにただ見ている場合は疲れないです。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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