折り紙の宇宙


一枚の折り紙のようなものが宇宙の全体だとすると、どこかにシワが寄ることは


全体が原因となっています。


部分的な原因によってシワが寄っているのではありません。


やらかしたのは「全体」です。


全体は全体のバランスを保っていて、それは部分から見たバランスとは異なるものです。


全体にとって何がベストかを判断することのできるほどの部分は存在しないということです。


できることはただひとつ。


全体で「在る」ことです。


折り紙の宇宙で「在る」ことです。




どの見方も満たせる


無が、本質的に自由と同義なのは、邪魔するものが何も無いということこそ無の本質だからです。


それは創造の王なんです。


ひとつのエゴとして機能して、この世界で人間を演じることに問題はまったくありません。
生まれたのだから、生き抜けばいい。


好きなように解釈すればいいんです。


事実、みな好きなように解釈しています。


それを邪魔するものはないこと、無があり、自由が背後にあることを自覚しないでいることも自由です。


ただ、「満たす存在」なのに、


「満たされるのを待つしかない」と考えて生きることは、苦しみです。


事実は、わたしが決めている、わたしが満たしているのです。



実現されている


ことを自覚している、それが全員の究極の目標と言える真我実現です。


つねに実現されている。


「ことがわかってない」のが無知です。


この無知と、わたしたち全員の運命、神の定めた運命は至高の愛と歓喜と自由です。


こんなに楽しいことはありません。


無知の消滅=真我実現


は全てを賭ける価値があるでしょうか。あります。


わたしたちは、いまが完璧であることを自覚して生きる権利があるのです。
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